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5-4:咎人の謝罪 下

 クラウに補助魔法をかけてもらいつつ、ソフィアの明かりを頼りに、教会の裏手の山の中を進んでいく。先ほどは無くても大丈夫とも思ったが、やはり明かりがあれば足元の危険が少なくなり、動きやすいのを実感する。


「……アラン、何か気配は?」

「幸い、この辺りには魔族や魔獣はいないみたいだ」

「そう、それなら、外敵による危険はないかしらね」


 隣を走るエルが、前を見ながらそう呟く。外敵による危険はないが、寒さと――あとはジャンヌ本人の意識に危険性がある


 しばらく獣道を登り続けると、樹木を抜けて拓けたところに出た。視界の先に、ジャンヌの背中が見える――その更に先には、黒い雲とちらつく雪が舞っており、遮るものは何もない。彼女は崖際に立っているのだ。


「……来ないで!!」


 こちらの接近に気付いたのか、ジャンヌは振り向き、青白い顔で顔でこちらを見ながら叫んだ。その瞳は、幾分か狂気を孕んでいるような――あの地下で見たものに近い雰囲気があるように思われた。


「……感謝するわ、クラウディア……貴女のおかげで、思い出すことが出来たのだもの……でも、もう限界……七柱の力が、私を再び塗りつぶそうとしている……いいえ、もう恐らくは……」


 女は低い声でそう言いながら、一歩後ろへ下がる。


「ジャンヌさん、待って……」


 自分の横から、クラウが手を伸ばしながら一歩進む。しかし、ジャンヌはその制止も聞かず、また一歩と後ずさった。 


「……今更謝っても遅いけれど、ごめんなさい……私は、私の自由な意志で生きたかっただけ……その我儘で、多くの命を奪った償いは、今……」


 ジャンヌの体が吸い込まれるように後ろに倒れ――気が付けば、自分は奥歯を噛んで前へと走り始めていた。しかし、命の危険が無いせいか、ADAMsは発動しない。


 それならば――自分の身を命の危険に晒せばいい。ジャンヌの体が見えなくなった崖下に、ブレーキを掛けることなく自分も飛び出す。


『……お前はやはり馬鹿だな』


 その声が聞こえた瞬間に、再び奥歯を噛みしめる。加速した世界の中、まだ崖下まで堕ちていないジャンヌの体を見据えて、突き出している枝を蹴って、自由落下を超える速度で谷底へと下っていく。


 積雪が有る物の、ジャンヌが身を投げた断崖は岩肌が露出しており、頭から落下したら即死は免れないだろう。女が地面に頭部をぶつける直前でこちらが先に着地し、そのまま一気に地面を蹴って、首から支えるように落下するその体を受け止めた。


 世界に風の音が戻ってくるのと同時に、腕に凄まじい負荷が掛かり、自分の体も一気に地面に叩きつけられる。雪が幾分かクッションにはなってくれたものの、押しつぶされた自分の腕の骨は思いっきり砕けただろう――同時に、加速の代償として全身にも痛みが走り、自分もそのままジャンヌの体を覆うよう、雪の中に顔面から倒れ込んでしまった。


「……アラン君! 無事ですか!?」


 結界を使っていち早く降りてきたのだろう、クラウがすぐに追いついて来てくれた。


「ちょっと、ティアと交代します……すぐに回復魔法を……アラン君、全く無茶をするね」


 ティアの回復魔法に全身の痛みが引き、腕の力も戻ってきた。思い返せば、肺が潰れても回復できるほどの魔法なのだから、腕の骨折くらいは朝飯前か――ともかく、雪の中から顔を出し、袖で顔を拭って横たわっているジャンヌを見た。


 自分が落下の衝撃を丸々受け止めたおかげで、彼女の体には傷一つない。


 しかし――。


「……アランさん! 大丈夫!?」


 しばらくして、エルと一緒にロープで降りてきたのだろう、ソフィアの声が背中に当たった。しかし、それに振り返る気力はわかなかった――虚ろな目で、中空を見つめている、ジャンヌ・ロベタから眼を離せなかったからだ。


「……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」


 うわごとの様に繰り返される言葉、これを自分は見たことがあった。


 解脱症に掛かったジャンヌを背負い教会に戻って事情を話すと、司祭は諦めたように小さくため息をついた。


「……遅かれ早かれ、こうなる運命にあったと思います……ペトラルカ様からの書状に、恐らくいずれ発症するとは書かれていましたから……アナタ方も、どうかお気になさらず……」


 そして次の日になっても、やはりジャンヌは元には戻らなかった。昨晩ほど酷くないものの、たまにうわごとの様に誰かへの謝罪を繰り返していた。


 村を発ってからも、しばらく自分の頭の中で一つの議題が繰り返されていた。それは、ジャンヌを受け止めたことは、果たして正解だったのかということだ。


 確かに、彼女の命は救えたのかもしれない――いや、アレでは命を救ったとは言えないか。彼女の肉体が砕けないように受け止めただけだ。もしあの時、自分が彼女を受け止めなければ一つの命がこの世界から散っていたのだが、同時にジャンヌは人としての最後の尊厳は保てたのではないか?


