7-6:ナナコ危機一髪 下
「ソフィア、どこに行くの!?」
「この辺りは、魔獣も魔族も出る……そして、いま戦えるのは私だけ。先手を取られるようなことは絶対に許容できない」
「ちょっと待って……」
自分の静止の声など聞かず、ソフィアはそのまま雨の中を駆けだしていってしまう。どうするか、追いかけるべきか――そう思っている間に、スコールの轟音の中で、僅かにだが少女の悲鳴が自分の耳に届いた。
「……ソフィア!?」
嫌な予感がして自分も外に飛び出し、打ち付けるようなスコールの中を悲鳴が聞こえたほうへと走る。声が聞こえたあたりまでたどり着くと、何が起こったのか分かった。大雨でぬかるんだ地面が地滑りを起こし、崖の下へとなだれ込んだのだ。恐らく、ソフィアはこれに巻き込まれたのだろう。
「くっ……!?」
少女の安否を確認するべく、自分も崖から跳躍する――落下する中で状況を整理すると、まず、ソフィアは地滑りの最上部にいたのだから、恐らく生き埋めになっていることはないだろう。次いで、彼女の運動神経は特段悪いと言うわけではないものの、逆に特別に優れているわけでもない――急な地滑りの上にこう視界が悪ければ、パニックを起こしていてもおかしくない。
ともなると、この下を流れる川、それも急流になっているのが推測される中で、恐らくまともに動けないことは間違いない。結果論的にではあるが、誰かが助けに行かなければ危険な状態なはずだ。
川の水に身体が激突し、全身に確かな衝撃が走るが――濁流の中、水の流れる方向から水面の方角を察知し、流れに身を任せながら水面へと顔を出す。ソフィアは流されているはずだ――自分も流れに身を任せながら目を細めて激流の先を見ると、うっすらとだが長い棒のようなものが見える。
アレは、ソフィアの魔術杖かもしれない――急流にもまれているのに手放さなかったのかと思いつつも、アレなら目印になってありがたい。流れの勢いに身を任せながら腕で水面を搔き、沈みそうな少女の方へと近づいていく。
「ソフィア!」
近づいて声をかけるものの、激しい川の流れで聞こえてはいないのだろう、少女はなんとか水面に苦しそうに顔を出している。沈んでいないところを見ると今の所は水を飲んでいないようだが、このままではパニックで溺れてしまうだろう。
ともかく、流される少女に追いつき、ソフィアの肩を抱き寄せ、なんとか岸へと泳ごうと進み始めるが、流れが強くてなかなか岸の方まで進まない。そうこうしているうちにも身体は徐々に流され――妙にうるさい音が聞こえてそちらを見ると、途中で川の流れが途切れているのが見えた。
いや、川の流れが途切れるなんてありえない。要するに――あそこは滝になっているのだ。
「……嘘でしょ!?」
この流れの強さの中、もはや岸に上がるのは無理だ。それならば――ソフィアを抱き寄せ、来るべき衝撃に備える。
直後、一瞬の浮遊感。自分が下になるように少女の細い肩を抱き――ごめん、多分水の衝撃が強いよね――少しだけそんな呑気なことを考えて落下していくと、また背中に強い衝撃が走った。意識が持っていかれそうになるほどだが、ここで自分が気絶するわけにはいかない――滝つぼの中を、少女の肩を抱いたまま浮上していき、なんとか再び水面に顔を出す事に成功した。
「……ソフィア! 大丈夫!?」
再び声をかけるが、ソフィアの顔は青白くぐったりしている――滝つぼに落ちた衝撃で、水を飲んでしまったか。これは早く手当をしないと――そう思い、今度こそ岸を目指して泳ぎ進める。
幸か不幸か、上がる寸前で岩場に流されずに引っかかっていたソフィアの杖を回収しつつ、そのまま岸に少女を寝かせてすぐに呼気を確かめる。やはり息をしていない――すぐに顎を上げさせ気道を確保し、少女の鼻をつまんで口を開けて人工呼吸を試みる。
口づけをして、肺に空気を送り込む。少女の胸が上がるのが見え、口を放すと同時に、少女が咳き込むように口から水を吐き出した。そのまま顔を横向きにして少し様子を見ると、呼吸は戻ったようであったが、まだ気は抜けない――気温は低くないと言えど、水温はかなり低かった。そのうえで身体はびしょ濡れで、このままだと身体が冷えて低体温症になってしまうかもしれない。
ひとまずなんとか身体を拭いてあげたいが、乾いた繊維などは残念ながら持ち合わせていない。どうしたものか――と悩んでいるうちに、近くの雑木林からガサゴソと音が聞こえてきた。
その気配の主たちは、どうやら人型のようで、ここまで来るときに何度か襲われた魔獣の類ではないらしい。助けてもらえるかもしれない、そう思って声を掛けてみることにする。
「あ、あの! すいません、この子が溺れてしまって……どうか、助けていただけないでしょうか!?」
