4-15:旧ハインライン邸への潜入 上
応接間でクラウと一緒に待ってしばらくが経ち、「アランさん、どうしよう……」とソフィアが若干涙目になりながら戻ってきた。
そして――。
「……はぁ!? 何が一体全体どうすれば当然そんなことになるんだ!?」
事の顛末を聞いた時には、思わず大きな声で叫んでしまった。直後、正面に座っていたクラウが「こら」と右手を振る。
「アラン君、ソフィアちゃんが驚いてるじゃないですか……やむにやまれぬ事情があったに違いないです」
「そ、そうだな……ソフィア、すまない。もう少し詳しく話してくれるか?」
「うん……でも……」
ソフィアが周囲を見回すのを自分も追うと、なるほど、館の者は話を聞かれたくないという事なのだろう。応接間には自分たちを除いて誰もいないが、聞き耳を立てている者がいるかもしれない――確かに、扉の奥から気配がする。
「そうだな……それじゃあ、道すがら聞くことにするか」
「うん、了解だよ」
屋敷を後にしてから、しばらくは後ろをつけられていたが、市街地に入ってからはこちらを伺う気配はなくなった。その後、適当な路地裏で、執務室で行われた会話の詳細を聞くことにした。
「……成程、遺産と王家との繋がり欲しさに、エルの知り合いを人質に取ったと」
「うん……でも、恐らく汚職の証拠は健在。問題は……」
「……その証拠が、どこにあるかまでは聞き出せなかったってことか」
「あ、アラン君、どうします……? このままだと、エルさんが望まぬ結婚をすることに……!」
先ほどは冷静に自分を窘めてくれたクラウだが、今度は自分とソフィアの逆であわあわと狼狽しているようだった。
「猶予は三日、それまでの間に証拠を探せればいいが……なぁソフィア、軍か学院の力で、捜索は出来ないのか?」
この世界の情勢を見る限り、軍や学院の権力はかなり強い。その中でも准将という肩書を持っている少女なら、相手が貴族と言えども少々無茶な捜索もできないものか――と淡い期待を抱いて話しかけたものの、少女は小さく首を振った。
「出来なくはないけど、難しい……かな。領主は自身の領内で治外法権を持っているから、捜査令状があっても軍の捜査を拒否することができる。もちろん、確度の高い証拠があれば押し入ることもできなくはないけど、現状だとシルバーバーグさんが私怨で私たちを動かそうとしている、なんて判断をされてもおかしくはないから」
「……そうか」
「でも……短い時間だけど、チャンスはある。治外法権を持っているのは領主だから、領主が不在な内は、多少無理やりに屋敷内を捜索できるよ……もちろん、カールの許可を取ってるわけじゃないから、証拠が見つからなかったら大問題になるけれど」
「なるほど、カール・ボーゲンホルンが屋敷を離れている間なら、捜索も出来るか。だが、確実に館を離れるタイミングは……」
「……結婚式の最中、ですか?」
最後に割ってきたクラウの質問に対し、ソフィアが小さく頷いた。出来れば、エルのためにもその前にけりをつけてあげたいところだが――しかし、この場にいる三人とも、同じように思っているようだった。
「そうなるね……でも、屋敷も広いから、どのあたりに書類があるか見当をつけておかないと、発見するのは難しいと思う」
「そうなりゃ、やっぱり場所はエマに聞くしかないな……しかし……」
「うん、多分カール・ボーゲンホルンは汚職の証拠が残っていることは知らないとしても、エルさんとエマさんは逃げられないように拘束していると思う。だから、直接聞き出すのは、もう厳しいんじゃないかな……」
正面からは難しい、それなら裏口からいくしかない。
「……仕方ない、一肌脱ぐか」
拳をならしつつ首を回しながら肩をほぐしていると、怪訝そうな顔でクラウがこちらを覗き込んでくる。
「……アラン君、なにする気です?」
「忘れたのか? こう見えて、一体の魔族に気付かれずに魔王城まで偵察した男だぜ、俺は」
そう言うと、ソフィアはいつも通り、クラウも珍しくこちらに期待で輝いた視線を浴びせてくれる。直後に、「あれ、最後の一体には気付かれてたよね?」と少女の天然の突っ込みが入って肩の力が抜けたのではあるが。
◆
ソフィアとクラウを宿に残し、自分は真夜中に街の屋敷の方へと向かった。時刻は午前零時、本当はもっと遅い時間の方が安全ではあるのだが、エルの気配を感じるには彼女が起きていないと厳しい。本当はエマの気配を感じられればそれが一番なのだが、彼女とは接点も少なく、その気配を手繰るのが厳しい。恐らく拘束されているとなれば、エルとエマは同質にいるか、もしくは屋敷の構造に明るいエルにさえ会えれば、エマが拘束されていそうな場所も分かるかもしれない――そのため、この時間に屋敷への潜入を試みることにした。
