7-41:武神の力 中
自分はと言えば、窓際で木々の枝葉が擦れる音を聞きながら、ぼぅっといつもより近くにある月を眺めていた。本来、高高度にあるこの場所は強い風が吹いているはずなのだが、エルフの精霊魔法による調整で穏やかになっているらしい。
別段、アランとの約束があるから少しでも長く起きていようと思っているわけではない。単純に、眠くないだけ――悠久の時を生きるエルフは時間には縛られないのか、ここには時計もなく、何時なのかも分からない。ソフィアなら月や星の位置でおおよその時間を言い当てるのかもしれないが、流石に自分にはそこまでの知識は無いので、ただ時の過ぎゆくに任せているだけだ。
ただ、こう言った時に彼が自分を頼りにしてくれたことが、なんやかんやで嬉しかったのかもしれない。それに応えたいがために気分が少し高揚しているのか――何にしても、もう少し起きていてもいいだろう。
ふと、そろそろ寝ようかと思ったタイミングで小さな物音がした。一瞬空耳かとも思ったが、どうやらそうではないらしい――扉の方から断続的に、扉を叩くような音が聞こえてくる。
(まさか、本当にさらいに来た? いえ、でもそれなら、さっさと部屋の中に入ってくるかしら……)
もしかすると、誰かが起きているのか確認をするために小さな物音を立てているのかもしれないが、それは向こう側にいる本人に聞いてみたほうが早いだろう。他の三人に気付かれないようにそっと席を立ち、扉の方へと向かってノブに手をかける。
扉を開けると、そこにはソルダールが一人立っていた。まさかアランの言う通り、本当にナナコをさらいに来たのか――とも思ったが、それならもう少し大人数で押しかけてくるとも思うし、何よりソルダールはじっと自分のことを見つめたまま黙っている。
「……何の用かしら?」
そう言いながら自分の方から廊下へ出て扉を閉める。
「そう警戒するな……私は、そなたに用があってきたのだ、エリザベート・フォン・ハインライン」
「へぇ……それなら、昼間に言ってくれれば良かったんじゃないの? それか、明日の朝に呼んでくれれば良かったのに」
「昼間は失念していただけだ。それに、十人目の勇者が私のことを警戒しているからな……改めて来いと言っても、来てくれない可能性を考えたまでだ」
ソルダールはなんだかそれらしい御託を並べてきているが、どれもそんなに腑に落ちるものではない。仮にも賢人と言われる者が要件を失念していたのも違和感があるし、いくら警戒していると言っても呼び出されればアランだって応じたはずだ。
とはいえ、自分への要件というのなら話は聞いてしまえば早いだろう。伝えられた内容をどうするかは、聞いてから考えれば良い――彼が邪神に似ているとか、なんなら生まれ変わりと言われるくらいの覚悟を決めて、ソルダールの方を見る。
「……それで、何の用かしら?」
「ハインラインの力を解放する術を伝えに来たのだ」
「ハインラインの力?」
「うむ。ハインラインの血族は武神の血を引いている……その力を解放できるようにしに来たのだ」
「何を言っているの? 私は、あくまでも養子で……」
「そなたも気付いておるのだろう? そなたはテオドール・フォン・ハインラインの実の娘であるということに」
ソルダールに言われたことは、あくまでも自分の推測の範囲のことであり、貴族間で噂にはなっていたことだが、事実として確定はしていなかったことだ。その事実を何故この男が知っているのかは分からないが――ともかく、推測が確信に変わった。
自分が王族でなかったことは確定したものの、別段ショックはない。それよりは、敬愛するテオドール・フォン・ハインラインが実の父であると分かって誇りに感じるくらいだが、同時に一つ疑問が生じる。
「……ハインラインの力なんてものがあるのを知らなかったわ」
「それに関しては、テオドールも知らなかったはずだ。武神の力の解放は、本来なら魔王征伐の際に勇者と共にハインラインの血族が世界樹を訪れた時に初めて伝えられるものだ。今回はハインラインの血族がブラッドベリを倒すときにここに来なかったので、伝えられていなかったのだ」
「なぜ、その力をへカトグラムと一緒に継承しないの?」
「武神の力は強大だ。そも、ハインラインは邪神ティグリスを倒すべく二対の神剣を携えた戦いの神……その力は邪神にも匹敵する。
それを歴代の辺境伯に継承することは、レムリアのヒエラルキーの崩壊を招きかねない……それ故、魔王征伐の時のみ、武神の力を解放しているのだ」
「へぇ……それじゃあ、私のご先祖様は皆、謙虚でご立派だったのね。魔王征伐に参加して武神の力を解放する術を知っていても、国家転覆を計らなかったのだから」
「……そうだな」
今まで無表情だった老人は、突然に目尻に皺を寄せて、口髭の奥で笑ったように見えた。その表情が異様に不気味でゾッとしてしまう。ややあってソルダールは元の無表情に戻り、改めてこちらに目線を合わせて一歩前へ進んできた。