茂みに向かって大きな声で呼びかけてみるが、残念ながら返事はない。その代わりに、奥に潜んでいた者たちが茂みを超えて徐々にその姿を現す。
シルエットは十体ほどで、その種族に関しては一貫性はない。皮膚が緑色の者、灰色の者、体の大きい者、小さい者――ただ一つ言えることは、彼らがいわゆるレムリアの民、と言われる人種でないことだけだ。
彼らには言葉が通じないのか、警戒するように低い唸り声をあげ、各々手に持っている武器をこちらに向けてきている。ここまで来るのに何度か襲われた魔獣ほどのプレッシャーは感じないが、ひとまず友好的な雰囲気ではなさそうだった。
「……ソフィア、ごめん、使わせてもうらうよ」
傍らに置いてあった少女の魔術杖を手に取って立ち上がり、自分たちを取り囲む人型に対峙する。
「……言葉が通じるか分かりませんが……私は、この子を助けたいだけです。もしアナタ達が襲い掛かってくるというのなら、私は容赦しません」
自分を囲んでいた異形の者たちは、一歩後ろに後ずさる――こちらの剣気に少し委縮してくれたようだが、まだ戦う意思を折ることは出来ていないようだ。それならば――。
「……御舟流奥義、真空束風縦一閃!!」
縦に振りかぶった杖の切っ先から真空の刃が走り、一体の魔族の横に生えている樹木を両断する。それに怖気づいてくれたのか、襲い掛かろうとしていた魔族は武器を落とし、そのまま腰を抜かしてその場にしゃがみ込んでしまった。
そして、改めて他の者たちが襲い掛かってこないように周囲を警戒し――杖を横に振ってから再度正段に構えなおす。
「もう一度だけ忠告しますよ……襲い掛かってくるというのなら容赦しませんから」
自分の言った言葉の内容が伝わったのか、というよりは肉体言語というか、先ほどの一撃で他の者たちもひるんだのだろう。こちらに対する視線は警戒するようなモノから、怯えるようなモノに変わっている。
というか、ミフネ流ってなんだ。自分の口から勝手に出て、勝手に身体が動いたのだが――まぁともかく、ソフィアを守れるだけの力がこの手にあったことだけは不幸中の幸いだろう。
しかし、あまり手荒なことはしたくないのも確か。彼らだって、彼らの領域に私たちが勝手に入り込んだので警戒しているだけだったのかもしれないのだから。とはいえ、杖を降ろすと襲い掛かってくるかもしれない、どうしたものか――そう悩んでいるうちに、また茂みの奥から何者かがゆっくりと近づいてくる気配がした。
「……すみませぬ、この者たちは血気盛んなもので……手は引かせますので、お互い手荒なことは避けましょう、レムリアの民よ……」
声と共に現れたのは、老人風の異形――長い髭と深い皺で覆われた顔を見ると、元々がどんな顔立ちをしていたのかも想像がつきにくい。禿げ上がった頭皮の色は赤黒く、そのことがやはり彼も人間でないことを示していた。
老人は杖を突きながらゆっくりとこちらへ近づいてきて、そしてこちらの顔をじっと見つめてくる――眼光は強いが、徐々に皺を押しのけて瞼が見開かれ、その眼には驚愕を浮かべているようだった。
「アナタは……ナナセ・ユメノ?」
「……はい? アナタは、私を知っているのですか?」
「知っているも何も、私は三百年前にアナタに救われた魔族の一人で……いや、まさか本人が生きているわけはないと思いますが、うぅむ……」
老人は顎髭を撫でながらこちらの様子を伺っているようだ。ともかく、この人は友好そうで、警戒は解けそうだ――と思ったのと同時に、先ほど溺れてぐったりとしているソフィアのことを思い出す。
「あ、あの、私が何者かはひとまず置いておいて、この子が溺れてしまって助けてほしいんです! その、乱暴した後で説得力とかないかもしれませんが!」
「いやいや、乱暴だったのはお互い様です。なので、水に流しましょう。ともかく、そういうことでしたら……もちろん、我々のことを魔族と知って、信用してくれるなら、ではありますが」
「はい! 信用します!」
自分の答えに、老人は再度驚きに眼を見開いた。そしてすぐにまた髭を撫で始め、その毛むくじゃらの奥で笑い始めた。
「ふぉっふぉっふぉ……アナタはもう少し疑うことを覚えたほうが良い気がしますが。とはいえ、やはりその快活さ、ナナセ・ユメノにそっくりだ。よろしい、歓迎いたしますよ。さ、我々に着いて来てください……その子は、こちらの誰かにおぶらせますかな?」
「いえ、大丈夫です! お世話になりますし、私、力持ちですから……よっと」
ソフィアの横にしゃがみ込み、お姫様抱っこの形で金髪の少女を抱き上げる。
「さて、仮の拠点なら徒歩数分と言ったところです……改めて、私はレッサーデーモンのグレンです」
老人は自分がソフィアを抱き上げるのを見て踵を返し、そう言いながら杖をつきながら歩き出した。




