5-19:通称アラン・スミスと呼ばれる男の身元調査結果 上
「僭越ながら、君に興味があってね……僕の方でも、勝手に調査させてもらった。その調査結果が、先ほどの魔術で君に渡したそれだ」
学長にそう言われて、初めて渡された資料に目を落とす――何枚かある資料は右下にページが振られており、真ん中には資料の番号である二三〇〇五と、以下の文字が見えた。
通称アラン・スミスと呼ばれる男の身元調査結果。
「……君は記憶喪失の状態で、レヴァル海岸に打ち付けられていたと……しかし、暗黒大陸に流れ着いた時には、航海士の服を着ていた。そのことから、ソフィア君は君をセントセレス号の船員であったのではないかと推察したわけだ」
「しかし学長、私は難破したセントセレス号で船員名簿を見ましたが、アランさんの名前は……」
「そう、無かった。しかし、アラン・スミスという名前が本当の名前だという確証は? 無いだろう。もしかしたら、知人の名前だったのかもしれないし、なにせ名無しの権兵衛君だ。記憶が曖昧な当時のアラン君の脳裏にたまたまその名が浮かんだだけかもしれない。
だから本当は、アラン・スミスと自称する何者かは、ソフィア君の推察通りにセントセレス号に乗っていたのかもしれないと思ってね。それで、船員名簿から、君の身体的特徴に合致するものがいないか調査してみたのさ」
言われるがままに紙をめくる――歯車が回る音が妙にうるさく聞こえだす――そこに記載されている名前はジョン・ドゥ――髪の色や背丈格好は、確かに自分のものと合致する。
「……ジョン・ドゥ、その彼の経歴もなかなか面白くてね。調査を進めてみると、実はそれも仮名であると判明した。本当の名はジャド・リッチーといい、一匹狼の暗殺者であるということが分かった」
もう一枚、紙をめくる――がち、がちと歯車の回る音が響く――リッチーの最後の依頼人は、セントセレス号の上級航海士の妻。浮気相手と再婚したいがために、家を空けがちな旦那を殺して財産を受け取り、そのまま未亡人となろうとしていたことの証言はすでに取れているらしい。
「……つまり、リッチーは自分の仕事のため、連絡船セントセレス号に航海士と偽って乗っていた。依頼は達したのか達さなかったのかは不明だが、レヴァルに向かう途中で魔獣に船が襲われて、リッチーは海へと投げ出され……そして海を漂流する間の酸欠か何かの要因から記憶を失って、レヴァル海岸へとたどり着いた。
暗殺者は、自身の身分を隠すため、また世間に溶け込むために仮の顔を何個か用意していると言うね。そのうちの一つの名前がアラン・スミスだったんじゃあないかな?」
もし、もしこの報告書が正しいとするのならば――確かに辻褄があうことは何点かある。自分が航海士の服を着ていたこと、暗黒大陸に流れ着いたこと、そして、自分が一匹狼の暗殺者であったとするなら、ある程度の索敵能力や短剣の扱い、投擲能力などがあってもおかしくはない。
ふと、レヴァルの武器屋でエルに言われたことを思い出す。
『……私はアナタのこと、暗殺者だと思ったのよ。記憶喪失は本当だとしても……もしかしたら、船の中にアナタの標的がいて、航海士に偽装して潜り込んでいたんじゃないかしら?』
そう、この報告書は、エルの推測がまるまる当てはまるのだ。
だが、それではまだ、この報告書を信じるだけの根拠にはならないはず――自分は実際に女神レムの声を聞いていたのだ。彼女は龍を討伐した後に、自分の手に文字を刻んで見せたし、また彼女の声が聞こえるというアガタだって、自分をレムが転生させたことを理解している。それに、自分の前世を知るべスターだって、ADAMsだって、確かに存在するはずなのだから。
だが、妙に口が乾く――何かおぞましい真実の一部が、この報告書には隠されてるている気がする。歯車の音がうるさい――定まらない視界の中、隣で誰かが立ち上がった気配がした。
