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4-12:二人の絵描き 下

「……ねぇ、アラン」

「なんだ?」

「私は、やっぱり、あのエルフが許せないわ」


 そういうエルは、目線をスケッチブックに落としている。大事そうに抱えているせいで、こちらからは紙の上にどんな世界が広がっているかは見えないのだが。


「そうかい……まぁ、そのエルフも人一人をやってるんだ、前も言ったが許されないのも当然だよ。しかし、今更に聞くのもなんだが……他の人に捕えてもらうじゃダメだったのか?」


 他の奴が捕えた仇敵に、唾を吐くって選択肢だってあったはず。もちろん、仇は自分の手で取ってこそ価値があるというものでもあるかもしれないが――それでも、年端もいかないかつてのエルが、自分の人生の全てを賭し、貴族としての責務も生活も捨てるほどの価値が自分の手で仇を取ることにあったとは、自分の感覚から言うと理解しにくいものはある。


「それは……それでは、ダメだったのよ」

「理由は?」

「それは……ごめんなさい、言えないわ」

「ふむ……まぁ、言いたくないなら無理にとは言わないさ」


 そう言い返し、自分は絵に戻った。エルもスケッチに戻り、また少ししてからぽつりと話し出す。


「でも……なんだかアナタを見ていて思ったこともあるの。アイツと同じ技を使うアナタを見ていて……奴にも斧を振るう以外の顔があるんじゃないかって」


 そこまで言って、エルの筆が止まった。


「繰り返しだけど、許す気はないわ。でも、私はあまりにも何も知らなすぎる……あの男が何故お義父様を狙ったのか、なぜゲンブはお義父様を殺すように指示を出したのか……その理由を、知らないといけない気がするの」

「ふぅん……」

「他人事ね」

「まぁ、そう聞こえたなら悪いが……悪い奴の事情を聞こうとするなんて、優しいな、なんて思ってな」


 本音を言えば、彼女が相手の事情をおもんばかったのは素晴らしいことだと思う。とはいえ、どちらかと言えば色々考えてほしいのも事実。生半可な優しさは、復讐を完遂させるとなれば足手まといになる感情だと思う――だから、敢えて少し突き放した言い方をしてみた。


「……そうね、甘いかも」

「いや、悪いと思ってるわけじゃないんだ……ただ、俺がエルの立場だったら、事情を知りたいなんて理性的に言えたかどうかと思ってな」

「まぁ、私も時間が経っているから、少し冷静になっている部分はあると思うわ……ともかく、魔王と組んで暗躍していた第三勢力の目的、それが見えていないのだもの。

 それを知ることは、もしかしたら魔王を対峙するのと同じくらい……いいえ、もしかしたらそれ以上に、この世界にとって重要なことなのかもしれない」

「それじゃあ、復讐……は置いておくとしても、仇のエルフは探し続けるってことか?」

「それは……」


 故郷の問題をどうするかについては、まだ考えがまとまっていなかったのだろう。エルは口をつぐんで視線を落としている。


「……結論は焦らなくていいさ」


 それだけ返答し、自分は再びカンバスへと向かう。先ほどの会話からまたしばらく無言が続き、集中できたおかげか、もう少しで描きあがりそうだ――最後の部分に空の青を入れ、筆を水入れに入れてから、凝った肩をほぐすために右腕を天に突き上げて伸びをする。


 その後、腕を組みながら描きあがった色彩を眺めていると、エルの方も手の動きを止めて、自分の前にあるカンバスをじっと眺めだした。


「……完成?」

「あぁ、一応な」

「うん……やっぱり上手いじゃない」

「ははは、ありがとう」


 褒められたのだから、そこは素直に受け取ることにする――だが、なんとなくだが完成物に自分は満足できていなかった。その理由を探すために、改めてカンバスと世界のそれぞれの色彩を見比べてみるのだが、具体的な答えは内からは湧き出てこない。


「なんだか、あんまり納得いってない感じね?」

「うーん……物足りない感じはするんだよな……それが何なのか、上手く言語化は出来ないんだが……」

「水彩画だからかしら……本当に描きたかったのは油絵よね?」

「どうかな……もっと根本的な問題な気はする」


 言いながら、視線をカンバスから景色に移す。自分が完成させようと思っていた時間帯にぴったり合う、正午の最も明るい時間。湖面が日の光りを映し出し、世界が一番輝いて見えるとき――その光景の美しさを、自分の絵では表現しきれていないのだ。


「題材は最高なんだ。やっぱり、ここに滞在する時間をもらえてよかったと思う……しかし、何だろうな、この景色を表現するのに、自分の技量が足りていないのかもしれない」

「それは違うような気はするけれど……でもそうね、敢えて言うなら……アナタが本当に描きたいものが、足りていないのかもしれない」


 そう抽象的に言われても、すぐにピンとくるほど自分は賢くはない。どういうことなのか問いただすべく、芝の上で世界を見つめるエルの方へと向き直る。


「お義父様が言っていたわ……自分は、この景色が好きだって。でもそれは、美しいだけじゃない、ハインラインが脈々と受け継いできたこの土地が、歴史が……護るべき領民がいるから、より美しく見えるんだって」

「……俺が、ただの異邦人だから?」


 もしエルの言う事が――厳密に言えばテオドールだが――正しいとするならば、この景色に所縁ゆかりのなかった自分は、この光景の美しさをきちんと表せないということになってしまう。それはなんとも寂しいことではないか――そう思いながら眉間を指でつまんでいると、エルの方から再び声があがってくる。


「うーん、ちょっと違うと思う……アナタはこの景色を美しいと思ってくれている。でも、お義父様はこの景色に、美しさ以上の物を見ていた……それは、目に見えないもの。上手く言えないけれど……そうね、お義父様は、この景色に意味を見出していたんだわ」

「意味、意味か……それは、難しいな」

「そうね、難しいわ」


 彼女の言わんとすることを正確につかめたわけではないのだが、同時になんとなく胸に落ちた部分はある。自分はこの景色を描きたかった、そして同時に自分には絵を描く能力があり、ある程度は世界の色彩をカンバスに落とすことは出来たが――言ってしまえばそれだけだ。それ以上のものがないのだ。


 だが同時に、どうすればそれ以上のものを絵に落とし込めるのか、その答えは見えない。


「……でもね、これだけは言える。私はアナタの絵、好きよ。きっと絵を描いたアナタがその絵に対して感じている愛着よりも、ね……」


 声の方を見ると、エルは微笑みながらこちらを見ていた。そして、目が合って後、彼女は再び自分の書いた絵を見つめ始める。


「それはきっと、私がこの景色が好きだから……思い出があるから。アナタが描いた風景に、私はアナタ以上に意味を見出している。アナタがその絵に物足りなさを覚えるのは、アナタ自身がその絵に込める意味を見出しきれなかったから……そんな気がするわ」


 エルは笑いながらスケッチブックを閉じて立ち上がり――その表情には、一昨日まであった迷いは無くなっているようだった。


「……そっちも完成したみたいだな」

「おかげさまでね」

「それじゃあ、見せてくれよ」

「えぇ、言われなくともね」


 エルは踵を返し、迷いのない足取りで別荘の方へと歩き出した。自分も立ち上がり、その背を追いかけ始める。


「……ついでに、絵の方も見せてくれていいんだぞ?」

「イヤよ……大切な風景なんだもの、もう少し綺麗に仕上げてみたいわ」


 そう言いながら、エルは微笑みながら大事そうにスケッチブックを抱き締めていた。

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