1-31:重力の軛と白銀世界 上
投げた手斧は、龍の眼球に直撃した。眼球が固くなかったのは不幸中の幸いか、ひとまず魔獣をひるませることには成功する。予想外の一撃に驚いたのか、龍は翼を広げ、避難するように空中に飛び立った。
視線を下に戻す。煤だらけの頬、汚れまみれの外套、その幼い背丈に合わない重責を背に、ソフィア・オーウェルは呆然とした表情で立ち尽くしている。
「……アランさん? どうしてここに……」
「細かいことは後だ! 退くぞ!」
ソフィアの手を強引にとり、後ろを向いて走り出す。すでにエルとクラウも、こちらの速度に合わせながら茂みの奥を先導している。
「ちょ、ちょっと待ってください、アランさん!」
「だから、細かいことは後だ! 安全な所まで……」
「アレが健在な限り、安全な所なんてありません! 話を聞いてください!」
「だから……」
「お願いです! 私がいつも無茶して、皆さんに心配をさせているのは分かってるんです! でも、今回は違うんです!」
後ろを振り向くと、ソフィアは真剣な表情をしている。上空を見ると、龍はまだ上空で痛みに声をあげている――少しは時間があるかもしれない。
「……事情は端的にな」
「は、はい、ありがとうございます、アランさん!」
走るのを止め、相手から視認できないように木々の下に隠れることにする。今は、木の幹にソフィアが寄りかかり、クラウが回復魔法を掛けているところだ。
「ソフィア様、痛みは?」
「そ、ソフィア様なんて柄では……あ、でも痛みは引いて……」
「ソフィア様、話を」
「は、はい! ごめんなさい!」
クラウに施されて、ソフィアは俺とエルのほうに向きなった。
「……実は、アランさんと遺跡の魔獣を倒した後、おかしなことが起こっていたんです。城壁や街道の結界が、何か所か弱まっていまして……」
「……つまり、ただでさえ空飛ぶ化け物が街を襲ったら危ないっていうのに、今は暗黒大陸中、アイツが動きたい放題できるって、そういうこと?」
エルの質問に、ソフィアは頷いた。逆に、質問したエルの方が首を横に振る。
「かと言って、アレを倒す手立てもないでしょう……魔術は無効化される、武器は効くようだけど、あの図体じゃ倒し切れるかも分からないし、そもそもずっと飛ばれていたら攻撃が届かないわ」
「魔術は……通ります。第六階層の魔術は、軽減されはしたものの効果はありました。それなら……第七階層をぶつければ、倒せると思います」
とはいえ、ソフィアは以前、第六階層までしか弾丸を支給されていないと言っていた。そう思っていると、回復を終えたクラウが立ち上がった。
「ソフィア様なら第七階層の魔術も知識はあるでしょうけれど、恐らく第六階層までしか許可されていませんよね?」
「はい……ですが、一度だけなら打てます。もちろん、魔術弾が無いので、長い詠唱が必要になりますが……」
彼女は倒せる算段をつけている。ただ、ソフィアが必殺の一撃を出せなかったのは、一人では詠唱時間が確保できなかったからだ。以前、魔術弾なしでは第三階層で二分程度必要と言っていたと思う。そうなれば、第七階層はどれほどかかるか、見当もつかない。
しかし、ソフィアの目には確かな闘志がある。こうなったら、彼女の決意はテコでも動かないだろう。だから、聞いてみる。もし彼女のやりたいこと、それが実現可能ならば――。
「……どれくらい掛かる?」
「一分。それだけあれば、組んで見せます」
五分、十分と言われるかと思っていったところに、まさかの二分未満が提示された。すぐに自分よりも魔術に詳しいであろうクラウが「噓でしょ……」と呟く。
「あ、すいません失礼な口を……でもそんなの、現実的じゃ……!」
「私、ソフィア・オーウェルは、魔王と戦うために研鑽を積んできました……それでは、答えになりませんか? クラウディアさん」
