7-62:戦狼の目覚め 中
「……ADAMs、原初の虎……? いいえ、違う……対象個体の識別を開始」
「目覚めてしまったか、ハインライン……!!」
どうして、エルがイスラーフィールを守っているのか――長い前髪の奥に見えるその瞳は、片方はいつものように美しい琥珀色だった。だが、もう片方は銀色に変わっており――その瞳はどこか機械的で、同時に双眸とも感情が抜け落ちてしまっているように見える。
「正確には、武神ハインラインの器としての身体能力を解放したにすぎませんが……アナタは見たことがあるでしょう? 夢野七瀬に同行した、ルドルフ・フォン・ハインラインが使っていたヴェアヴォルフエアヴァッフェンを」
「くっ……!」
黒衣の剣士の背後で、イスラーフィールがT3に向かって静かに語る。そして、拮抗していた様に見えた二つの刃のうち、翡翠色の方が押し始め――男はマズいと悟ったのか、また瞬間移動をするようにその場から消え、気が付けば自分の目の前に姿を現す。
対してエルは、距離を取ったT3を左右非対称の瞳でじっと見つめた。
「対象個体のシリアルナンバー検出……生体チップを摘出しているため不明。外見的特徴から算出、シリアルナンバー79BDC02との類似点を三百八十二か所確認……対象をアルフレッド・セオメイルと暫定する」
「……邪魔をするな!!」
再び爆発音がすると、視界がまた目まぐるしく変わる。目を凝らしてみれば、銀の流線が円を描き、その軌道から中心に向けて光の矢が発射されているのは確認できた。同時に、円の中心には禍々しい黒点が現れており――アレは重力波か、光の矢はその中心を目掛け、曲がり、重力波の中で乱反射し、中心にいるエルとイスラーフィールから逸れてどこかへと跳んで行ってしまった。
重力波が晴れて、エルは金銀の瞳で銀髪のエルフを見つめ――二対の剣を正面に構え、無表情のまま口を開いた。
「ADAMsの使用に携行型波動弓エルヴンボウを所持……対象の危険度をBランクと認定し、排除を開始する」
短剣に埋められた真紅の宝石が月明かりで鈍く光った瞬間、エルの身体をすっぽりと覆う重力波が現れる――夜の闇よりもなお深い暗黒が、銀髪のエルフの方へと向けて一気に飛びだした。
「ちっ……よかろう。貴様との因縁、今ここで断ち切ってくれる!!」
声が聞こえたと同時にエルフの男の姿が見えなくなり――今の一瞬で移動したのだろう、遥かの距離から光の矢が黒い球体目掛けて無数に照射されている。対して重力波を纏ったエルの方も、凄まじい速度で光が放たれる銀の流線を追いかけ始めた。
「これで二匹の虎の足止めは出来るでしょう。私は、ジブリールの援護に向かいますか……」
「ちょ、ちょっと待ってください! クラウさんとエルさんに何をしたんですか!?」
「そう言えば、まだ居ましたね。とはいえ、機構剣を持たない夢野七瀬のクローンなら、捨ておいても問題なさそうですが……」
イスラーフィールが右手の指を鳴らすと、自分たちが立っている場所より更に上のに何者かが現れる気配がする――それも何体も、こちらを取り囲むように複数体、確かな殺意をこちらへ向けているようだった。
「……ソフィア、危ない!」
「えっ……!?」
慌てて後ろを振り向き、ソフィアを抱えて跳躍する。すぐに頭上から熱線が注がれ、自分たちが居た場所の地面が煙を上げながら蒸発していた。
「な、何!? どこから攻撃されたの!?」
「崖の上に、何体か……敵がいる」
腕の中でソフィアは上をきょろきょろと見回すが、気配を捉えられないのだろう、不安げに上を見渡すだけだ。
「ソフィア・オーウェル……敵ではありません。天使がアナタ達を迎えに来たのです……全ては神の御心のままに。アナタの旅はここで終わりなのですよ」
イスラーフィールはそれだけ言い残し、崖下を目掛けて飛び去って行った。ソフィアはそれを見送って自分の腕から降り、背中から杖を取り出して一回転させた。
「こうなったら、覚悟を決めるしかないね……ナナコ、まだ見えない敵は崖上にいる!?」
「う、うん! まだこちらに向かってきてる気配はないよ!」
「それだけ分かれば十分、第三魔術弾装填、フロストエア!!」
杖の先端に浮かび上がった陣から冷気が吹き出し、崖下から上へと向かう吹雪となる――すると、霜に覆われたおかげか、崖上の所々に人型のシルエットが浮かび上がる。頭上にいる者たちは姿を透明にすることができるようだが、確かにそこに存在するが故、自身の体でない霜までは不可視化できないということか。
「やった、見えるようになった! でも、数が……!」
「ファランクスボルト!」
多い、と言う前に、すでにソフィアの杖から拡散する稲妻が飛びだしていた。しかし、一本一本の威力がそこまででないせいか、イスラーフィールに天使と呼ばれた者たちを倒すには至らないようだ。
「威力が足らない……それなら……!」
「ソフィア!!」
ソフィアが杖を振り回すよりも前に、再び彼女の身体を抱き上げて移動する。今度は一点ではなく複数個所を狙い打たれるが、銃口が浮き彫りになっていたおかげで、ある程度の射線は読める――熱線の隙間を縫うように移動し、光線の雨が止んだタイミングで再びソフィアを降ろすことにした。
「ありがとう、ナナコ! 第三、並びに五魔術弾装填!」
ソフィアはすぐに頭上で杖を振り回し、すぐにシルエットの一体に向かって強力な稲妻の一閃を浴びせた。今度の魔術は相手の装甲を上回るだけの威力があったのか、稲妻の軌道にあった霜の肖像は跡形もなく消え去っていた。
「ソフィア、やった!」
「でも、数が多いし、敵も分散している……このままじゃ……!」
確かに、ソフィアの魔術は威力に優れていても、超高範囲を一網打尽にするようなものは無いと聞いている。それならどうするか、一旦引くか――とは言っても、光線を撃ってくる相手に対して、ソフィアを護りながらどこまで逃げられるか。攻撃そのものが早いのもそうだが、恐らく天使とやらは足だって速いだろう。
しかし、今更ながらに上に居る者たちが天使と呼ばれていることの違和感に気づく。自分がなんとなく思い浮かべる天使というものは、背に鳥の羽を携えた天の使いのはずだ。だが、ソフィアが浮き彫りにしたシルエットは単純な人型であり、羽など背に追っていないように見えた。
その時ふと、闇夜に羽が舞い落ちてくる――天使と呼ばれる者たちがいる場所でなく、自分の立っている場所の上空からだ。舞い落ちてきたそれを凝視すると、それは正確には羽ではなく、赤々と燃える炎の残滓のようで――。
「第五世代アンドロイド……燃やし尽くしてやる!」
上から声が聞こえてきた瞬間、崖上に巨大な炎の渦が襲い掛かった。その熱があまりに高温なせいか、炎に巻き込まれた透明人間たちは溶けてしまっているようだった。
改めて声のしたほうを見上げると、そこには亜麻色の髪を夜風になびかせ、右手に炎を上げる刀剣を持ち――そして背に炎の片翼を浮かべて浮いている一人の女性の姿が見えた。




