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5-20:通称アラン・スミスと呼ばれる男の身元調査結果 下

 エレベーターに戻っても、自分はソフィアの顔を見ることは出来なかった。それどころか、自分を支えていたアイデンティティが改めて崩壊したような心地になり――階下へのボタンを押す気力すら失せてしまっていた。


「……アランさん、私の研究室に行こう?」


 そういうソフィアの腕には、先ほど自分がいつの間にか手放していた資料が抱えられていた。これについて、詳しく聞きたいということかもしれない――情けなくも若干逃げ出したい気持ちもあったが、それ以上に不安が渦巻いており、断る気力も沸かず――気が付けば手を引かれるまま、ある一室へとたどり着いていた。


 そこは、他の教授たちの部屋と違い、伽藍とした部屋だった。奥に大きな机があり、横には本棚が並んでいるが、どこにも本は無い――使われていない研究室なのだろう。


「……アランさん、ソファーに座って?」

「……あぁ」


 言われるがまま、中央にある来客用のソファーに腰かける。埃が少し上がり、鼻孔を刺す――だが、それもすぐになくなった。自分の顔が何者かにすっぽりと覆われたからだ。


「……ソフィア?」

「大丈夫だよ、アランさんはアランさんだから」


 そう言いながら、ソフィアは自分の頭を撫でてくれている――そのおかげか、少しだけ安心できた。この子は、まだ自分のことを信じてくれているのだと、それだけは伝わってきたから。


「報告書に書かれていることは、アランさんのことじゃないよ。ジャド・リッチーって人が居た、までは本当なだけ。

 アランさんは女神レムに異世界から呼び出されて、この世界を見て周る様にお願いされたんだよ。だって、この世界に無いシンイチさんと同じ知識を持ってたんだから……ここではないどこかから来たのは、間違いないはずなんだ」


 そのシンイチが持っている知識だって、七柱に植え付けられただけのものかもしれない。人格が破綻しないように、自分が居た世界と時代の備え付けられた知識――そうだ、自分の知識だって同じかもしれない。仮に自分がレムに蘇らされたのが事実だとしても、前世の倫理観や知識が本物という確証はない。


 そう思い始めると、再び先ほどの不安が舞い戻ってきてしまう。自分を形成したと思っていたものの何もかもが嘘かもしれないのであるならば、まだジャド・リッチーが記憶を失ってここに居るという方が現実的な考えだからだ。


「なぁ、ソフィア。もし、もしもだ……転生してきたなんて俺の妄想で、本当の俺はジャド・リッチーという名の暗殺者だとするなら……どうする?」

「うーん……呼び方だけは変えるかな? そっちが本名になる訳だもんね」

「そんな、呑気な……」

「うぅん、呑気じゃないよ。私が見てきたアランさんは、無為に人を殺す様な人じゃない。……仮にアナタがジャド・リッチーであったとしても、きっと本性は変わらないんだから」


 少女は自分の髪を撫でながら、ゆっくりと――優しい声で話し続ける。


「私にとっては、私が見てきたアランさんが全部なんだよ。誰かのために一生懸命で、私を……うぅん、私やエルさん、クラウさんのことを何度も護ってきてくれた、優しくて強い人……それが、私にとってのアランさんなんだ。

 それに、ジャンヌさんのこと……アランさんは一度は敵対した人を助けるために、躊躇なく自分も飛び込んで見せた。それは、一つでも多くの魂を救うため……そんな、優しい人なんだから」


 そう言われて、なんだか少し救われた。仮に自分が元々暗殺者であっても、自分の性根は悪いものでない――少女にそう肯定されたのだから。


 それにしても、なんだか段々とボーっとしてくる。ソフィアが子供をあやす様にしてくれているのが心地いいのか、それとも少女の胸の鼓動が、自分に安心感を与えてくれているのか――。


「……正直に言えば、アランさんが異世界から来たって聞いた時、私はすごく嬉しかったんだ。シンイチさんと一緒にいられなくなった私に、もう一度チャンスが来たんだって思って……。

 でも、もうそんなことはいいの。仮にアナタが本当はこの世界の人であっても……アナタが何者であっても、私はアランさんのことを尊敬していて……とっても大切に思っているから」


