5-29:神殺しの剣 上
祭典が終わって後、自分は結局母親に呼び止められ、屋敷に戻ることになった。帰宅後も数度、母の執務室のドアを叩いて説得を試みたが、その一切は無視された。
犯行予告が本当かも限らないし、警護は末端の兵に任せれば良い――母の意見は正論でもあるのだろうが、同時に母は死地を知らない。勇者と共に戦った戦場や、暗黒大陸での激闘も知らない。この世界には人理を超えた何者かの思惑が働いており、それらの力が非常に強力であることを目の当たりにしていないから、分からないのだろう。
もう、説得は諦めるしかない。そう思って部屋に戻って魔術杖を手にし、階段を下って玄関の方へ向かっていく。もちろん、玄関には複数の警護が居り、自分の往く手を阻んでいた。
その中で、老紳士という雰囲気の執事が一歩前に出て、冷たい瞳でこちらを見つめてきた。
「……ソフィア様、部屋にお戻りください」
「いいえ、戻りません。今日間違いないなく、王都に大変なことが起きようとしている……私はそれを見過ごすわけにはいきませんから」
「そうは言いますが、マリオン様の……貴女のお母様のご命令です。我々としても、ここをどくわけには……」
「そうですか……」
私は手に持っていた杖の先端を玄関の方へと向ける。
「言って分からないのなら、もう話すことはありません。アナタ達が邪魔をするというのなら、力づくで押し通るだけです」
「そ、ソフィア様……!?」
警護たちは狼狽し、うろたえた様子でこちらを見ている。出来ればこちらとしても乱暴なマネはしたくないが――最悪の場合は加減をすれば、気絶させる程度には抑えられるだろう。
警護たちもこちらの本気さが伝わったのか、緊張した面持ちで自分の方を見つめている。警護といってもあくまでも一介の傭兵レベルであるし、母の言う事を聞いているだけの連中なのだから――いくら自分の容姿が子供でも、暗黒大陸の最前線で戦ってきた自分には太刀打ちできないということは分かるのだろうし、また仮に事を構えた時に私を傷つけて問題ないのかなど判断に迷うことも多いのだろう、皆たじろいでいるようだった。
自分と警護たちの間に緊張が走って――束の間の後、ホールに緊張が走る傍ら、階上から足音が聞こえてくる。
「……騒がしいと思って見に来れば……ソフィア、部屋に戻りなさい」
「第三魔術弾装填……」
母の冷たい声が覚悟を決める最後の一押しになり――私はシフトレバーを押し込んだ。
「や、やめなさいソフィア。分かった、話を聞くから……」
狼狽する母の声に対して胸の底から沸いてきたのは、母に対する同情でも憐憫でもない、ようやっと話を聞いてもらえるかもしれないという期待でもない。
「……私が、何度話を聞いてと……お願いしたと思ってるんですか?」
これは、やるせなさか――それが怒りをまとって自分の奥から一気に流れ出てくる。一度堰を切って湧き出た感情を止めることはもう出来なかった。
「どうせ聞くふりだけして終わり!! 私のことなんて道具としか思っていないんだから!!」
長年ため込んでいたものが、怒声となってホールに響き渡る。大きな声を出したせいか、周りの大人たちはうろたえているようで――あぁ、ここでもう一撃やってしまえば、もっとこの胸の靄が霧散するだろうか?
「死にたくないならどいてください……アクセルハンマーッ!!」
自分の警告と前進に、扉を護っていた者たちは蜂の子を散らす様に横へとズレた。振り上げた拳、もとい加速した衝撃はもう止めることは出来ない。そのまま杖の先端を扉へと打ち付けると、木製のそれは蝶番ごと簡単に吹き飛んで、ボロボロになって庭に落ちた。
「……アナタの人形遊びに付き合っている暇は無いんです……さようなら」
それだけ言い残し、私は後ろも振り向かないで夜の街へと駆けだした。自分の名を呼ぶ母のか細い声が聞こえたが――事実、もう問答している時間はないのだ。
しかし、何故だろう。先ほど一瞬は少し気分も晴れたのに、今はもう胸に小さな痛みがある――いいや、小さなことに悩んでいる場合ではない。胸騒ぎは止まらないのだから――小さな迷いを振り払うように小さく首を振って、そして顔を上げ、学院の方へと向かうことにした。
◆
自分の体は今、時計塔の尖塔部分にあった。自分の体を使う何者かは、呑気に鼻歌を歌いながら、南の空に唐突に姿を表した龍の群れを座りながら眺めていた。
「ふぅん、なるほど……完全迷彩【オブリテレイト・カモフラージュ】。一万年前の意趣返しって所か。まぁ、僕らにできることは相手にできて当然……相手がそれをしてこないなどとは、用心を怠った僕らの怠慢だね。それにしても、あんな大物に巨大な機材を背負わせちゃ、装置を作るのも大変だったろうに」
