4-39:月の巫女 上
海と月の塔へ向かう橋には、人通りがほとんどない。橋の入り口に憲兵のような者たちが立っていて、それをアガタが事情を話して自分だけ着いて行く旨を伝えると、あとは人っ子一人いない状態だった。
無言で歩いていれば自然と潮騒の音が聞こえるのみ。とはいえ、ここまで黙っていたのは、人っ子一人いないこの空間に、確かな気配を感じるから――橋を支える柱の後ろなどに、恐らくこちらを監視している者たちがいる。
「……アランさん、もう少し近寄ってください。風の音が騒がしいですから……」
その言葉だけ切り取るとなんだかカッコいいが、要するに小声で話せという事だろう。言われた通り、アガタに近寄ってから声をかけることにする。
「……アイツらはなんだ?」
「教会の総本山ですから、不審な輩がいないか常に見張られているのですよ……ルーナ神には、人の心を覗く力はありませんから」
「……なるほどね。それにしても、まさかあの騒々しい街で再会なんて奇遇なんてもんじゃないな……レムの指金か?」
「指金とは人聞きの悪い……教会に立ち寄ってくれたというのはレムから聞きましたが、声を掛けたのに深い意味はありませんよ。まぁ、アランさんにはレムからの言伝があったので、ちょうど良い機会ではありました」
風の音がより一層強くなり――アガタは人差し指でこちらへ、とジェスチャーを取ってきた。それに従い、相手の身長に合わせて少し身をかがめて、自分の耳を彼女の口元に近づけることにする。
「……通信は、今だ回復は難しいです……なので、今しばらくはお声がけできませんが、引き続き世界を回ってくださいと。あと、ホークウィンドですが……彼もまた、アランさんの推察の通りゲンブの仲間で、旧世界からの来訪者であると」
「なぁ、アイツらにはエルが狙われているんだ……その理由は分かるか?」
「……いいえ、私は伺っておりませんので、分かりません」
「嘘だな、表情がこわばっているぜ」
根は実直なせいか嘘をつくのは苦手なのだろう、アガタの表情は硬い。
「レムには魔王を倒したら、全部話すって言われていたんだ。それなら、これくらい答えてくれたっていいんじゃないか?」
話す気はない、ということなのだろう。アガタは瞳を固く閉じてまっすぐ歩いている。
「はぁ……言いたくないことばっかりかよ、この世界の連中は……まぁいいや、それでアガタは教会に戻って何をしてたんだ?」
「魔王討伐に関する報告書の作成と、ジャンヌ・アウィケンナ・ネストリウスに関する手続きをしておりました」
「……ジャンヌは、どうなったんだ?」
「それは……」
隣を見ると、アガタはまたかたく瞳を閉ざしている――もしかすると、レムの声を聞いているのかもしれない。
「……山奥のサンシラウという村で静養しています。此度のケースは、ネストリウスの孫である彼女が魔王につけこまれ、操られていたにすぎないと……」
「はぁ……」
いや、アレは彼女の本意から魔王軍に与していたように思うし、まさか異端審問にかけられもしなかったとは少々意外だった。いや、正確には異端審問にはかけられたのだろうが、想定していた結果にはなってなかったということか。
とはいえ、少しほっとしている自分もいた。彼女がやったことは許されるものではないが、いたずらに命を奪われるより良いだろう――死んだって償えないこともある。生きて償うのも、また罰なのだろうから。
「……サンシラウの村は、王都に向かう途中にありますから、良かったら会いに行ってみてください」
「うげぇ……それは大丈夫なのか? めっちゃ恨まれてそうだが」
「いいえ、大丈夫ですよ」
「いや、大丈夫って……」
「《《大丈夫にしたんです》》。だから大丈夫ですわ」
そう言うアガタの表情は、ぞっとするほど冷たかった。それにこちらが少々物怖じしたのを察したのだろう、アガタは伏し目がちに頭を垂れた。
「……ごめんなさいね。ともかく、見に行った方が早いと思いますよ」
「……あぁ、了解だ」
その後は無言のまま、風の吹く橋を渡り切り、巨大な塔の入口をくぐった。教会の中に入ってからも、中は伽藍としている――多くの聖職者がこの中で生活しているはずなのに、人は視界の中に片手で数えられるほどしかいない。とはいえ、やはり総本山とだけあって装飾などは荘厳で、三階分の吹き抜けの天上一杯に宗教画らしいものが描かれている。