 そう思えば、結局彼女を受け止めたことなど、ただの自己満足にしかならない――しかし同時に、あそこで彼女を見捨てたとするのなら、また後悔をしていたようにも思う。そう言い聞かせて自分の心を鼓舞しようとするが、結局はすぐにまた後悔が戻ってきて、思考が袋小路に詰まってしまっている状態だった。


「……はぁ、アナタ達、いつまでそんなしょぼくれた顔をしているのよ」


 幾分か前を進んでいたエルが、大きくため息を吐きながら振り返ってきた。アナタ達、と言うのは、今回の件で悩んでいるのは自分だけではないということの証だ。クラウはクラウで、地下でのことを話してしまったのがきっかけで今回のことを引き起こしたと気に病んでいるようだった。


「……まぁ、気持ちは分からないでもないけれどね。でも、解脱症が絶対に治らないという確証だってないじゃない。もしあそこで彼女が死んでいたら、そのチャンスすらなかったんだから」

「……そうだな」


 解脱症に罹った人間は元に戻らないと言ったのはエル自身だったように思うが、それは今までの話。もしかしたら、今後治る可能性だって出てくるかもしれない――それはそれで、ジャンヌには辛いことを思い出させることにはなるかもしれないが、もし治るとするなら今のままよりはマシだろう。


 そうだ、確かにエルの言う通りだ。肉体を救っておかなければ、治るという可能性に賭けることすら出来なかったのだから。エルに激励されたおかげで、自分は少しだけ気分も晴れた。改めて顔を上げると、エルはクラウの方を見ている。


「クラウ、アナタもよ。自分が記憶を無くしたして、知っている人がいれば聞きたいって思うのは当然……彼女の立場になって考えた時に、少しくらいは伝えてあげてもいいでしょうって、アナタなりの優しさだった訳でしょう? 私はそれを悪いとは思わないわ」

「でも、アラン君が話さないって言ってたのに……」

「あの時点では、どっちが正解だったかなんて誰にも分からなかった。だから、アナタもそんなにしょげることはないの」

「そうですね……」


 クラウはまだ納得しきっていない様子だったが、それでも人からフォローが入ったことで、幾分かは生気を取り戻したようだった。


「それで、ソフィアは……アナタはなんでそんなに落ち込んでいるのよ……」


 そう言いながら、エルは自分よりも更に後ろを見つめた。自分も振り返り見ると、ソフィアは杖を固く握り、俯きながら歩いているが――ソフィアが落ち込んでいる理由、というより正確に言えば不安になっている理由はなんとなくだが分かる。


 ソフィアはジャンヌの姿に、自分を重ねてしまっているのではないか。彼女自身、解脱症になりかけたことを明確に覚えているわけではないのだろうが――それでも、人の記憶が塗り替えれれ、最後には人格の破局を迎えるかもしれないという事実に直面し、これが全く自分の身に降りかからないとは聡明な彼女には思えなかった、そういうことなのだろう。


 ◆


『……アガタ、ジャンヌ・アウィケンナ・ネストリウスが解脱症を起こしました』


 走る馬車の中で目をつぶっていると、聞きなれた女神の声が脳内に響いた。


『……そうですか。きっかけはクラウディア達ですか?』

『えぇ……』

 

 それならば、ひとつレムの目的は達せたことになるが、ジャンヌには酷なことを強いてしまった。記憶が改竄されていることだけ見てもらえば良かったのだが、引き合わせれば相応のリスクもあったのは確か。しかし、解脱症を見たとなれば、この世界の歪みを彼はいち早く認識できるだろう。


 記憶や意識を改竄されたものは、結局何かがきっかけで解脱症を引き起こす。如何に記憶を弄んでも、自身が刻んできた世界への影響の全てをなかったことには出来ない――ふとしたことで戻る本当の記憶と、それを無かったことにしようとする強制力との間で自己矛盾が起こり、人としての人格が破局を迎え――最後に強く思い描いたことをうわごとの様に繰り返す、それが解脱症だ。


 この世界の人間たちは、七柱の権限により記憶と意識の改竄が可能である。我々レムの民は七柱創造神の被造物――神々は、その気になれば我々の全てを管理できる。確かに人の意識を管理しているのはレムだが、改竄自体は七柱すべてが権限を持っている。


 記憶の改竄を受ける人間は、この世界の真理に近づいたものが多い。そのため、平民階級で受けるのは稀で、基本的には知識階級、とくに学院の関係者に多く、次点で信仰に疑問を持った教会の関係者と続く。


『……そういえば以前、ソフィア・オーウェルが発症しかけていたと言っていましたね? 彼女の記憶も改竄されていたのですか?』

『……私の方では、それは認識していなかったの。それで驚いて、私の権限で彼女の思考の強制力を弱めて、事なきを得たのだけれど……』

『貴女様が認識しておられないということは……ルーナですか?』

『いいえ、彼女にはそれをする理由が無いもの……恐らくは……彼でしょう』


 その彼とは、自分がクラウディアに異端の濡れ衣を着せてでも、自分が此度の魔王征伐に参加しなければならなかった理由そのモノだ。その者の名は――。

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