自分の口が勝手に動き、骨を伝って自分の耳に入ってくる。もうこんな生活を何年続けていただろうか。自分の体が何者かに乗っ取られて二十年ほど。学長という立場に上がって少しずつ、自分の体が自分の意志で動かせなくなり――最初の内は抵抗を試みたが、次第に自分の中で大きくなる力にひれ伏すことしかできなかった。
しかし、今となってはこの状況を悪くは思っていない。むしろ、自分よりも強大なもの、自分よりも賢いもの、自分より真理に近いもの――それが自分の体を動かし、より深淵へと歩みを進めてくれているのだ。
学者として自分で真理を突き止めたいという衝動は確かにあるが、同時に自分が自分であるよりも、この大きなものに身を委ねていた方がより多くのことを知ることが出来る。その両天秤の葛藤は、最終的には支配者に身をゆだねることに落ち着いた。
そして、その者が何者かは遠い昔に理解できている。自分の体を支配し、今もなお魔術の研究に明け暮れ、高次元存在と同じ場所へ自らの足で登っていこうという一本の葦。人の倫理を超越し、人の尊厳を破壊し、それでもなお高みを目指すその者の魂の名は――。
「……ウイルド君、勝手なシンパシーは結構。なんなら多分、君はもうじき終わりさ……高みに連れて行ってあげられなくて残念だけどね」
この人がそういうのなら間違いないのだろう。声も淡々としていて、残念そうな感じは一切見受けられなかった。
「……ここは危険です。我が主…… お下がりください」
突然に、背後から声が聞こえる――男性の声だ。それも、どこか無機質な声――自分は何度か彼の声を聞いたことはあるが、その姿は見たことが無い。自分の体を奪った何者かに付き従う、目に見えない何者か、それが背後にいるのだ。
「ふん、ウリエルか。下がりたまえ……ここに居ては、君も悪だくみが好きな輩の計略に巻き込まれることになるぞ?」
「ですが……」
「仔細は先ほど伝えたはずだ。僕は自分の遺伝子情報を持つものを継承者に選ばないからね……馴染むのに時間がかかる。だからそれまで、彼のサポートをしてあげてほしいんだ」
「……分かりました。御武運を」
それだけ言い残し、背後にいた者は去っていった。そして体の主は改めて、中空に舞う龍たちの体を凝視し始める。
「さて、あの術式は……なるほど、あの巨体でもって術式を重ねて、基礎の攻撃術を概ねディスペル出来るようになっている。レムの報告の通りか……ただまぁ、複雑な術式までは無力化できない……というのは、彼も承知の上かな。
いいだろう、ゲンブ……いや、陳俊達。こちらも細工は流々だ。君がどんな隠れ球を見せてくれるのか、楽しませてもらおうじゃあないか!」
自分の腕が尖塔に立てかけられていた魔法杖を掴み、それを文字通りに杖として立ち上がった。
「ははは、流石老体、立ち上がるのも一苦労だ……さて、ギルバート・ウイルド。せめてもの君への花向けに、僕が作った最初の第七階層を見せてあげよう。乱暴で乱雑で、ともかく破壊力をがむしゃらに追い求めた品のないヤツだが……龍を落とすには申し分ないだろう」
そして、体の主は慣れた手つきで魔術杖を操作し、第七階層の魔術弾が装填されている弾倉を開け、杖を縦にした。開かれた弾倉からは、重力に引かれて九発の弾丸が下に落ち――空になった弾倉に、ポケットから取り出した一つの薬莢を再装填し、シフトレバーを荒々しく押し込んだ。
「第七魔術強化弾装填。構成、炎、光、大地、風、冷気、闇、収束……我開く、七つの門、七つの力……相反する六色、摂なる力、我が魔力により束ねられ、虚空を払う光刃と化せ!!」
詠唱に合わせ、真ん中に白色の一つ、周りに六色の陣が浮かび上がり、それが次第に一つに収束していく――呪文を唱え終わるころには、巨大な六色に輝く一つの魔法陣となる。
「最後にこの目に焼き付けるがいい、僕からの手向けの花……始原元素の六色光刃・改【シックスカラーズ・レインボウレイ・アサルト】!!」
杖の先端が陣の中央を突くと、束ねられた六色の魔術による光が夜空に走り、薄く広がって空を飛ぶ龍たちに襲い掛かる。先頭の一匹のみは翼を掠めてしまったが、続く六体は全て光の中へと誘われ、それらは相反する属性のエネルギーが衝突する渦の中で断末の咆哮を上げて消えた。
そして体の主は杖のシフトレバーを下げ、蒸気の舞う向こう側の空で塵となった龍たちの残骸を見つめてる。
「……どうだい、人の身で扱う攻撃魔術の中では、なかなかの威力だろう……ぬ?」
支配者の語尾が上がった瞬間、学院の――正確にはこの時計塔を目指して、巨大なエネルギーの渦が飛来してきた。




