1-14:結界と魔獣 下
遺跡に一歩足を踏み入れても、中はなかなかに明るい。木漏れ日が枝葉の間から射しているからなのだが、なかなかに幻想的な雰囲気になっている。これで中に魔獣なんぞいなけれな最高なのだが。
壁も崩れており、所々にイヤに大きい蜘蛛の巣が見える。元々の間取りはよく分からないが、入口からして狭いということもあるまい、おそらくここは大講堂のような場所なのだったと推察される。
意識を集中し、敵の気配を探る。呼吸、心音、匂い、視線、そして空気の動き――そういったもの全て――微細なものも逃さぬように、神経を尖らす。
「……右手の通路に二体、さっきの奴くらいの大きさのやつ。あと、この広間の奥に一体、これが多分ボスだ」
「他に気配は感じますか?」
「恐らく無い……とはいえ、デカいやつの後ろに潜んでいたら、分からんな」
「それなら、まず右手を当たりましょう。挟撃されたら厳しいですし、逆に挟まれさえしなければ、何とかなると思います」
「あぁ、分かった」
少女のほうを振り向いてから頷き、通路のほうへと進む。元々は兵舎か何かだったのか、両面には腐り穴の開いた木製のドアが定間隔で並んでいる。もっとも、大半のドアはすでに無く、部屋と通路を隔てるものも無くなっているのだが。
「ここから数えて、右手三番目の部屋の中に一体、左手五番目の部屋の中に一体だ」
「同時に来るでしょうか?」
「多分な」
「それでは、手前側の足止めをお願いします。危ないと判断したら、全力で逃げてください」
「いや、そういうわけにも……」
「大丈夫です。近接戦闘にも、切り札がありますから」
ソフィアの切り札は、ハッタリではないだろう。最初、一人でも超巨大な魔獣を相手にする気だったのだから。
「ちなみに、その札は何回切れる?」
「……一回です」
「それなら、俺も気合入れないとな。ボスに取っておきたい」
切り札も出し渋ると結局使わないのかもしれないが、今回は小隊を組むレベルが相手、それなら、ここぞという所にまで温存しておくべきだろう。
「それじゃあ、いくぞ」
ソフィアが頷き、こちらは盾を構えて剣を抜き、前へと進む。先ほどはソフィアの攻撃で瞬殺されていたので、魔獣とやらの外見はほとんど視認できなかったが――しかも、さっきは屋外だから飛び道具でけん制できたが、今度は壁のせいもあってそうもいかない。
あと一歩、その間合いまで進み、一度振り返る。ソフィアは杖を構えて、左手の壁際のほうへその先端を向けた。それを見て、こちらも一歩、敢えて足音を立てて進めた。
その瞬間、通路に二体の魔獣が姿を表す。それは、なんとも形容しがたい見た目をしていた。依頼にあったように、強いてを言えば蜘蛛型、というのが近い。その理由は、足が八本だから、それだけである。
魔獣は高さだけで一メートルは超えており、足の幅で考えれば全長は三メートルは超えているだろう、これだけでかなり巨大と言える。そして、本来生物というものは――とくに、ある程度の大きさを持ち、大気の元にいる生物ならば――甲殻か、体毛か、皮膚か、いずれかに覆われているのが一般的と思う。しかし、目の前の敵は、筋肉がむき出しになっているようで、体中が気味悪く赤く蠢いている。それは、蜘蛛というより宇宙生物という方が正しい気もする。そしてその魔獣が高速でこちらへ突進してきた。
「う、おぉおおおおおお!?」
正直、見た目のインパクトだけでも腰が抜けそうになるが、それ以上にその速度が驚異的で思わず叫んでしまった。しかし、叫んだことで少し気分も鼓舞されたのか、それともひとまず自身の防衛本能が働いたのか、左手が勝手に動く。そのまま突進されていたら、質量で負けて無様に吹き飛んでいたであろうが、敵は止まって前足での突きに切り替えてくれて助かった、左手の円盾でその一撃をなんとか防ぐことはできた。
