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4-22:土地を継ぐ者 下

「私は、エリザベート・フォン・ハインライン……改めて、本当は生きていたのならすぐにアナタ達の下に顔を見せるべきだったのに、長らく放蕩をしていて、アナタ達を不安にさせたことを……まずは謝らせて頂戴」


 長い髪が跳ね上がるほど、彼女は深々と頭を下げた。その真摯な雰囲気に呑まれてか、領民たちは困惑した表情を浮かべているものの、静かに演説者を見つめている。

 

「私は、ここにいるソフィア・オーウェル准将の導きで、ハインラインの使命を果たすことが出来た……魔王を倒すという、この世界で最も重要な使命の一つを、亡き養父の代わりに成し遂げることができたわ」


 その言葉に、幾分か領民の目に光りが戻ったように感じられた。自分たちは魔王を討伐する、誇り高きハインラインの治める土地の住民であるという自負が――心の奥底に残っていた自信が、少しずつ戻ってきているのかもしれない。


「だけど、それだけが私の使命ではない……それは、この土地を、ハインライン辺境伯領を、亡き父に代わって良く治めるという使命が私にはあるということ。でも、そのために、奪われた誇りを取り戻す時間を、もう少しだけ私に許してほしいの。

 奪われた誇りとは、私たちが敬愛したテオドール・フォン・ハインラインのこと……そして、それを奪ったものが居る。私はこの三年間、その者を追っていたのだけれども……」


 そこで一回、エルはこちらを振り向いてきた。今まではその足跡を追えなかったが、ゲンブや今日の襲撃者、彼らが彼女の仇とつながりがあることは分かっており、向こうもエルを狙っているのだから、もうじきずっと追っていた相手と出会える可能性も低くは無いと言えるだろう。


 そう思い、彼女の視線に対して頷き返すことにする。自分の返答に対して、エルも頷き返し、そして再び領民たちの方へと向きなおった。


「我らが誇りの簒奪者の足跡は、確実に追えている……だから、あと一年だけ待ってほしい。一年以内に暗殺者を捕まえて、清算させて、ハインラインの誇りを取り戻すの……もしそれが叶わなくても、一年が過ぎてもお義父様を奪った暗殺者を見つけられなかったとしたら、その時は追跡は軍の者に任せてここに帰ってくると約束する」


 エルはそこで話をいったん切り、遠くの方を眺めだす――その視線は、別荘のある湖のある方を見つめていた。


「……ここに来る前に、お義父様の愛した景色を見てきたわ。それで、気付いた……うぅん、思い出したわ。

 私は、この土地が大好きだという事を。お義父様の愛した美しい風景が、私にとってどれほど大切なものなのかを……もしアナタ達が、私と同じ想いを抱いてくれているのなら……私は生涯を掛けて、この土地を愛し、護っていくと約束する」


 エルが言葉を切って少しの間、場は静寂が支配した。長らく抑圧された人々は、感情の発露の仕方が分からなくなっているものと推察される――エルを応援したい気持ちもあるが、本当に信じていいのか、まだその判断がついていないのだろう。


 だが、その判断が出来るものが一人だけ居た。メイド服の女性が沈黙を破り、両の手を叩きながら主の演説を労い、エルの横に並んだ。


「エリザベート様、必ず戻ってきてください……そして、今の約束を必ず果たしてください。私は、ハインラインに仕える者……アナタが居なければ、希望がありませんから」

「エマ……」

「同時に、私はアナタの意見を尊重します。アナタの願いは、私の願い……だから仇が見つからなかったら、なんてことは言わずに、必ず見つけて、ハインラインの誇りを取り戻してきてください」


 そう言われて、エルは最初はきょとんとした表情を浮かべたが、すぐに真意を飲み込んだのだろう――大切なのは一方的な押しつけではない、領民と共に同じ明日を見ることだということを。その助け船を出してくれた従者に対し、エルは不敵に笑って返した。


「えぇ、アナタに……いえ、私の声が聞こえている全ての人たちに誓うわ。必ず、テオドール・フォン・ハインラインを奪った暗殺者を見つけて、過去を清算し、この地へ戻ってくると」


