4-41:二人部屋 上
逃げるように乗ったエレベーターの中で、荒くなった呼吸を整える。すでにべスターの声は聞こえなくなっており、落ち着いたタイミングでアガタに声を掛けることにした。
「……なぁ、さっきのはなんだったんだ?」
「それは……アランさん、もう少しお時間ありますか?」
「あぁ、問題ない」
返事を返すと、アガタは壁をタッチする。すると、下がっていたエレベーターが再び上がり始め、少しして新たな階層への扉が開いた。そこは居住区といった趣で、円形のロビーの四方にそれぞれ四つの扉があるようだった。
アガタが一つの扉を開き、自分もその中へと入る。扇状に広がる部屋の奥は薄青い窓ガラスになっており、ちょうど大陸側を見渡せる。絶景をなるべく近くで見たいと窓の方へと行くと、眼下にはジーノの街が広がっており――ここも相当高い場所なのだろう、遠景の山々まで見渡せるほどだった。
「……ここが、教会での私の部屋です。ここなら、ルーナ神の介入なく、少しのんびり話せますよ」
そう言いながら、アガタは部屋の隅にあるカーテンを手で引き始める。自分もそれに合わせてもう片側のカーテンを引くことにする。絶景は名残惜しかったが、恐らくは部屋を見られないようにするための処置だろうから、協力することにしたのだ。
カーテンが引き終わり、一つの椅子を壁の方からアガタが持ってきて机の前に置いた。そこに座る様に促されてたので腰かけて、改めて部屋の中を見渡す。ベッドに机が一つずつ、備え付けの水回りもあるような、この世界の基準で言えば恐らく豪華な部屋だ。しかし、一人で使うには少々広過ぎるような気もする。
視界を一周させると、ちょうどアガタもカーテンを背に腰かけているところだった。
「さて、さきほどのことですが……アランさんの精神に対して、セレナは魅了の干渉を行っていたようですね。もちろん、私の方で解呪しようとしていましたが、アランさんが事前に勝手に解いてしまうものですから、少々緊張した場面になってしまいました」
「あぁ、それは……悪かった?」
「いえいえ、むしろよくご自分で解除なされました……感心しましたよ」
アガタは話しながら、ペンと紙を机から取り出して筆を走らせ始める。
「何を書いているんだ?」
「請願の受理証明です……レムに確認してみたところ、あの書類は偽装です。ですから、私の方で……レム派の方で聖レオーネ修道院の保守費に関しては手続きを進めておきます」
「なんだ、それじゃとんだ茶番に付き合わされたわけだな……」
「いいえ、茶番ではありません。セレナは貴方のことを原初の虎と呼んでいました。恐らく、レム神が貴方を転生させたことにルーナ神は気付いており、それの邪魔をしようとしてきたのか……はたまた、貴方を懐柔しようとしていたのでしょうから」
幸い向こうの準備が甘かったため、その場を凌ぐことは出来ましたが――そう続けているうちに、アガタの筆が止まった。
「……それじゃあ、まさかの虎穴に入っちまったわけだな」
「虎が虎穴に入るとは、草ですわね」
アガタはそう言って口元を抑えて笑う。笑っていること自体は隠している訳ではない、単純に上品さから口を隠しているだけ――つまり、旧世界のスラングを知っていることを、もはや隠していない訳だ。
「……その言葉遣いは、レム譲りか?」
「えぇ、そういうことです……幼いころからレム神の声を聴いていたせいで、下品な表現も少々身についてしまって、これがなかなか癖が抜けず……」
幼子になんてことをしてくれたんだあの女神、そう心の中で突っ込みつつも、レムが自分に対する態度とアガタに向ける態度では、また異なるのだろうと思った。自分に対してもレムは割と砕けた対応はしていたものの、まだ丁寧な感じは崩していなかったように思う――そう思えば、本当はもっとユニークな女神なのかもしれないし、レムは自分以上にアガタに対して心を許しているということなのだろう。
同時に、先ほどの件で一つ確信したこともある。自分が元々、レムによって生み出された存在だからレムに親近感があると言えばそれまでかもしれないが、ルーナ派はやはりどことなく胡散臭く感じられたということだ。
「……なぁアガタ、もしかしたらなんだが……ルーナ神からクラウを引き離すために告発したのか?」
「なぜそのようにお考えになったのです?」
「ルーナ神は、流石に信用できないからな……その実態を知っているアガタが、なんとか友達を悪い宗教から脱却させよう、みたいな感じなのかと思ったが……また黙秘権を使うか?」
こういう込み入った話、とくにクラウに関係することは答えてくれない可能性もあるかと思ったが、アガタは珍しく首を横に振ってくれた。
「いいえ、今回ばかりは明確に否定いたします……ルーナ神が信用できないのは私も同感ですが、だからと言って信教は人の自由ですし……実際、私はルーナ神自身が良い神だとは思いませんが、ルーナ信仰自体は問題ないと思っています」
「はぁ……? なんだか難しいな?」
「ルーナ神を信じている皆さんは、実態のルーナ神ではなく、虚像を信仰しているのですよ。神話に語られる慈愛の神、教会に佇む優しい表情をした女神像、それらを信仰するのは、人の心が博愛を希求しているからに他なりません。その博愛を慈しむ心を、私は否定する気はない、そう言いたいのです。
それに、流石に友人の目を覚まさせるにしても、異端審問に掛けられるようなやり方は雑過ぎます」
「そうだな……要は、もっと大きい意志が動いていたってことだよな?」
そう、流石に本気で、ルーナ神からクラウを引き離すためだけに告発したとは思っていない。恐らく、レムからの指令があったはず――ここまで追い詰めてやっと観念してくれたのか、はたまたレムからの了承が出たのか、アガタは小さくため息をついて頷いた。




