5-8:アレイスター・ディックとの再会 下
扉を開くと、中からは独特な匂いがして、光がちらついているのが見える――少しして匂いは机や椅子の上に詰まれた古書のもので、光は男の後ろから指す光が埃を照らしているのだと分かった。
「すいません、埃っぽくて……ともかく皆さん、お疲れ様です。旅はどうでしたか?」
相変わらず、アレイスター・ディックは温厚そうに微笑んでいた。
詰まれている本をどかしている間に、ディックがお茶を淹れてくれ、男は再び本が山積みの机に戻った。
「……旅先でのご活躍も聞いていますよ。カール・ボーゲンホルンの検挙に、道すがらに大量発生していた魔獣討伐もしてくれたようで」
「あぁ、どっちもソフィアが大活躍だったな」
「あはは、それは何より。アナタの活躍を師として誇らしく思っていますよ、ソフィア」
「先生、ありがとうございます!」
そしてしばらくの間、弟子から師にこの旅のことを報告する時間が続いた。ソフィアは嬉しそうに話しているし、同時にディックの方も我が子のことのように頷きながらその話を聞いていた。
話がひと段落したところで、ディックが「ところで……」と切り出し始める。
「……ソフィア、アナタのお母さまが、何度か学院に問合せしてきていましたよ。娘はいつ帰ってくるんだって……」
「あっ……はい……」
母という言葉が出た瞬間、先ほどまで生き生きとしていたソフィアの顔が曇ってしまった。それに対し、ディックも小さくため息をつく。
「……なかなか、ご家庭のことをとやかく言う筋合いもありませんので、これはあくまでも私の意見ですが……アナタは立派にレヴァルで務めを果たしましたし、立派に一人前です。ですから、もう少しワガママになってもいいと思いますよ?」
「あはは、そうですね……そうかもしれません……」
「でもまぁ、一度は顔を出して、きちんと話し合いをしたほうが良いでしょうね」
「はい。この後、帰宅するつもりではいました」
「そうですか……何かありましたら、私も協力しますよ」
二人の間で話が進んでおり、自分たちのつけ入る隙が無い。とはいえ、なんとなくだが推察は出来る。ソフィアの母親は、あまり良い親とは言えないのだろう。それがどのタイプの良くない、なのかまでは推察できないが――ともかく、それをディックは苦々しく思っているが、ソフィアはもう少し複雑な心境なのだと思われる。
「それで、えっと、シンイチさんは何処に居るか、先生はご存じでしょうか?」
「はい、彼は王宮の方に厄介になっているはずです……アランさん、これを」
ディックから差し出された封筒に身を乗り出して受け取る。何やら封蝋のなされた厳格そうな封筒だった。
「私からの紹介状です。それを王宮の門番に見せれば、シンイチさんと面会できますよ」
「あぁ、サンキューな」
「……あと、これも」
ディックはペンを走らせて判子を押し、また一枚のカード状の厚紙を差し出す。その紙は向こう一か月間利用できる学院の通行許可証のようだった。
「ソフィアが居れば、顔パスも出来ますが……別行動しているときに私の所に尋ねたければ、それを使えば中に入れます。もちろん、入れる場所は限定されますが、開架図書などの施設は利用できます」
「至れり尽くせりだな、ありがとうアレイスター」
「いえいえ、魔王討伐に協力してくださり、我が愛弟子がお世話になった方々です。これくらいの礼じゃまだ足りないくらいですよ。とはいえ、私にできることなど精々これくらいのもので……そうだ、ちょうど魔王征伐の祝賀パーティーが一週間後に迫っていますから、足らない分はそちらでもてなされてください」
その後、もう少し歓談をしてディックの研究室を後にし、学院の門から出るころには、すでに日も傾きかけ始めていた。
「……こりゃ、シンイチに会いに行くのは明日でいいかな」
「えぇ、そうね……どの道、王都に滞在するのに宿を手配しないといけないしね……せっかく長く滞在するなら、少し良い宿を取りたいわね?」
エルがそう言いながら財布の紐を握っているクラウの方を見る。
「そうですねぇ……長旅の疲れを癒すのにも良いでしょうし、この前の魔獣討伐で結構余裕もありますしね。ロイヤルスイートと言わないまでも、ちょっと奮発するくらいなら問題ないと思います」
長旅で意識と財布の紐も緩んだのか、クラウも良い宿を取るのはやぶさかではないようだ。そして、その奥でソフィアが腕をピン、と上げて自己主張している。
