1-29:ドラゴンズロア― 上
渓谷が炎に包まれて後、一旦崖の上に戻り、休憩を取ることにした。崖の上に戻った理由は単純で、沢にいたオークはほぼ全滅したと思われるが、見回りなどで外に居た者と帰り道に鉢合うことを懸念してだった。
「エルさーん膝枕してくださーい」
先ほどの聖女然とした様子はどこへやら、クラウがエルに抱きつくような素振りを見せると、エルはその顔に毛布を押し付けてカウンターを決めた。
「アナタがさっき頑張ってくれたのは認めるけど、休むならそれを使いなさい」
「ずーん……まぁ、ちょっとだけ寝ることにします。帰りに何があるとも分からないので、少しでも魔力を回復させておきたいです」
「えぇ、見張りは私とアランに任せて」
クラウは毛布を受け取り、木の幹を背もたれにして、毛布を掛けて目を閉じた。先ほどの一件で相当な疲労があったのか、それとも生来の寝つきの良さなのか、すぐに寝息を立て始める。
「……なぁ、ドラゴンって一般的な存在なのか?」
クラウが寝始めたのを見て、俺はエルに質問した。エルは枯れ木を折って焚火に投げ入れて後、首を横に振る。
「ドラゴンなんて、伝承上の生き物よ……アレは確かに、龍と形容するほか無かったけれど、恐らく魔獣よね」
別段あのスケールの生物が一般的な世界でもなければ、エルもドラゴンと戦ったことがある訳でもないらしい。
「……アレがレヴァルの街を襲ったらどうなるんだ?」
「あまり考えたくもないけれど……まず、一介の冒険者風情がどうこうする話ではないわね。それこそ、軍が対応に当たるんじゃないかしら。それに、街には魔獣の襲撃も考慮して、強力な結界があの城壁に貼られてる。多少は持ち堪えるとは思う」
「しかしアイツ、空を飛んでいたぞ……? 城壁の遥か上空から近づいて、街を襲撃なんてことも可能なんじゃ……」
「……だから、マズイでしょうね。まぁ、魔獣にとって街を襲うこともメリットは無いだろうし、せめて興味も持たずにどこかに飛んでいってくれれば良いけれど」
そういうのをフラグという、と言ったところでエルには理解出来ないだろうと思い、口に出さずにおいた。
とはいえ、あの生物の在り方は圧倒的だった。ゲームの世界では、ドラゴンを安売りしすぎだ、あんなのどう倒せばいいのか全く検討もつかない。だからエルの言う通り、どこぞかにでも去ってくれるのが一番だとも思う。
しかし、同時に考えてしまう。もしアレと戦うことになったら、自分に何が出来るのか。投擲用の投げナイフと片手斧程度では、あの巨体に傷一つ付けられる気もしない。武器屋でそそのかされた巨人殺しがあったとて、あのように空を舞われたら――そもそも、自分は戦う土俵にすら立てていないのだ。
せめて、龍を前にしても臆さぬ自分でいられるか。それが気になったが――いっそ、臆したほうがいいのかもしれない。勇敢と無謀は違うとは、よく物語で目にしていた気がする。どうせ敵わぬ相手に命を無為に散らすくらいなら、逃げるほうが幾分かマシとも思える。
しかし、自分が選ばれた者だったのなら――この世界を救うべき勇者であったのなら、この手に特別な力があったのならば、アレと戦うことが出来たのかもしれない。
(……よそう、無駄な考えだ)
自分は、この世界の観察者として女神に送り出された。そしてその役目すらも、自分の空想であるのかもしれない。そもそも、街が襲われることもないかもしれない。それならば、自分の身の丈に合わない何かと勝手に葛藤するのは無駄なことだ。
「……アラン、アナタも少し眠る?」
その声が聞こえて、焚火の音と木々の揺れる音のする世界へと戻ってきた。
「……あ?」
「アナタも結構疲れたでしょう……索敵、神経使うものね」
エルは毛布をもう一枚取り出しているが、それをこちらも手で制止した。
