1-27:ハイデルの地で 上
「さて、ここからどうするんだ?」
崖の上、木々にその身を隠しながら、俺はエルに問うた。
「このまま、崖の縁に沿ってもう少し北に向かうわ。ハイデル洞穴は、渓谷の最上部、滝の側にあるの」
「成程、下に降りてオークを相手にしながら行くよりは、楽で安全そうだ」
「足場は良くないけれどね。特に崖の近くは崩れてもおかしくないから、慎重に行きましょう……アラン、悪いんだけど先行してもらえる? 荷物は持つから」
「あぁ、構わないが……」
荷物を差し出すと同時に、「多分、足場の感じを見るのも、私よりアナタのほうが優れていると思う」と言われ、促されるままに先行する。まだ昼と言えど、茂みの中は確か足元も見えにくい。なんで直感が効くのかもわからないが、後続の二人が足を取られないように手で合図をしながら先行する。
藪の外から聞こえてくるオークの声を聞きながら、さらに北上していく。恐らく、そこかしこから煙が上がっているのを見るに、森の動物などを捕って食事にしているのだろう。この辺りは元々人はほとんど住んでおらず、また近場の人達も退避しているとのことで、下から聞こえてくる何語とも分からない言語は、決して人を食おうとかそんなことを言っている訳ではないと信じたい。
またしばらく進むと、段々と悪鬼の声の代わりに水流の音が聞こえ始め、それは段々と大きくなっていく。渓谷の果てが近い証拠だ。後ろの二人を手の合図で制止し、自分は少し奥へと進む。谷に落ち行く滝の周辺は少し拓けており、その周囲に敵がいないか確認するためだ。雑音で気配は分かりにくいので、ある程度は視認する必要がある。
藪から見ると、滝が下り始める場所より向こう側、川の岸に四体ほどオークがいるのが見える。二人の元に戻って指で敵の数を報告すると、エルがこちらに近づき、クラウの方にも手招きした。
「多分、上からの見張りね。倒そうと思えば倒すのは簡単だと思うけれど、交代が来た時に異変に気づかれるリスクもあるわ」
「そうですね……どうせ滝の音でこちらの動きはバレないでしょうし、そのまま下に降りてしまいましょうか」
そう言いながら、二人は谷のほうへと進む。こちらも追いかけて見下ろすと、高さ十メートル下の位置には、また四体ほどのオークがいる。併せて、滝つぼを挟んで対岸側に洞窟の入口が見えた。あれがハイデル洞穴だろう。
「おい、どうやって降りるんだ?」
二人に目配せすると、クラウのほうが小さく挙手した。
「下のオークは、私がどうにかします。エルさんとアラン君は、ロープを使って降りてきてください」
すぐにエルが荷物からロープを取り出し、後ろの頑丈そうな木の幹に巻きつけ始めている。それを横で見ていると、クラウが肩を叩いてきた。
「アラン君、オークに投擲でけん制してもらっていいですか?」
「あの距離だと当てるのは難しいな……」
「だから、けん制で大丈夫です。当てなくてもいいですよ、ちょっと注意を引いてくれれば、私が少し楽ってだけなので」
「あぁ……分かった」
てっきり神聖魔法に睡眠の魔法でもあるとか、そんな感じかと思ったが。ひとまず、言われた通りけん制のため、コートの裏地に仕込んでいる投擲用ナイフを四本取り出す。
「じゃあ、せーので投げるからな」
「了解です、いつでもいいですよ」
「よし……せーの」
掛け声と同時に立ち上がり、下に向けてナイフを投げ始める。一体につき一本――最も近場のオークに対しては、頭上に突き刺すことに成功。直後、はっ、と少女が声を上げ、飛び降りていく気配を感じる――続く二体目に対しては肩に当たった。ここで残りの二体も異変に気づき――滝つぼ付近にいる三体目の足元に三本目は刺さり、対岸にいる最後の四体目には横をかすめるだけで終わった。
クラウはどうしている――見ると、着地寸前で足元に陣を出し、着地の負担を減らしたようだった。ベルトに仕込んでいたのだろう、トンファーを手に持っており――ナイフの刺さった肩をおさえているオークに対し、トンファーを鳩尾に沈めた。打たれたオークはすぐに結晶化し、残りが武器を取り出すより先に、クラウは疾風の如き速度で一足飛びで間合いを詰め、そのまま一撃にて次の一体を屠った。
最後の一体は対岸にいる。クラウは茂みの中で倒したのと同様、足元の陣の反動で一気に跳ぶ。最後の一体は武器を出していたが、何もできずに首を捻られて沈んだ。