「それなら、貴族の居住区に近い所に宿を取ってほしいな。そうすれば、私も行きやすいし!」
「あ、そうですよね……ソフィアちゃんはご実家があるんですから、そちらに戻りますよね」
「うん、そうだね……」
「……別に、毎日だってこっちに遊びに来ればいいじゃない」
ソフィアの返事に元気がなかったせいか――むしろ、先ほどのアレイスターとのやり取りを見ていれば何かと察するだろう、エルもソフィアのことを気にかけているようだった。それに対してソフィアは「ありがとう、エルさん」と力なく笑っていた。
貴族の居住区の近くに宿を取り、明日は九時にロビーに集合とソフィアに伝えてその日は解散となり――。
そして次の日の朝、約束の時間を過ぎてもソフィアは現れなかった。
「うー……ソフィアちゃん、大丈夫でしょうか?」
豪華なホテルのロビーのソファーに座りながら、クラウがそう呟いた。エルも先ほどから所在なさげに時計をチラチラと見ている。すでに九時も三十分は過ぎ、互いに話すこともなくなって口数も減って気まずい空気が流れている。
「……どうする、アラン?」
「ソフィアの実家の場所が分かれば、殴りこみに行ってもいいんだが……」
「いや、どうするって聞いたのは私だけど、アナタはどうしてそう発想が物騒なのよ……単純に遅れているだけかもしれないでしょう?」
たしなめるようにそう言ってくるものの、自分たちの中でソフィアが一番時間を守るというか、なんなら集合時間に一番早く集まるタイプというのも知っているのだから、エルも何事かあったとは推測しているだろう。その証拠に、言った後にまた小さくため息をついている。
そして、ちょうどエルの呼吸にあわせて、宿の扉が開く。皆一様にそちらを向き――入ってきたのは初老の執事風の男だった。背筋はピンとしており、どことなく油断ならない厳格な表情で辺りを見回し、その男性はこちらを見て迷うことなく近づいてくる。
「……もし、アラン・スミス様ですか?」
「あぁ、そうだが……」
「そうですか……ソフィア様より伝言です。もう、アナタ方と行動することはありません、と」
「……はぁ!?」
思わず自分が男に掴みかかりそうになるのを、エルが腕で制止した。
「……違うでしょう? マリオン・オーウェル……ソフィアの母親がそう言ったのでしょう、訂正しなさい」
「……貴女は、エリザベート・フォン・ハインライン様……左様でございます、と言えば引き下がってもらえますかな?」
「それとこれとは話が別ね。ただ、あの子が言いもしない嘘を騙ったことだけは水に流してあげる」
「ふぅ……それでしたら、私から言えることはただ一つです。マリオン様がおっしゃったとしてもソフィア様がおっしゃったのだとしても、どちらの場合でも結果は変わりませんと……それでは、確かに伝えましたぞ」
男は吐き捨てるように言って、こちらに対して背を向けて歩き出す。
「……おい待て!!」
「待ちなさい、アラン。彼に食って掛かっても仕方がないわ」
「そうだとしても、せめてアイツの後を追えば、場所は……」
「オーウェル家の邸宅なんて、少し聞き込みすればすぐに場所は分かる。それに、殴りこみに行くには少し早いわよ」
エルと言い合っている間に、執事風の男がホテルから出て行ってしまう。とはいえ、場所が分かるのなら、アイツを追う理由もない――ここはひとまず、エルの意見を聞くことにしよう。
「……なんでだ?」
「ソフィアが私たちと行動しないというのはあり得ないとしても、ソフィアの気持ちが分からないもの……いいえ、正確に言えば、あの子が自分がどうすべきと思っているか、ね。もしかしたら、あの子は自分の意志で、ひとまず母親の言いつけを守っているのかもしれない。それなら、まだ私たちが手を出すには少し早いわ」
「それは、そうかもしれないが……」
「ふぅ……あの子のことになると必死ね、アナタ」
そこまで話して、エルはソファーから立ち上がった。
「もちろん、手をこまねいて待っているだけとは言わないわよ。アレイスターの所へ行きましょう……多分、彼はこれを見越して、私たちに通行許可証を渡していたのよ」
なるほど、確かにそうかもしれない。そう思い、昨日受け取った通行許可証をポケットから取り出して眺め、自分もソファーから立ち上がることにした。