今日は新月で、辺りも暗い。闇に潜んで侵入するには丁度良い。とはいえ不法侵入なのだから、バレたら今度はこちらの立場が危うい――優先度は侵入がバレずに終わること、エマに会う事、エルに会う事、あわよくば自分が今日このタイミングで証拠を回収すること、この順番だ。
屋敷の近くまで着いてからは、茂みの中から塀を目指して進んでいく。幸い、夜回りで塀の外を回る者はいないらしい。併せて、自分が潜入しようとしている壁の向こうにも人の気配は無い。入るならここからでいいだろう。
袖から一枚の葉っぱを取り出し、それを地面に設置する。軽く助走をつけてその葉っぱを踏むと、葉っぱを起点にクラウ仕込みの結界が生成され、その斥力で塀から突き出ている太い木の枝をめがけて跳躍した。
木の枝に捕まるときに少し物音はしたが、屋敷内や門番に気付かれるほどの音にはなっていないはずだ――そのまま木の枝に乗り移り、慎重に木の幹の方へと移動する。遠くに数名の見回りが居るのみで、このまま降りても問題なさそうだ。
ただ、出来ればエルがどこにいるか、アタリはつけておきたい――屋敷の方を見ると、何か所か窓から灯りが漏れている部屋が見える。あの灯りのうちのどれかが彼女がつけているものだと良いのだが――とはいえ、屋敷は概ね直方体の構造をしているから、こちら側に居ない可能性も十分にある。
それにどの道、建物までの距離は数十メートルほど、更に屋内ともなれば、その息遣いを感知するのは不可能だ。もっと近づかなければ厳しいが、流石に建物の周りともなれば見回りも居る――ひとまず、見張りが何人いるのか、どう動いているのか、それを把握するのがいいかもしれない。
数分ほど木の上から観察していた感じ、見回りは正面玄関を起点に南北に一名ずつ、それに門番が一名。建物の裏側にもう一、二名いるかもしれないが、大体こんなところだろう。
それより一つ気付いたこととして、館の正面側を見回っている内の、南側にいる一名の行動範囲が狭い点が挙げられる。単純に片方が仕事熱心で、片方がサボり気味なだけかもしれないが――行動範囲が狭い方の上部、建物の端っこに当たる尖塔の部分に灯りがついている。
高さ的に普通は降りるのが難しいはずだが、以前崖から飛び降りて問題なく着地していたエルの身体能力を考えれば、あの四階程度の高さからも逃げることも不可能でないかもしれない。そうなると、あの見張りは上からエルが逃げないためにあの場に張っている可能性がある。
もちろん、手がかりのない状態なので、都合の良いように解釈してしまっているだけかもしれないが――逆に手がかりもない状態なら、僅かでも怪しいと思うところから攻めるべきか。
むしろ、あの高い場所はこちらにとっては好都合と言える。何故なら、屋敷の中を通ることはできないので、屋根伝いに移動できる場所の方が行きやすいからだ。下手に二階などに居られる方が、こちらとしては接触しにくい。
ともかく、今度は足を動かすか。問題はどう見張りにバレずに屋根まで登るかだが――屋敷の側面側の方が塀と建物の距離が近く、また近くの高い樹木を伝って屋根に乗ることは可能そうだ。そちら側に見張りが多ければ厄介だが、ひとまず試してみる価値はあるだろう。
いったん枝の方へと移動して塀の外まで降り、屋敷の側面側まで移動する。再び塀の奥に人の気配がないのを確認してから結界で跳躍し、再び木の枝に捕まって塀の内側まで侵入する。木の上からまたしばらく観察を続けるが、見張りの移動ルートに側面は入っていないらしい。これなら屋根へと移動することは可能だろう。
木に登り、ロープの先端にナイフを巻きつけ、それを屋根の上にある銅像に向かってサイドスローで投げつける。そしてすぐ縄を引き、ナイフを重点にして銅像に巻きつける――上手く絡まってくれたようで、強く引いても縄はびくともしない。これならロープを伝っていって問題ないだろう。
枝から屋敷の方へと跳躍し、振り子の原理で壁の方へと向かう。壁に靴底を付けた瞬間に足のばねで上手く衝撃を吸収したため、物音はほとんど立てずに済んだ。あとはそのまま壁を足場にロープを伝って上に上がっていく。
銅像に巻き付けていたロープを回収し、灯かりがついている尖塔の中の気配を手繰る――窓が閉まっているせいで確実なことは分からないが、人の気配が三つ分、なにやらガタガタと物音を立てており、同時に言い争っているような声が僅かにだが聞こえてくる。
その中にエルの物が混じっているのを聞きつけ、今度は尖塔を登ることに決める。ここは改修されておらず、古い煉瓦が凸凹の状態で残っているから、手足を使って登れそうだ。
壁を登り、ひとまずは窓をすり抜けて一番上まで到着する。尖塔上部の装飾に先ほどと同様にロープを巻きつけ、それを伝って窓の位置まで下っていく――どうやら、窓の奥でエルとカール・ボーゲンホルンが言い争っているようだった。