「こ……のぉ!」
相手の重い一撃にふら付きながらも、右手の長剣で反撃しようとする――轟音が鳴り響く――魔獣の動く音、稲妻が放たれる音、うるさくて頭がゴチャゴチャだ――盾を持つ左腕を引き、上半身を捻って斬撃を放つ。しかし、刃は化け物の脚の表面に弾かれてしまった。
「……ライトニングスピア、アランさん!」
その声だけは妙にハッキリ聞き取れ、そして声の主の真意を悟り、剣を離してそのまま左に飛ぶ。発射の声、そして再び稲妻の槍が化け物にあたり、直後、稲妻が化け物の体を貫いた。後に残ったのは通路に充満する肉の焼ける嫌な臭いだった。
「はぁ……はぁ……助かったよ、ソフィア」
正直、二重の意味でかなりきつい。魔獣とやらは昨日のワーウルフと比べても生理的な嫌悪感があるし、それを相手に前面に立つ緊張感もかなりのものだ。とはいえ、一応格好つけた手前、なんとかもう少し頑張ろう、そう思いながら落とした剣を拾って振り向いた。
「アランさんも、ナイスな盾役でした!」
少女の笑顔に緊張感も和らぎ、やはりもう少し格好つけてもいいか、そう決断しながら親指を立てることで労いに応じた。
「さて、アランさん。残り、どうですか?」
二体の雑念が消えたところで、もう一度気配を手繰る――と、その瞬間、建物全体を震わせるほどの咆哮が響き渡った。もしかすると同胞が、はたまた自らの肉親をやられたこの廃墟の主が、怒りのままに叫んだのかもしれない。
「……多分、今の声の主で最後だと思う。そうじゃなくても、これだけ気配のデカいやつがいれば、やっぱり他には気づけないかな」
「分かりました。背後を取られない確率が高いと分かれば十分です……さぁ、行きましょうか」
ソフィアは近くの左手の部屋に進み、こちらもその後を追う。部屋の奥の壁はすでに崩れており、また広い空間があるのが見て取れた。
最初、その空間が何のための場所か分からなかった。暗闇に目を凝らせば、そこは詰所の兵たちが、集会を開いたり訓練をしたりするための中庭だったのだろうと推察された。本来なら今の時間なら太陽が燦然と照りつけているはず――しかし、今は日の明かりはほとんど中庭を照らしていなかった。
中庭に一歩踏み出した瞬間、そのほの暗さの理由を知った。他の場所と同様に、木の枝が伸びているのもそうなのだが――。
「……なんじゃ、こりゃ」
前世のものとだいぶ違うが、アレはやはり蜘蛛だったのかもしれない。中庭は吹き抜けも、周囲の壁も、蜘蛛の巣のようなもので覆われていた。これのせいで、日の光が入らなかったのだ――いや、それよりももっと悪いことに気が付いた。
天井が動いている。いや、正確には、天井にその主がいたのだ。
そして、巨大な蜘蛛型の魔獣が、天井から中庭に落ちてきた。巨大質量が落ちてきた影響で、土煙が舞う――そして煙が消えると、その先には先ほど倒したものの三倍程度の超巨大な魔獣が姿を表した。しかも、やはり外殻や体毛もなく、筋肉がむき出しなせいで、自分の知識にあるそれよりもかなりグロテスクだった。
「おい、ソフィア、下がって……」
自分よりも前に陣取っているソフィアを下げるべく声をかけるが、彼女は微動だにしない。
「……いいえ、大丈夫です。アランさんが、ここまで繋いでくれましたから」
「し、しかしアレ相手じゃ、お得意の電撃でも一撃とは……」
こちらの忠告に、ソフィアは悪戯っぽく微笑んだ横顔を見せる。
「ふふ……本当の得意、お見せしますよ」
少女は杖を正面で回し、一歩、軸足で大地を踏み、巨大な化け物と対峙した。
「さぁ、掛かってきなさい巨大蜘蛛。ソフィア・オーウェルの魔術がアナタを討ちます」