「いや、まぁ疲れてないってわけでもないが、寝る必要があるほどじゃない……大丈夫だ、ありがとう」
「でも、相当ボーっとしてたみたいだけれど?」
「男の子にはな、色々あるんだよ……それより、エルのほうこそ少し休んだらどうだ?」
制止のためにパーの形で開いていた右手の形を変え、そのままエルが持っている毛布を指さす。エルはこちらの指と毛布を一旦交互に見て、小さく笑った。
「そうね……私も寝るって程じゃないけれど、少し目を閉じて休もうかしら。普段は一人だから、なかなかこう甘えられないし」
「はは、そうだな、今のうちに甘えておけ」
「えぇ、よろしく。もし敵の気配を感じたら、すぐに声を掛けて頂戴」
そう言いながら、エルは毛布を膝に掛け、体育座りのような形で目を瞑った。こうなったら二人の命を握ってるのも同然、先ほどのようにボーっとするわけにもいかない。
「……ねぇ、アラン、一個言っておかないといけないことがあったわ」
声のほうを向くと、休むと言ったエルが、少し険しい目でこちらを見ていた。
「……私が休んでいる間に、その子に変なことをしたら許さないから」
エルはクラウのほうに目配せしている。冷静に考えてみれば、確かに美少女二人、それが寝てるとなれば最高のお膳立てと言えなくもない。しかし、さらっと自分を候補から外しているのも彼女らしい。
「……そりゃ大丈夫だろう。変なことしたら起きてぶん殴られて月まで飛ばされそうだ」
「ふふ、確かに……ごめん、信用してないわけじゃないけど、一応ね」
そう言って今度こそエルは目を閉じて、そのまま額を膝に乗せてうずくまった。
一時間ほどの休憩後は、ただひたすらに下山していくことになった。ある程度下ってからは、正規の道に出れば、移動は速くなる。そのため、敵の気配が無くなったあたりからは舗装されている道を進み、すでに辺りは暗くなり始めているが、このまま進めば今日中に詰所には戻れる、といったラインまでは戻ってくることが出来た。
「ふぃー、なんとか当日中に戻ってこれましたね」
少し眠ったおかげで多少は元気を取り戻したのか、今はクラウが先導している。致命的な方向音痴でも、流石に一本道では迷いようがないはずだ。
「アナタ、戻ってこれたとか分かるほど土地勘あるの?」
「じぇんじぇん分かりません」
「はぁ……ま、あと一時間も歩けば詰所に着くはずよ」
「うがっ、意外と遠い……!」
一瞬ふざけた態度は取ったものの、クラウは真面目な顔になり、エルと並ぶ。
「……あの龍、どうしましょう?」
「どうもこうも、どうしようもないわ。一応、詰所に報告はしましょうか」
「そうですね、それ以外に出来ることもありませんよね……あんな空飛ぶ大きな生物、魔術師でもないとどうしようもないですし。もしくは勇者の聖剣とか」
二人の言う通り、自分たちにできることは何もない。だから、詰所に報告して、それで終わり。
だが、虫が知らせてきた便りが、そうは言っていられないかもしれないと告げてきた。
「……アラン君?」
「すまん、ちょっと静かに……」
ほとんど日の落ちた静寂の世界に意識を集中させる。風で枝が揺れているその音、いやそれだけでないはず――わずかに耳に届く咆哮、それは昼間に聞いたものと同じ、あの空を舞う龍から発せられていたものに違いなかった。
「……アイツがいる」
「え、ど、どのくらいの距離にです?」
「アレだけのデカ物だ、気配もデカい。それが微かに感じ取れる程度だから……多分まだ、数キロメートルは離れているはず」
「方角は?」
今の質問は後ろから来た。エルだ。
「進行方向じゃないな。西……正確には西南西だ」
「……そのうち、南下するかも。そうしたら、点在している農村や、最悪レヴァルの街も危ない」