 そこでようやっと、領民たちが歓喜の声をあげ、丘に拍手が巻きこった。領民たちはエマに自分の想いを重ねることで、ようやっとエリザベート・フォン・ハインラインと理解し合うことが出来たのだ。


「……ありがとうね、エマ」

「礼なら、ちゃんと全部終わらせて来てからにしてくださいね。それで、次に帰ってくるときには……」


 二人の声は、徐々に盛り上がっていく民衆の声で、最終的には自分にも聞き取れなくなっていた。なんだかエルが珍しく照れているようにも見えたが、二人とも笑顔なので、とやかく自分が気にすることでもない――ともかく、独りぼっちだった彼女がようやっと故郷に戻れたことに、自分もほっと胸を撫でおろした。


 ◆


 カール・ボーゲンホルンの逮捕の後は、あれよあれよと手続きは進んだ。元々学院や教会から嫌疑がかけられていたのもあり、すぐに学院の代理統治に切り替わることは出来そうだった。大貴族の顔に泥を塗ったということもあるが、家督争いの真っ只中でもあり、ボーゲンホルンの方での擁護もバタついているらしく、ともかく書類の精査が済み次第、裁判が進むであろうという報告だけソフィアから受けた。


 その手続きも落ち着いてから、事の顛末を報告するためにシルバーバーグの別荘を再び尋ねた。同時に、屋敷に戻れないかとエルから掛け合いがあったが、高齢であることと別荘の手入れを他の者に任せたくないということで断られたのだが――同時に、彼には若い主が戻ってくる場所を護ろうという気持ちがあるように感ぜられ、エルも同じように思ったのか、提案を断られたことも彼女は笑って流していた。


 報告を済ませて後は、ここ数日の騒ぎの労いのため、一日別荘で休みを取ることになった。自分は朝早く起きて筆を取っており、気が付けばいつの間にかエルも横に並んで、この前に途中で切り上げていたスケッチを続けているようだった。


「……出来たわ」


 エルは鉛筆を草の上に置き、スケッチブックと風景とを見比べている。


「お、見せてくれるのか?」

「えぇ、ちょっと恥ずかしいけれど」


 そう言いながら、彼女はおっかなびっくりにスケッチブックを差し出す。自分から聞いておいてなんだが、彼女の反応は少々意外だった。てっきり、またなんだかんだと理由をつけて、見せてくれないものだと思ったのだが。


 とはいえ、彼女の書いた景色を見てみたいのは本心だし、見せてくれるというのならやぶさかではない。差し出されたスケッチブックを手に取って、自分の方へと引き寄せる。


「……アナタには見てほしいの。私の大好きな風景を」

「そんな風に言われたら、いい加減な批評はできないな……」


 視線を落として完成したスケッチを見てみると、下地に線が幾重にも入っている白と黒の世界が見えた。初回としては上出来というべきか、色を塗ればまた違った感じになるとか言うべきか、そもそも技術的なことを突っ込むべきか――色々と頭の中には浮かんだが、しかしどれもしっくりこず、一番最初に思い浮かんだ感想を率直に伝えることにする。


「いいんじゃないか……一生懸命描いた感じで。俺は好きだぞ」

「なによそれ、皮肉?」

「いいや、素直な感想さ。初めてにしては上出来だと思う」

「それじゃあ、まだまだってことね……」


 確かに初めてにしては、とつけたら上手くはない、と言っているのと同義か。とはいえ、絵を描くのは一朝一夕の技術でもないから仕方がない。そしてそれはエル自身もそれは分かっているのだろう、残念がる雰囲気ではなく、柔らかな笑顔のままこちらを見つめている。


「ねぇアラン、今度時間がある時に絵の描き方を教えてよ」

「あぁ、わかる範囲でいいなら……何せ記憶にないから、手を動かさないと思い出せないことが多いんだ」

「ふふ、良いわよ、ゆっくり思い出してもらって……それで、アナタの絵もたくさん見せて頂戴ね」


 吹く風が湖面と草を揺らし、エルの前髪がたなびく。冬の北風のはずなのに、その風はなんだか少し暖かく感じられた。

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