4-37:海都ジーノ 上
教会の総本山のある海都ジーノへは、聖レオーネ修道院より南西に徒歩五日という距離。王都の方角と少しズレるものの、これも数真っすぐ向かうのと比較して数日の寄り道で清む程度らしい。
海都に近づいていくと、次第に遠方からも視認できるほどの巨大な人工物が見え――海岸沿いを進んで街が見える距離になってくると、その人工物の正体が明らかになった。
「……天を衝く塔……」
遠くからは目の錯覚かと思っていた長い棒が、実際には天上の果てまで見えないほどの高さを誇る塔だったとは。しかもアレ、基盤はどうやら地面でなく、海上にあるように見える。
塔を眺めてぼうっと歩いていると、後ろにいたはずのソフィアとクラウがそれぞれ自分の左右に並んだ。
「……海都ジーノは、教会の尊本山である海と月の塔に隣接する形で栄えた街なんだよ。同時に、南の大陸との交易も盛んで、商売の街でもあるんだ」
「海と月の塔は、人々の信仰のために女神ルーナによって作られた塔です。そしてその名の通り、海と月とを結ぶ……なので、女神ルーナと女神レムが同時に奉られている場所なんです。あの塔の麓、地上百階くらいまでが主に教会の本部として使われています。天を衝く塔からは、月の巫女や異世界の勇者が降り立つのです」
「ふぅん……」
この世界が仮に自分が住んでいた時代よりも未来だというのなら――本来なら全てが発達しているべき中で、惑星を丸ごとテラフォーミングするほどの技術を七柱が本当に持っているというのなら――アレはさしずめ、自分の生きた時代にすら存在しなかった軌道エレベーターとでも言うべき存在なのだろう。
とはいえ、外観は露骨に機械感がある訳でもなく、青い神秘的な外壁に包まれている。アレならば神が建てた塔と言われれば、この世界に来たばかりの自分でも信じたかもしれない。
「逆に、地下の方はどうなってるんだ?」
「えぇっと、言い伝えによれば、海底まで塔は伸びているらしいのですが……実際、地下への道は無かったので、本当にあるかは不明ですね。でも、天上からはルーナ神の、海底からレム神の詔がそれぞれ出されているらしいです」
「なるほどな」
上が軌道エレベーターなら、下に海底エレベーターがあってもおかしくはない。しかし、クラウは一時でも教会内でそれなりの立場があったはずだから、それでも知らないなら恐らくほとんどの人間に聞いても分からないだろう。もちろん、肝心のレム本人に聞けばすぐわかるのかもしれないが、未だに連絡は途絶えたままだ。
海都に入ってからは、ここは今まで見た中で一番活気のある街だという印象を受けた。もちろん、魔王を倒して平和が訪れたというのもあるだろうが、それにも増して人々の顔に活力があり、同時に多くの人々が入り混じっている。
ぱっと見で、人種も多い。中には、今までほとんど見なかったエルフや、ドワーフ――背が低く、恰幅の良い外見から恐らくそうだと認識しているだけだが――なども見られる。
「賑やかな所なんだな」
「そうね。ソフィアも言っていたけれど、ここは交易の要でもあるから、南大陸に住むエルフやドワーフも自然とここに来るのよ」
今度は、隣を歩いていたエルからガイドが入った。
「へぇ、話はズレるが、エルフやドワーフなんかは南大陸とやらに住んでいるんだな」
なんとなくだが、エルフやドワーフというとむしろ北の僻地とかに住んでいそうなイメージがあるが――そう思っていると、エルが頷いた。
「えぇ。エルフの住む世界樹とドワーフの住む山地がそっちにあるのよ。とは言っても、レムリアから見たら奥地だから、そんなに積極的な交易はないけれどね」
「なるほどな」
返事を返し、改めて辺りを見やる。白煉瓦を基調とした街並みは美しく、人々の活気と合わせてなんだかワクワクするような情景だった。これは海側に出れば、もっと綺麗に違いない――そんなことをボンヤリと思っていると、喧騒の中からクラウがうろたえる声が僅かに聞こえてくる。
「そ、ソフィアちゃん、あんまり離れないでください……迷子になるぅ……!」
振り向くと、ソフィアのケープの裾を掴んでいるのが見える。
「それは、構わないけれど……クラウさん、海都は流石に私より詳しいんじゃ?」
「ほとんど教会に缶詰めで、あんまり外は出歩いていませんでしたから……たまに出歩く時には、アガタさんと一緒だったので……」
得てして、道案内を他人に任せている時は道を覚えないものだ。というか、方向音痴でなくとも、この人ごみの中ではぐれたら厄介だろう。そう思ってエルを呼び寄せ、後ろの二人に歩調を合わせながら進むことにする。
「というか、冷静に考えれば、クラウはこの辺りをほっつき歩いていても大丈夫なのか?」
「えぇっと、それは大丈夫だと思います。私は、ルーナ神から破門宣告を受けただけで、レム神からは認められてますし……まぁ、ルーナ派の偉い人に出くわしたり、塔内に行かなければ問題ないかと」
それに、教会の人はほとんど塔から出ない、と付け足された。それなら、確かに大手を振って歩いていても問題なさそうだ――当の本人は自分より小さな女の子におっかなびっくり着いて行っている形ではあるが。
ジーノの駐屯地は、大通りから海沿いに出た場所、海と月の塔へと続く橋の近くにあった。しかし、街の規模と比較して、大分建物の大きさが小さい。中へ入ってソフィアが受付と話をしている間に、クラウに質問してみることにする。
「なぁ、ここの駐屯地って結構小さいよな?」
「えぇ、そうですね。ジーノに関しては、やはり教会の影響が強いですから……教会が僧兵を持っていますし、結界を作成することも可能です。
そのため、学院との最低限の連絡をするための支部としてあるだけで、他の街のように治安維持に軍が影響力を持っていないので、小さいのではないかと」
雑談しているうちに、受付の方からソフィアが「ダメだったよー」と眉をひそませながら戻ってきた。
「やっぱり、世俗のことでこちらから教会にコンタクトを取るのは難しいみたい」
「とは言っても、修道院は教会と繋がりはあるんだろ?」
「うん、でもそれを学院が仲介するのは難しいかなぁ……」
「そうなれば、教会内の当てになりそうな人に頼るしかなさそうだが……」
クラウの方を見ると、明らかに沈んだ表情をしている。そもそも何か伝手があったら、ソフィアに頼んでいないだろう。それに、元々クラウはルーナ派であり、そちらの知り合いは多少いるかもしれないものの、その者たちがこぞって破門してきたのだから頼れそうもない。
「うーん……何か学院側から要件があれば、それに合わせて中に入るくらいは出来ると思う。ステラ院長がお手紙出していたことの確認や、新しいお手紙を出すのは難しいかもしれないけれど……」
「……それに、少し考えれば良い案も出るかもしれないわ」
ソフィアとエルが沈むクラウに声を掛けている横で、自分の方は一つ気配を察知する――殺気ではないものの、明らかにこちらを見ている気配。その気配の正体をたぐるべく、窓へ近づくと、ガラスの向こうに薄紫髪の少女が一人、巨大な塔の基幹部分を背後に立っているのが見えた。
どうして自分たちがここにいるのかを彼女は知っているのか。そういえば、レムは自分のことを見ていると言っていたし、同時に彼女にはレムの声が聞こえる。それならば、わざわざ声を掛けに来たということになり、恐らく今回の件に協力してくれるつもりなのだろうと思われた。