そうこうしているうちにエルがロープの準備を済ませて荷物を渡してきたので、俺はそのロープを利用して下まで降りた。ちなみに、その後エルはロープで降りてくることはなく、縄を切り落とし、そのまま崖のちょっとした出っ張りに上手く飛び乗って降りてきた。
「ロープが降りてたら、人間が来ているのがバレるかもしれないからね」
「あ、はい、そうですね……ちなみに帰りは?」
「あの子が崖を駆け上がってロープを垂らしてくれるわよ」
「あ、はい……」
なんだか自分だけ道具を使わないと降りられなかったのが悲しいような気がしながらも、ひとまずオークにバレずに下まで降りることは出来た。落ちている結晶とナイフを拾い、洞窟は対岸、クラウほど一気に跳躍は出来ないものの、少し下った場所に良い感じの距離で石が点在している場所があったので、俺とエルはそこから向こう岸へと跳んで移動し、クラウと合流した。
「ほれ、二つだ」
彼女が仕留めた三体分うち、最初に降りたほうの岸に落ちていた二つを差し出すと、クラウは一つだけ受け取った。
「ナイスなけん制だったので、一個分はアラン君におすそ分けです」
そのままクラウは踵を返し、洞窟のほうへと向かって歩き出した。
洞窟の中は、予想していたほど暗くはない。元々、川の支流が流れて削って出来たのか何なのかは分からないが、所々高い天井に小さな穴が空いており、そこから僅かに光が差し込んでいる。とはいえ、ボンヤリと洞窟内の輪郭が見えるだけで、本来は松明でも付けないと厳しい暗さではあるのだが、中にオークが居た時に居場所を知らせることになってしまうので、灯りはつけずに進むことになった。
「……この辺りはダメですね、全然ないです」
クラウが身を屈めながら洞窟の岩場を手探りしているが、お目当ての苔は全くないらしい。
「そこら中に苔、生えているように見えるがな」
「トラヴァ苔はこの辺りに生えているものよりもうちょっと細長いんです。戦時中なのでオークに占領される前も採取してましたからね、さすがに入口付近は取りつくしてたのかもしれません」
「それなら、もっと奥に進むか?」
「はい、そうですね」
クラウに声を掛けている横で、剣戟の鋭い音が洞窟内に反響する。洞窟の奥のほうに目を移すと、二体分の結晶をエルが拾い上げてこちらに戻ってきた。
「……ここを住居にしている個体がいるようね。この先も多少戦闘があると思う」
「ドンパチは任せたぜ、先生」
「誰が先生よ……まぁ、折角来たのだから、少しは役に立たないとね」
その後は、自分が索敵をしつつ、必要ならエルが戦闘、クラウは生えている苔を鑑定する、というような役割分担で奥に進んでいった。時々、隠れてやり過ごしたのを、後ろから投擲で倒したりもした。卑怯な気もするが、他の個体がやられた違和感を外の大群に知られるとマズイので、口封じの意味合いもある。
「……なかなか、様になってるんじゃない?」
岩陰にしゃがみ込んだまま、後ろからエルが話しかけてきた。ちなみに、クラウは更に奥で地面に張り付いて苔を探している。
「うん? 何がだ?」
「スカウトとしての働きっぷり」
「あぁ、そうだな……割と性にあっているかもしれない」
辺りにほかの気配が無いのを確認してから立ち上がり、ナイフと結晶を拾ってエルの所に戻る。
「正直、ちょっと心配してたのよ……アナタのスキルを疑ってたわけじゃないけれど、やっぱり誰も組んでくれてなかったから。私のせいかなって」
「そう思うなら、今後も組んでくれていいんだぞ?」
冗談半分、本気半分、むしろ本気百パーセントなのだが多分断られるだろうという覚悟の元に言ってみたが、やはりエルは申し訳なさそうにはにかんだ。
「……やっぱり、一人が性にあってるから」
「ふぅん……ま、無理にとは言わないけどよ。でも、たまにこうやって組むのはいいんじゃないか?」
「そうね……難しい仕事じゃないなら」
その返しには違和感があった。本来は、一人では出来なさそうな難しい仕事ほど協力するものではないか? しかしそれを聞く前に、クラウが「ダメですー先に行きましょー」と割って入ってきたので、質問するタイミングは逃してしまった。
幸いなことに、この洞窟は入り組んでいない。まっすぐ進み続けると、目当てのものは見つからないまま最奥まで来ることになった。一番奥にボスでも居るかと緊張したが、三体ほどのオークと接敵したのみにとどまった。
エルが三体とも仕留めて落ち着いて見ると、最奥はそこそこ広い空間になっている。だが、目当てのものは割とすぐに見つかったらしい、最奥入り口付近でクラウが「ありましたー」と少し間の抜けた声を響かせた。