「ちょ、ちょっと待ってください。それは学長の推測ですよね?」
「あぁ、その通り。別に事実とは限らない……だけどね、一個だけ確実なことは存在する。それは、アラン・スミスと名乗る男が、今この場に確かに存在しているということだ。
魔術で造られた物体は、元の世界へと還る……質量保存の法則に則ってね。そう考えれば、必ず彼のルーツはあるのさ。無から有を生み出すのは、七柱にすら不可能なのだから」
無から有を生み出すことは、七柱にすら不可能。つまり、何もない状態からレムが自分を転生させることはできないということか? 実際に、先ほど魔術で消えた石を見た――対する自分の体は、いつまでも消えない。
「……もし無から彼が唐突に生まれ出でたとするのなら、それはこの世界の創造神の力さえ凌駕した、何物かが作用したことになる。それこそ主神が? 馬鹿ぁ言っちゃあいけないよ、彼らは僕たちに対して原則として不干渉なんだからさ……。
そうなれば、君は一体全体何処から来たんだい、アラン・スミス」
名前を呼ばれて、俯いていた自分の顔が自然と上がる。そこには、時計の反対側から差し込む逆光で影になっている老人の、怪しく蠢き光る灰色の瞳があった。そして、口角が上がり――老人のわりに綺麗に生えそろっている白い歯が、こちらをあざ笑っているかのように見えた。
「僕ぁね、単純に、魔王征伐に急遽現れた正体不明の男の真実を知りたかっただけ……そして、それらしい結論は一応得た。だから満足しているよ」
そして学長は終わり、と言わんばかりに手をポンと叩いて見せた。
対する自分は、思考がぐるぐると回っている――自分は女神レムに蘇らされた、旧世界の何者か、それがクローンであってもいいと、そう思っていた。
しかし、この話は相当に荒唐無稽だ。もちろん、先ほど考えたように、自分とレム、また旧世界との繋がりを指し示す証拠もあるのは確か。一方で、無から有は生み出せず、自分がレヴァルにたどり着いたことはエルの推測に当てはまり、そして船にいた自分らしき人物は自分が自然と出来た技術を持っていても不思議ではない。
いや、自分はレムに蘇らせられたんだ――そう思っても、あの夕暮れに沈むセントセレス号の甲板が思い出される。あの時感じた既視感は、自分がジャド・リッチーである証左なのではないか? 女神の声が聞こえるのも、べスターの声が聞こえるのも全て妄想で、自分は一介の暗殺者であった可能性もあるのだ。
がち、がちと、歯車の回る音が自分の思考をかき乱す。仮に自分が本当は暗殺者であったとするのなら――決死の想いで、隣に座るソフィアを見ようとする。ダメだ、膝から上を、顔を見ることは出来ない――彼女は今、自分を蔑んだ目で見ているかもしれない。自分が人殺しであるとするのなら、もう彼女と共に歩む権利など無いのかもしれないのだから。
「……仮に俺がジャド・リッチーだったとして、そうしたら捕まるのか……?」
「いいやぁ、先ほども言ったように、君が確実にジャド・リッチーだと立証するのは不可能だ。それに、仮に君がリッチーだったとしても、世界を救ってくれた立役者を裁判にかけるなんてとんでもない……恩赦の一つでも下るさ。あくまで、もしかしたら君の正体はその人かもしれない、という可能性を伝えたかっただけだよ。
さぁ、僕からの要件は以上だ。もう下がっていいよ。僕は研究が忙しいからね……そうだ、帰りの駄賃に飴ちゃんはいるかい?」
そういう学長は、変わらず口元に笑みを浮かべて、飴を一つ差し出している。
「いや、遠慮するよ……」
「そうかい? 美味しいのに……それじゃあ、お疲れ様アラン君、もう二度と会うことはないだろうけど……ついでに、夜にディック君にここに来るように伝えておいてくれるとありがたい」
本の奥から手を振られ、自分とソフィアは学長の研究室を後にした。