「……学区や食堂、生活関係の施設は、四階から二十階までに集まっています。その上は、聖職者たちの居住区で……手続き関係などは、一階から三階で行えます。さぁ、こちらへアランさん」
アガタの後について階段を上がり、吹き抜けの三階に到着する。その背を追ってまたしばらく進んである一室に入ると、そこもまた直方体の殺伐とした空間だった。三方を白い壁に囲まれたなかなか広い部屋で、正面もまた白いのだが、恐らくマジックミラーなのだろう、こちらからは向こうが見えなくなっている。
アガタはガラスのほうまで進み、壁に備えられたカウンターに肘を掛けると、そのまま中指の背でガラスをノックする。よく見れば、細かく穴が開いており、カウンターの部分に引き出しがある。アレで手続きなどをするのだろう。
「こちら、アガタ・ペトラルカです。聖レオーネ修道院の修繕費に関する請願書を持ってきたのだけれど」
「……はい、それでは引き出しに請願書を入れてください」
「いいえ、その前に状況を確認したいです。レオーネ修道院からは、何通か請願書が送られてきているらしいのだけれど、それはきちんと受理されて、給付の準備の方は進んでいるのかしら?」
「確認いたします……少々お待ちください」
「えぇ、お願いね」
そのやり取りのあとも、なかなか返事は返ってこない――あまり離れているのも気まずいというか手持ち無沙汰というか、ともかくアガタの隣に並んで返事を待つことにする。恐らく前世の感覚でいうところの防弾ミラーに隔てられているから、向こうの様子はイマイチ分からないが、小さく開いている穴から小声は聞こえ続けてきている。
そして数分待って後、やっと誰かが再びミラー越しまで移動して来る気配を感じた。
「……アガタ・ペトラルカ様。月の巫女がお呼びです。お連れの方と一緒に教皇の間に移動してください」
「はぁ? 私は、請願書の手続きをしに来ただけなのだけれど……」
「教皇の間に移動してください。それでは」
そう言葉が切られて後、ガラスの向こうにあった人の気配が消えた。アガタは自分の方に振り向いて嘆息しながら、大げさに肩をすくめてみせる。
「……ルーナ派の書状を、なんでレム派が持ってきたのかって訝しまれてるのか?」
「まぁ、それもあるでしょうけれど……他にも色々と理由はあると思いますよ。まぁ、ご招待預かったのです、アランさんも参りましょうか」
アガタは自分の横を通り過ぎ、またスタスタと歩き始めた。自分もその背を追いながら、月の巫女とやらに呼ばれた理由を考えてみる――本来なら世俗と関係性をなるべく断っている教会のそのトップが、一見世俗にまみれている自分を通す理由を考えれば、恐らく自分の存在を月の巫女、ないしルーナ神が確認したいということなのかもしれない。
三階の吹き抜けの中央へと続く橋を渡ると、教会のど真ん中を突き抜ける巨大な柱部分まで到着した。アガタが壁の一部分を押すと、柱に細く光が走り、壁の一部分が開く。
「……エレベーターだな」
「えぇ……さ、アランさんも」
すでに乗り込んでいるアガタを追って、エレベーターに乗る。再びアガタが内部の壁を数回指で押すと、白い壁の密室が中々の速度で上へと登り始めた。
「……教皇の間とやらは、何階にあるんだ?」
「まぁ、それは月の巫女がおわす場所ですから、なるべく月に近い所……ですわ」
言葉は丁寧だが、声色はやや忌々し気だ。アガタの言うように、エレベーターは長々と時間を掛けて上がっていき――そして扉が開いた先は、薄暗い空間だった。まさか、本当に成層圏を突き抜けて宇宙まで来たわけでもあるまい、恐らく明かりが無いだけだ。
また、この空間には恐らく、自分とアガタを含めなければ四人ほどの気配を感じる――うち、二名分はなんとなくだが違和感がありつつ、懐かしい感じがする――悪意と言えば悪意なのだが、そうとも言い切れぬ何か。殺気と言えば殺気だが、生物が自然と発する物とは少し違う何か――ともかく、油断は出来ないだろう。
「……そう身構えるな、アラン・スミス……取って食おうというわけではない、妾は歓迎しておるぞ?」
鈴の音の様に涼しい、同時に人を小馬鹿にしたような調子の声が、正面から聞こえてくる。そして、空間が一斉に明るくなり――どうやら、回りをカーテンで仕切っていたらしい、それらが円形である部屋の形をなぞる様に左右に開かれていき、正面には祭壇が現れ、そしてその奥に声の主が鎮座していた。