少女の挑発を本能で察したのか、巨大蜘蛛は巨大な咆哮でこちらを威圧してきた。嫌な汗が出てくる――あまりに生き物としての格が違うせいか、情けないことに自分は立ちすくんでしまう。
対して、少女は毅然と立っている。咆哮が終わると、まずはけん制なのか、相手は口から糸の塊のようなものを吐き出す。対して、少女は杖の切っ先を、寸分の狂いもなくその射線に合わせた。
「光の矢【レイ】!」
簡単な魔法なのか、詠唱なしで、文字通り光弾が敵の攻撃を弾き飛ばす。そのやり取りを三度繰り返し、すぐに相手のほうがしびれを切らしたのか、再度咆哮をあげてこちらへ接近してきた。
「それを待っていた……いくよ、グロリアスケイン!!」
少女は杖を両手に持ち、今度は頭上でクルクルと回しだした。そして十分に相手をひきつけた瞬間に、杖の石突を地面に叩きつける。
「蒼の衝撃【ショックウェイブ】!」
蜘蛛の咆哮の中でも響く、少女の凛とした叫び。それが聞こえた直後、蜘蛛のいるほうに、地面から半円状の青いエネルギー波のようなものが一気に広がっていく。その威力は凄まじいのか、恐らく何トンもある蜘蛛の巨体が吹き飛び、建物背後の壁に打ち付けられ、そのまま崩れ行く煉瓦にその身を沈ませていく。とはいえ、流石の生命力と言うべきか、巨大な脚がまだ崩落の下で蠢いているのが見える。
しかし、少女はその隙を見逃さない。また杖の先端を敵に向け、レバーを捻って押し込んでいる。
「第六階層魔術弾装填……構成、冷気、凍結、強風、全て強化! 我、編みなすは氷結の棺! 汝、奈落の果てにて永久に眠れ!!」
杖の前に、六個の方陣が現れる。六個のうち、三つは同色で同じ文様をしているように見える――恐らく、強化、という構成があの方陣なのだろう。
そして、ソフィアは一番手間にある方陣を、杖の先端で押し抜いた。
「氷獄の墓標【コキュートスエンド】ッ!!」
方陣が弾けて飛び、そこから氷の塊が射出される。その冷気は凄まじく、少女の後ろにいても、一気にこの場が氷点下の世界になったと分かるほど――氷の先端が魔獣を捕らえると、そのまま一気に魔獣の躰の全体が氷漬けになり、辺りの残骸を巻き込みながら巨大な氷の柱を成した。
恐らく、あの氷の中に居ては魔獣も生きてはいまい。それどころか、冷気が伝播し、天井を覆っていた蜘蛛の巣まで凍っているほど――生の途絶えた死と静寂、氷獄の棺にふさわしい威力だった。
「す、凄いなソフィア……ソフィア?」
流石にもう終わりだろう、そう思って賛辞を送ろうとしたが、彼女の背中から見える闘志はまだおさまっていない。少女は蒸気の噴出する杖をちょうどバットのように構え始めた。
「仕上げ……第三階層魔術弾装填、構成、加速衝撃強化、破壊の戦槌【アクセルハンマー】!」
今度の魔法陣は、杖の後ろ側、少女の背中側に現れる。コートが陣に隠れると、ソフィアの背中付近で一気に弾ける。そしてその反動を利用し、少女は高速で氷の柱に接近した。
「はぁぁああああっ!! トドメッ!!」
杖の一閃、それは普通の女の子が決して出せない威力で横一文字に振り抜かれる。そして、氷の柱に亀裂が入り――直後、魔獣を封じ込めた柱とともに、天井を覆っていた蜘蛛の巣までが粉砕された。
氷の天井が割れ、空から日の光が差し込む。砕け散って中を舞う氷の粒子が光を反射し、ダイアモンドダストとして輝いていた。
「……ふぅ、お疲れ様でした、アランさん」
青く閃く細氷の中で杖を一振り、微笑む金髪の少女、その景色はどこか幻想的で美しかった。
「あ、あぁ……お疲れ様、ソフィア」
最後のあれはやりすぎなのでは、と言おうかと思ったが止めておいた。もしかすると、あっちの世界のやりすぎくらいが、こっちの世界では丁度良いのかもしれないからだ。
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