「それじゃあ、少し急いで詰所に戻るか」
「えぇ、そうしましょう」
エルが横に並ぶと、二人並んで走り始める。運動神経は勿論エルのほうが良いのだが、長距離を走るのでペースを落としてくれているのだろう、丁度良いスピードだ。後ろから「待ってくださーい! まほ、魔法の補助がないと……!」と言っているのが聞こえるが、距離は離れていないし本当に限界なら気配で分かるので、ひとまず今のペースのまま走り続けることにする。
数分ほど走ったか、そのタイミングでエルが話しかけてくる。
「……気配、分かる?」
「あぁ、近づいてきたから、さっきより正確にわかる。あんまり動いてはいないみたいだが……しかし、ずぅっと猛ってるみたいなんだ」
「……何者かが、戦闘をしている?」
「あぁ、その可能性は……!」
ある、そういう前に、他の気配が近づいてくるのに気が付いた。その数は結構多く、優に十は超えている。エルとクラウを止め、その近づいてくる気配を伺う――十中八九、あの龍から逃げてきているのは間違いないが、それが人間なのか魔族なのかは判別を付けないといけない。
武器をいつでも抜けるよう構えて、近づいてくる者たちを待つ。音が近くなり、人影が微かに見え、そして藪から飛び出てきたのは、白いコートの男が数人、チェインメイルを来た男が数人、それも後ろからもまだ来ているようで、負われてたり肩を借りてなんとか歩いてきた者たちを合計すれば、二十人ほどになりそうだった。その者たちは命からがら、といった雰囲気で、半数は路面にへたり込み、鎧を着ている者たちは兜を外し、膝に手を付け肩で息をしているような状態である。
その中に、見覚えのある顔が一つあった。向こうもこちらに気付いたようで、息を切らしながら指を刺してくる。
「お前……記憶喪失とか言ってた不審者……!」
「不審者はご挨拶だな、えーっと、レオ曹長」
お前がどうしてこんなところに。レオ曹長がいるということは、自然とソフィアの顔が思い浮かぶ。そういえば言っていたな、大型の魔獣が出た時は、正規軍で隊を組んで倒すことになるって――。
「……エルにクラウディア・アリギエーリ! お、お前らなら、もしかしたら……」
「……落ち着いてちょうだい、レオ曹長、一体何が……」
「そ、ソフィア准将が……!」
その名前を聞いた瞬間、俺は軍人たちが抜けてきた藪のほうへと駆けだしていた。後ろから「アラン君!」と呼ぶ声も聞こえたが、止まる訳にはいかない。
短い付き合いだが、あの子は無茶をする子だ――そうだ、あの子は自己犠牲の塊のような子だ。実力はあっても、いや恐らく正規軍の中で抜きんでているからこそ、他の隊員が逃げるまでの時間稼ぎをしていることは想像に難くない。
一瞬、ある言葉が再び脳裏よぎる。行ってお前に何が出来ると。しかし、それでも足は止まらなかった。一刻でも早くあの子の元にたどり着かなければならない。
(何が出来るかなんて、着いてから考えればいい!!)
龍の咆哮が近くなってくる。森が揺れている。視界は段々と、その燃える炎、そしてそれを反射する氷とで明るくなってくる。
「……アラン君!」
左にクラウが並ぶ。その手がかざされると、視界に淡い光が現れ、体が少し軽くなる――補助魔法を掛けてくれたらしい。次いで、右手にエルが並んだ。
「アラン。龍には基本的な魔術は効かなかった、それで隊は一時撤退、ソフィア准将はしんがりで時間稼ぎをしているらしいわ」
「あの子はそういう子じゃない……周りを逃がして、自分一人で龍を倒すつもりだ!」
「えぇ、そうでしょうね。ひとまず、ソフィア准将を連れて離脱、目標はそれでいいかしら?」
エルに向けて頷き返す。あとは、正面を見つめて、少女のもとに駆けていくだけだ。