 そこで今一度、ソフィアに頭を強く抱きしめられる。しかしこれは、想像していたよりも――。


「……柔らかい」

「ふふ、アランさんはお胸が好きだもんね?」


 顔を耳ごと抑えられている関係で、その嬉しそうな声は少女の腕と胸を伝ってこちらに聞こえてくる。心なしか鼓動も少し早くなったようだ。


「……私、どんどん大きくなってるんだよ? エルさんとクラウさんと並べるかは分からないけど……すぐに大人になるんだから」 

「……そうだな……ソフィア、ありがとう……ふぁ……」


 先ほどまでの疲労感にプラスして、今の状況の安心感が加わったせいなのか、妙に眠くなってきてしまった。


「少し眠る?」

「そうしようかな……ひと眠りしたら、思考もすっきりするかもしれないし」

「うん、それじゃあアランさんは横になってて! 私、毛布を取ってくるから!」

「あぁ……頼むよソフィア」


 少女はゆっくりと体を放すと、自分の上半身をソファーに横にしてくれる。そして扉が閉まった音が聞こえて少しすると、いつの間にか意識が落ちていた。


 ◆


 毛布を取って部屋に戻ると、彼はソファーの上で寝息を立てていた。しかし、表情が固いような気がする――何か悪い夢でも見ているのかもしれない。


 何か自分にできることはないか、そう思ったが、すぐにやるべきことが思い浮かんだ。というより、自分がやりたいという方が正しいのかもしれないが――でもきっと、硬いソファーで横になっているよりは良いだろう。


 彼の体に毛布を掛け、ソファーの上に空いている隙間にそっと座り、頭を自分の膝の上に乗せる。そして、彼のおでこから頭をそっと撫で続ける――良かった、少し表情も柔らかくなったようだった。


 先ほどの学長の話を思い返す。実際に、アラン・スミスは彼自身が言っていたように女神によって転生したのか、それともジャド・リッチーという名の暗殺者が記憶を失っているだけなのか。


 もちろん、ジャド・リッチーの報告も無視することは出来ないように思う。アラン・スミスが現れたこととの因果関係は、ジャド・リッチーという存在がいることで、綺麗に筋道が立つように思われるからだ。


 とはいえ、一介の暗殺者としては、アラン・スミスはあまりにも出来すぎるのもまた事実。彼の索敵、隠密スキルは一般的なレベルを遥かに凌駕しているし、それなら要注意の暗殺者として、軍にマークされていてもおかしくはない。


 何より、シンイチと共通の知識を持っていることと、ADAMsという謎の力を扱うことを考えれば、やはりこの世界の人間でないと思う事の方がしっくりくる。もちろん、さっき彼に言ったことは嘘偽りない本心――仮にアナタが暗殺者であったとしても、アナタに対する信頼は揺るぎない。


 それよりも――。


「……私はね、アランさん。アナタが何者かであるよりも……アナタが遥か遠い所に行ってしまう事の方が心配だよ……」


 アラン・スミスは自分たちに何かを隠している。それは、この世界の裏に存在する、おぞましい何か――それをあまりに突き詰めると、きっとジャンヌの様に記憶を改竄され、解脱症に罹って自分が自分でなくなる、だから彼は自分たちに話せない何かを背負いこんでいるのだ。


 一人で悩んで、一人で傷ついて、一人で抱え込んで――いつか、自分の前から消えてしまう、そんな焦燥感。彼の正体が何者かであるより、彼が抱えている何かと、その先に待ち構えている未来の方が、自分にとっては余程怖いのだ。


「……でも、今は……」


 自分の手の中にいる。その事実が、不謹慎と分かっていても自分を高揚させる。強くて、迷いのないはずの彼がふと見せた弱さが、自分を狂わせる。


 あぁ、やっぱりこの人を一人にしちゃいけないんだ。私が支えなきゃいけないんだ――と。尊敬する気持ちと同時に、庇護欲があふれ出て止まらない。


 同時に、仲間の二人に対する優越感が出てしまったのも事実だ。弱った彼を知っているのは自分だけだと。元々、自分は子ども扱いされていて、異性として見られていないのは自覚していた。それ故、自分は二番でも、三番でもいいと思っていた――ただ、この人の側にさえいられれば、それでいいと。


 しかし、今日のことで独占欲が出てきたのもまた事実。二人とも大切な仲間ではあるけれど、彼のことに対しては明確にライバルでもある。そしてそんな中で自分だけが見た彼の顔がある。


