4-31:葡萄園に佇む修道院 上
昨晩はしばらくクラウはキャンプ地に戻ってこなかった上、戻ってきたら来たらすぐにそっぽを向いて毛布にくるまってしまった。そして山中での一泊から一夜明け、朝から下山を始め、昼過ぎには山道を抜けて平地へと出ていた。
「ふぁ……」
「クラウさん、今日はあくびが多いね?」
「ふぁぁ……ごめんなさいソフィアちゃん……ちょっと寝つきが悪くて……」
背後からそんな会話が聞こえてくる。まぁ、そりゃ寝不足だろう――実際、あの後クラウがずっと起きていたのは自分も気付いていたが、いやらしい目で見てしまった手前でこちらから声をかけるのも憚られ、日が出るまで声は掛けられずにいた。
朝も妙によそよそしかったし、まさか嫌われたりしたのではなかろうか――と少々不安にもなったが、他のみんなが起きるころにはいつものクラウに戻ってくれていたので、ひとまずは一安心といったところか。
ともかくそんなこんなでまたしばらく進むと、田園風景が広がり始める。恐らくは麦畑だが、時期的に収穫して種まきをした後で、麦穂が実る風景というわけでもなかったが――ともかくこれだけの畑が続くのだから、この辺りは人間世界という雰囲気に包まれている。
大きな橋を一つ越えると、また一つなかなか大きな街が見えてきた。アソコが今回の目的地らしい。
「なぁクラウ、あの街の中に孤児院があるのか?」
振り向いて後ろを見ると、緑髪の少女は自分から少し目を逸らして首を横に振る。
「いいえ、孤児院は街の郊外というか、少し離れた所にあります。場所は、そのぉ……」
「……地元でも分かんないか?」
「じ、地元って言っても、そんなに長年住んでいた訳じゃありませんし!?」
「まぁ、そうだな……小さいころは方向感覚とか土地勘なんか無いしな……ともかく、街で誰かに聞けば場所は分かりそうか?」
「はい、それは分かると思います……聖レオーネ修道院と言えば、地元では結構有名な修道院にして、孤児院ですから」
街に入ってから聖レオーネ修道院の衛兵に場所を尋ねると、自分たちのいる入り口とは正反対の方向、南西の方角に抜けてからしばらく行ったところにあるという。距離にしてまたここから徒歩で一時間と言ったところのようだったが、なんとか日中には着けそうだということでそのまま進むことにした。
南西の出入口からまたしばらく進むと、再び田園風景が戻ってくる。側道には枯れた樹木が立ち並んでおり、徐々に傾きかけた日が辺りを照らし――それは、何とも言えない郷愁の念に駆られる美しい風景だった。
「……この辺りは、葡萄畑なんです。修道院の方々と十歳以上の子たちとで、お世話をしているんですよ」
気が付けば、自分の足がいつの間にか止まっていたらしい。エルとソフィアが前を進んでおり、歩みを止めた自分の隣でクラウがまぶし気に葡萄畑を見つめている。
「秋なんか、それは綺麗で……赤と黄色、緑が入り混じる、鮮やかな景色になるんです」
「へぇ……それは見てみたいな」
「……描きたくなりますか?」
クラウが西日に染まる顔で覗き込んでくる。その柔らかい表情にドキリとしつつ、視線が合っていることで発生する自身の緊張を誤魔化すために改めて畑の方を見やり――紅葉入り混じる田園風景を心の中に思い浮かべる。
「……あぁ、きっと描きたくなる風景だろうな」
「ふふ、それならきっとまた来ましょう。秋もいいですけど、生命力を感じる春もいいですし、夏も雄大ですよ」
「俺は冬もいいと思うぞ」
「えへへ……それならいつ見てもお得ですね」
「あぁ、そうだな」
頷き返すタイミングで、先に進んでいたソフィアから名前を呼ばれる。クラウが先立ってソフィア達の後を追い、自分は手を挙げ返して、また少しだけ立ち止まって辺りの風景を眺める。
この世界は、七柱の作り上げた箱庭。元々荒れ狂う海と風が支配していた惑星を歪めて作られた人口の園。それでもこんなにもこの世界の景色が自分の胸を打つのは、本来の自分がいつかの日に夢に見た風景に近いから――これはある種、望郷の念なのか。
「……アランさーん! 置いて行っちゃうよー!」
もう一度名前を呼ばれ、改めてその声のしたほうを見る。すると、西日を背に三人の少女たちが、こちらを見ていた。その背後には小高い丘、横には枯れた木々、だが少女たちの笑顔が生命力に満ち溢れている。その光景にまたドキリとしつつも、名を呼ばれること――それが異邦人である自分がこの世界に必要とされている気がして、不思議な充足感が胸を満たしてくれる。
「……悪い、今行く!」
それだけ返事をして、小走りに少女たちに合流した。
また少し進むと、小高い丘の麓に石造りの鐘楼が見え始めるのと同時に、子供たちがはしゃぐ声が段々と近づいてくる。石造りの建物は簡易な柵で囲まれており、その内側で十数人の子供たちが所狭しと駆けまわっているようだ。
「……ほら、みんな! もう今日は中にお入りなさい!」
その声は、建物の扉の前にいる女性から発せられたもののようだった。少し年季の入った、しかしハッキリと響く大きな声で、それだけ切り取れば厳しいようにも聞こえたものの、子供たちの返事は元気の良い物であり、それがその女性が子供たちに好かれているのだという証明の様にも感じられた。
何人かの子供たちが扉に入っていく傍らで、一人の女の子が近づいてくる自分たちに気付いたらしい。「ステラ院長、アレ……」とこちらを指さしてきた。それに気付いた女性は、眼鏡をかけなおして細目でこちらを凝視し――先頭を歩いていたクラウの方を見つめて、驚きに眼を見開いたようだ。
「……クラウディア?」
「はい……ステラ院長、お久しぶりです」
クラウがペコリ、とお辞儀をすると、初老の女性は口元に大きなしわを作ってこちらへと駆け寄ってきてくれた。




