7-56:蒼紫激突 上
音速を壁を突破するのに生じる轟音と共にアラン・スミスが去ると、一時の静寂が辺りを包み込み――前髪の隙間からこちらを覗く青い瞳は、憎悪と怒りに染まっている様に見える。
『……アガタ』
静寂の間を縫うように、我が主たる女神レムの声が脳内に響きだした。
『恐らくこれが最後の通信になります。先ほど申し上げたように、ルーナが海と月の塔からの通信を妨害し始めました……私も自衛に専念しなければなりません。
そして、繰り返しになりますが……クラウディア・アリギエーリに課せられた意識の改竄は、イスラーフィールが代行したモノですから不完全ではありますが、権限はルーナによるもの……通信妨害を受けている今、私の方で上書きは出来ません』
最初は事務的な口調だったが、レムの声色は段々と小さくなってくる――レムの見立てでは、クラウの記憶は現在はほとんどそのままだ。むしろ、彼女の疑念が増大し、それを疑いの無いような事実として思いこまされているということらしい。
なまじっか記憶が残ってしまっているせいで、彼女の精神状態はすでに危険な状態にある――とくに、アラン・スミスに対する感情とルーナによる強制力との葛藤で、人格が崩壊しかけているのだ。
アランのように優しさから説得をしようとすると、クラウをより苦しめることになる。消極的な時間稼ぎにはなるが、かえって彼女の疑念がその通りであったとする方が、彼女が矛盾に苛まれずに済む――そうなれば、自分が彼女に対して出来ることは――。
『ごめんなさい、アナタにはいつも、つらい決断をさせてしまって……』
『いいえ、謝らないでください、レム様……先ほどアナタに告げられた策が上手くいく可能性を、私は信じていますから』
『……苦労をかけます。アナタに祝福と加護を……私のような出来損ないの女神のモノでよろしければ、ですけれど。それでは、武運を……』
レムの声が切れたのと同時に、クラウがトンファーを構えてこちらを睨みつけてくる。
「アガタさん……いいえ、アガタ・ペトラルカ。偽装しようたって無駄ですよ……そのサークレットに効果が無いことは分かっています。女神ルーナの名において、裏切りの神の信徒であるアナタを討ちます」
こちらの感情を読まれないようにするため、一度俯いて鉄棒の柄を強く握りしめる。
(この世界の歪みに、アナタを巻き込みたくなかった……なんて言うのは、私の傲慢なのでしょうか?)
呼吸を整え、覚悟を決めて顔を上げる――今の自分はクラウディア・アリギエーリが憎むべき相手、裏切りの女神レムの使徒、彼女を弾劾し、異端の疑惑をかけた張本人――邪神ティグリスの復活を目論むゲンブ一派に加担した忌むべき存在。今の自分は彼女にとってはそういう存在であり、それを意識して相手と対峙せねばならない。
「やってみなさいな、クラウディア・アリギエーリ。もちろん、アナタのように盲目的な愚か者に負ける私ではありませんが」
「……調子に乗って!!」
自分の挑発で火蓋が切って落とされ、クラウが足元の結界を蹴ってこちらに跳躍してきた。
(安易な跳躍……!)
そう思い、落ちてきたところを迎撃できるようにメイスを構える。レム神のアーカイブを利用できない分で全力とはいかないが、むしろそれ故に自分とクラウの実力自体はほとんど拮抗しているはず――共に枢機卿レベルの神聖魔法を操り、共に学んできた仲でもあるから、この予測はそうズレてはいないはずだ。
もしティアが自分と敵対してしまえば勝ち目はないだろう。彼女は魔将軍二体を同時に相手して圧倒できるだけの実力者であり、ゲンブ一派にはやや劣るものの、その実力はレムリアの民としては文字通りに一、二位を争うレベルだ。
しかし、恐らくティアと自分は協力関係に持っていけるはずだ。自分の狙いはそれであり――クラウの人格が崩壊してしまう前に彼女を気絶させ、ティアの人格を引き出す。その後はティアにクラウの人格を眠らせてもらい、ルーナを倒してからレムの権限で意識の改竄を除去すれば、彼女も元に戻る、そういう算段だ。
(ですから……痛いのは我慢してくださいよ、クラウ!)
とはいえ、クラウの意識が崩壊してしまえば――もし解脱症に罹ってしまえば、どのような悪影響が出るか推測もできない。解脱症はレムですら治療が不可能なのだから、如何にルーナを倒した後でも取り返しがつかないかもしれない。そうなれば、これ以上彼女の精神に負担をかけてはならない。
今の自分にできることは、自分は彼女が洗脳されているように、世界を敵に回した裏切り者として対峙して彼女を戦闘不能に持っていくだけ――そう思ってメイスを振りかぶり始めた瞬間、クラウが目の前から消えた。いや、落下し始める前にトンファーから結界の陣が出ていたのまでは視認できていた。要するに――。
「……もらいました!!」
「がはっ……!?」
こちらは腕を上へと振りかぶっていたため、成されるがまま――下から抉りこむように突き出された拳をよけきることもできずに、自分の腹部に突き刺さる。クラウは空中で結界を出し、軌道を変えていたのだ。ギリギリで下から来るのに反応していたため、なんとか鳩尾に刺さるのだけは避けたが、それでも内臓に強烈なダメージを受けたことには変わりない。
離脱するのに重いものを持っていられない――手からメイスを離しつつ、なんとか気合を入れて大地を踏みしめ、こちらも結界を出して後ろへ跳躍する。回復魔法をかけるにしても、まずは距離を取って立て直さなければ――そしてもちろん、こちらが後ろへ跳ぶのも読んでいたのだろう、クラウもすぐに再び陣を炸裂させて突進してくる。
「……あぁあああああ!!」
「はぁあああああああ!!」
向こうから突き出される右の拳に、こちらも右の拳を合わせて返す――拳がぶつかり合う前に互いに六枚、計十二枚の結界が展開され、同質の斥力がぶつかりあって対消滅を起こす。その反動のおかげでクラウも下がらざるを得なくなり、こちらも腹部に左手を当てて回復魔法をかけて内臓の修復に努めることにした。