 そこまで考えて、ハッとなって首を横に振る。大切なのはそこじゃない――自分の気持ちよりも優先すべきことがあるはず。それは、この人を支えなきゃいけないという事。彼が自分のことをどう思ってくれるのかは、二の次で良いのだ。


「……ダメだな、私は悪い子だ……でも……今だけは……」


 今だけは、私の手の中で――彼の額を撫でて額を出し、そっと自分の唇を近づける。大丈夫、起きないから――そのまま額に口づけしてから顔を離し、気持ちよさそうに寝ている彼の顔をじっと見つめる。


「アランさん、アナタは私に、もう一度生きる意味を与えてくれました……アナタは、私の……私だけの勇者様なんです。ですから……ソフィア・オーウェルはアナタを支えるために生きます。生きさせてください……」


 そう思えば、もう迷うことなどない。覚悟は決まった。もちろん、優しいこの人のことだ、自分の決断をそのまま伝えると心配させてしまうだろう。だから、上手くやらないといけない――彼らが出立する前に、上手いことを考えなければ――。


 ◆


 目が覚めたはずなのに、視界が暗かった。そんなに寝てしまったのか――しかし、ソファーで寝ていたのに、自分の左耳にはなかなか弾力のある何かがある。


「……アランさん、起きた?」


 優しい声が右耳の真上から聞こえてきて、事態を察する。首を曲げて上を向くと、案の定ソフィアの顔がそこにあった。


「えぇっと……おはよう?」

「うん、おはよう! ごめんね、寝苦しそうにしてたから、枕があるといいかなって……勝手に膝枕しちゃった、えへへ」


 そう言いながら、ソフィアは悪戯っぽく笑った。起きがけに天使がいたこととひと眠りしたおかげか、先ほどの悩みも結構どうでもよくなった。どうせそのうち、レムの声が聞こえるかもしれないし――べスターでもいい、ともかく奴らに事情をちゃんと聞けばいいのだ。


 それに、仮にあれらの声が自分の妄想であっても、自分がやるべきことはそう変わらないはずだ。ゲンブたちからエルを護り、ソフィアとクラウが生きる世界が良い物なのか、七柱がやっていることを解明する――それだけなのだから。


「いや、おかげでぐっすり寝れた……気分も良くなったよ、ありがとうソフィア」

「いえいえ、こちらこそごちそうさまでした」

「お、おぅ……? ちなみに、どれくらい寝てたんだ……?」


 上半身を起こして周りを見ると、まだ窓の外は明るい。とはいえ、時計が無い部屋なので、時間がどれくらいかは分からない。


「んーと、多分そんなに経ってないよ……一時間くらいかな?」

「一時間も!? そんなに膝枕してたんじゃ、足も痺れただろう……大丈夫か?」

「うん、大丈夫だよ! むしろ、もっと寝てても良かったくらい?」

「ともかく、ソフィアには結構情けない所を見せちゃったな……心配もさせたし、なんかお礼をしないと」

「そんな、好きでやったことだから全然いいんだけれど……」


 ソフィアは口元に指をあてて少し考えた後、パッと笑顔になって両手を合わせた。


「そうだ、それじゃあ一個お返しをしてほしいな!」

「お、なんだ、俺にできることならするぞ?」

「うん、あのね……外で祝賀会の前夜祭をしているでしょ? それを一緒に周って欲しいんだ」

「なんだ、そんなことで良いのか? それは楽しそうだし、俺にとってもご褒美になっちゃうなぁ」

「アランさんが楽しいなら一石二鳥だよ!」


 そう言いながら、ソフィアは立ち上がり、来客用の低いテーブルに置かれていた資料を持って立ち上がり、勉強机の方の引き出しの中にそれを仕舞った。


「あの資料、いいのか?」

「うん、ここに置いて行こう? 多分、エルさんたちに見せても混乱するだけだろうし……」

「まぁ、そうだな。ソフィアの言う通りだ……それじゃあ、行こうか」

「うん!」


 自分に掛けられていた毛布を丸め、ソフィアの背を負いながら部屋を出た。その後、同じ階にあるアレイスターに学長が呼んでいた旨を伝え、備品室に毛布を戻して学院を後にした。

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