7-36:クラウの疑念 下
その後は川を降って一日経つと、世界樹の麓までたどり着いた。見た印象としては、鬱蒼と茂る森の中に現れた巨大な幹という感じで、圧倒されるものの感動は少々薄かった――言ってしまえば、突然視界一杯が断崖絶壁のような茶色に覆われただけなのだから。
きっと上に昇れば気分もいいに違いない――などと思うのは、緊急時としては暢気すぎるか。とはいえ、消火もすでに終わっているらしく、やれることと言えば天上におわすらしいハイエルフ達に事情を聞くということくらいなので、登ってから景観を見るくらいは罰も当たらないはずだ。
上に昇るのには、てっきりエレベーターでも使うのかと思っていたが、そうではなかった。世界樹を取り囲む様に存在する蜘蛛の巣のような糸、あれを伝って移動すると聞かされたが、実際にそれを渡るとされる物に乗り込むのには抵抗があった。何せ、全身緑色の巨大な蜘蛛のような生き物の腹部に乗り込めと言われたのだから。
「……これ、そのまま食われたりしないだろうな?」
「あはは、きっと大丈夫ですよアランさん! 見てください、この子は大人しそうですよ?」
ナナコは巨大生物の頭部の付近に立って、直に巨大蜘蛛に触れている。
「ナナコの奴、胆力があるな……」
「というより、好奇心旺盛で怖いものが無いんでしょう……私もこれに乗るには抵抗があるけれど、まぁエルフたちが日常に使っているものだから、危険はないと思うわ」
エルの意見をもっともだと受け入れ、意を決して巨大蜘蛛の腹部に乗り込む。中はバスとか電車とかといった調子で――正確にはゴンドラと言うべきなのかもしれないが――椅子が並んでおり、壁は幾重にも折り重なったツタのようになっている。一応、これは植物の一種だとエルフから聞いてはいたが、中に入ってそれをようやっと納得できた形だ。
蜘蛛状のゴンドラが動き出すと、自分のこの乗り物に関する感想はすぐに変わった。動きは早くは無いものの、遅くもないといった塩梅で、もっと揺れるかと懸念していた乗り心地も悪くない。
乗り心地以上に自分の心を打ったのは、やはり窓から覗く景色だ。ある一定の高さまで上ると熱帯雨林の木の高さを超え、下面には緑の絨毯が並び、巨大な木の幹から生えるまた巨大な枝葉や、それらを取り囲む様な蜘蛛の糸が木から垂れる絹のようで、その景観は美しい。
またしばらく上ると、今度は雲と同じ高さにまで来た。遠くなった緑の木々と雲とが並ぶ、なんとも幻想的な光景だった。
「蜘蛛が雲の高さに……」
「ぶふぉお!! アランさん、ダジャレですか!? あはははは!!」
何の気なしに言ったジョークもナナコには大うけで気分もいい――エルは冷めた目でこちらを見ている気がするが、今はそのことはひとまず置いておくことにする。気になるのはクラウの様子だ――やはりまだ色々と悩んでいるのだろう、いつもならエルと並んで冷たい目で見てくる彼女は、どこか上の空で窓の外を眺めているようだった。
自分がクラウの方を見つめていると、それを遮るように金の髪が視界に映る――隣に座っていたソフィアが、下から覗き込むようにこちらを見てきているのだ。
「でもアランさん、最初は結構怖がってたよね?」
「まぁ、巨大な蜘蛛の腹の中に入るなんて抵抗もあるだろう?」
「そう言えば、私と初めて会った時も、蜘蛛型の魔獣に対しては結構ビックリしてたもんね。魔族に対しては全然怯える風もなかったから不思議だったんだけど……」
言われてみればその通りで、意外と人型の敵を相手にする際には最初から恐怖も無かった。今にしてみれば、それは前世の記憶というもののおかげだろう。何せ、見えない鋼鉄の機械を相手にしていたから、人型の相手をするのには自分自身が慣れていたと推察できる。
対して、どれだけ戦場を駆け巡ろうと、巨大生物や怪獣と戦った経験は無かったわけだ。生き物として巨大であれば、気配や威圧感も比例して大きくなる――最初はそれに蹴落とされてしまっていたように思うのだ。
また、人間的な知性や機械的な判断と比較して、動物的な本能は何をしでかしてくるか分からない怖さがある。そういう意味では、未だに魔獣の相手には慣れ切っていない。
ソフィアたちが和やかに話している傍ら、徐々にこの乗り物を日常遣いしているのであろうエルフたちが乗ってくる数も増えてきた。事前に聞いていたように、熱帯地方に暮らしている割に色白の者が多い。格好も民族的な衣裳ながら厚着だ。
というのも冷静に考えれば当たり前で、世界樹という高高度に暮らしている彼らは気温の低い所で生活しているのに等しく、また同時に世界樹の枝葉が巨大な日陰を作っており、季節的に考えても今の気温はかなり低い。ここに来るまでは外套を脱いでいた少女たちもいつの間にか上着を着こんでいるほどだ。
ともかくエルフたちに視線を戻すと、彼らはこちらをチラチラと見てくるものの、どちらかと言えば警戒しているように感ぜられた。普段から世界樹という閉じたコミュニティに居る彼らは、他の種族に対してはあまり心を許していないのかもしれない――もっとも、あまり変に向こうから声を掛けられても困るのも確かではあるのだが。
更に高い場所まで昇っていくと――恐らく、フェニックスと戦ったスネフェル火山並みの高度になってきている――枝葉も更に増えてくるのに比例して、辺りの様子も賑やかになってきた。枝葉の上にまた木でできた家々や店などが立ち並んでいるのが見え、枝の上を行きかうエルフたちも増えてきている。
「……この辺りで、戦闘があったのでしょうか」
クラウのいう通り、この辺りの枝は所々焼け焦げてしまっているようだ。クラウはそのまま視線を車内に――車内と言うのが適切かも分からないし、気まずいのかこちらに目線を合わせてくれないが――戻し、頬に指先を当てて指を傾げた。
「でも、ゲンブもホークウィンドもT3も、炎の魔術は使わないですよね? そうなると、防衛していた側が炎を出してたってことになると思うんですが……」
「それは違和感があるね。世界樹という木々に暮らすエルフたちが、自分の拠点を護るのに炎を使うとは考えにくい。もしかすると、また第三の勢力が出てきたのかも……?」
ソフィアが言うことは半分はそれらしく感じる。肯定できるのはエルフが炎を使うとは考えにくい点だ。確か彼らは精霊魔法とやらが使えると聞いているし、炎の魔法を使うことは可能かもしれないが、それをわざわざ自分たちが住む世界樹で使うとは、ソフィアの言うように考えにくい。
同時に、ソフィアの言う第三勢力が出てきたというのは頷きがたい――というより、ただでさえゲンブ一派と七柱という二勢力がいることで事態が複雑なのに、もう一派が出てきているなどとは考えたくもないというのが正解だが。
その辺りは、知っている者に事情を聞いた方が早いだろう。植物蜘蛛に乗り込んで三時間ほどで終点までたどり着き、天空の散歩は終わった。駅には使いらしい一人のエルフが自分たちに声を掛けてきて、そのままハイエルフたちがおわす場所へと連れていかれることになった。