毅然という少女の凄みに負けたのか、クラウも「わ、分かりました……」とうろたえた顔で返すだけだ。しかし、一分ならば望みもある。ソフィアはもっと長い時間、一人で持ちこたえていたはずだ。彼女が集中する一分を、三人で作れなければ面目もないというものだ。
「エル、クラウ、なんとか一分、ソフィアの時間を確保してやれないだろうか? その、俺はあんまり、役に立てないかもだが……」
最初は、俺も戦う、と言おうと思ったが、冷静に考えればナイフを投げたところであまり役に立つとは思えない。そもそも、この世界に来てから魔族や魔獣と戦ってると言っても、防御に専念か遠距離から攻撃しているだけで、まともな戦闘はやってないのだ。
そう思うと、言い出した自分が情けなくもなってくるのだが――エルは笑って応えてくれた。
「即席、今日限りと言えど、アナタもチームの一員なんだから。得意なことは得意な人に任せればいい……そうでしょう、クラウ?」
エルに振られて、クラウは「ほへぇ!?」と変な声を上げた。ソフィアを連れて戻るまでは現実的でも、アレと対峙するのは彼女の念頭になかったのかもしれない。そして恐らく、クラウの力も借りたいのだろう、ソフィアはずい、とクラウの顔を覗き込んだ。
「あの、クラウディアさん。アレの正式な討伐依頼は出ていないのですが、流石に今回は事態が事態……討伐に協力してもらえれば、報奨金はお出しできると思います……その、十万ゴールドくらい」
「おへぇ!? わ、私、准将様にどんな人だと思われてます!?」
「え、えっ、その、銭ゲバ僧侶と伺っていたので……!」
ソフィアの言葉のナイフが痛かったのか、クラウは胸を抑えて呻いている。大人に言われるのは気にならなくても、流石にいたいけな少女に言われてしまうと、心にクるものがあるのかもしれない。
「ど、どうしましょうエルさん……汚名を返上するには……?」
「簡単よ、覚悟を決めればいい」
「う、うぅぅうううう!!」
少し変な声で呻いた後、クラウは両腕を腰に当てて、そのなかなかに豊満な部分を思いっきり突き出した。
「えぇ、えぇ! やってやりますとも!! このクラウディア・アリギエーリ、ロハでやってやりますともッ!!」
別にもらえるものはもらっておけばいいのに、という言葉は引っ込める。ソフィアが目をキラキラ輝かせているので、子供の希望を変に奪うこともない。
「ありがとうございます! アランさん、エルさん、クラウディアさん! あ、あの、その、もう一つ、出来ればお願いがあるんですが……」
「うん? 言ってみてくれ」
実際、土壇場で要望が増えるよりは、事前に確認出来たほうがいいだろう。
「第七階層魔術は、先ほども言ったように現状では一発しか打てません。そして、空を機敏に動き回れると、当てるのが難しいんです……」
「……つまり、出来ればアイツを、ソフィアが詠唱が終わるタイミングで引き付ける必要があるってことか」
「はい……かなり、危険だとは思いますけれど……あの魔獣、炎のブレスはかなり使ったので、向こうも消耗しています。だから、チャンスはあるかと……」
一分くらい耐えるだけならなんとかなりそうと思っていたが、流石に最後のタイミングで引き付ける、はかなり厳しい気がする。見渡すと、クラウなど「やはり見え張るんじゃなかった……」という調子で肩を落としている。
だが、エルは違った。ひるんでいるわけでない。落ち着いており――腰の短剣に手を当てて、そして目を瞑って呟く。
「覚悟を決める、か……」
そして、目を開き、少女の方を見る。
「ねぇ、ソフィア准将。引き寄せるんじゃなくて、引きずり降ろすでも問題ないわよね?」
「……えっ? そんな無茶なこと、できます?」
ここまで一番無茶なことを言い続けていたソフィアが、最後の最後にそんなことを言ったので、俺とクラウは噴き出してしまった。




