4-9:父の墓前 上
次の日、朝日が納屋に差し込むのと同時に目覚めた。毛布の中で縮こまっていた体をほぐすのに少し体を動かしてから、画材をいくつか持って河畔の側まで出る。
イーゼルにカンバスを置き、その後は納屋に戻って小さな椅子を持ってきて、ひとまず腕を組みながら風景をじっと眺める――朝日が湖面や木々、山の稜線を照らし出していて、昨日見た時とは印象が全く異なる。
ただ昨日と今日とで共通することは、やはりこの景色は美しいということだ。きっと、テオドール・フォン・ハインラインも同じように思っており――それでここに別荘を建てて、この景色をカンバスに写そうとしていたように思う。
同時に、この風景の中に、惨劇があったのもまた事実。もちろん、今自分が描こうと思っているのは、ただこの静かで美しい世界なのだが、それでもこの場に刻まれた悲劇を思うと少し不謹慎な感じもする。
だが、それでも衝動は止まらなかった。今しばらく景色を見ていく中で、まずは構図を決めて薄く線を引き始める。時間が経てば光の加減が変わってきて、同じ場所にいるのに見える景色が徐々に変わってくる。
それでも、絵の中では時間すら自由だ。色彩のイメージは、やはり正午がいいか。日が一杯に当たる時間帯、この景観をカンバスの中に閉じ込めるのなら、それが一番ふさわしいように思われた。そうなると陰影は変わるが、風景の輪郭はこの時間でも変わらない――そう思いながら、下書きのために木炭を走らせていく。
「アナタ、それ……」
「……うぉ!?」
唐突に背後から声を掛けられてビックリして変な声をあげてしまった。振り向くと、口元に手を抑えて、恐らく自分と同じように驚いているエルが立っていた。
「おま、気配を消して近づいてくるなよ……いつもの仕返しか?」
「そんな、普通に歩いてきたのだけれど……私が近づいてくる気配、感じなかったの?」
エルの顔を見る感じ、どうやら嘘というわけでもなさそうだ。要するに、自分が絵を描くのに集中しすぎていて、エルが近づいてきているのに気付かなかったという事らしい。
一瞬だけ、エルから視線を外して振り返り、カンバスに描かれている世界を見る。下書きの進捗は七割と言ったところで、今はディティールを描き込んでいる所だった。どうせ塗る時に細かくは調整するのだが、下書きがお粗末だと良い絵になりにくい、そんな気がして描き込んでいたのだが――気が付いたらなかなか時間が経っていたらしい、何せエルが起きてきているのだから。
「……凄いじゃない、こんな特技まで隠していたのね」
「どうだろうな……見た世界をそのまま模写しているだけだから、これくらいなら出来るやつもたくさんいると思うぜ」
「そうかしら……まぁ、私には絵心がある訳じゃないから、確かに上手い下手を論ずる資格もないのかもしれないけれど……」
背後から近づいてくる気配が自分の横に並んだかと思うと、むしろエルの方が身を乗り出して自分の絵を見つめる――その表情は真剣なもので、しかし少しすると口元に柔らかな笑みを浮かべた。
「でも、なんとなくだけど、やっぱり上手いと思うわ」
「まぁ、褒められて悪い気もしないな……」
なんとなく気恥ずかしくなって鼻の頭をかいていると、エルは口元を抑えながら楽しそうに笑った。
「ふふ、照れてるの……でも、そろそろ別荘に戻ったら? ソフィアがアナタが起きてくるの、楽しみに待っているわよ。まぁ、実際には起きてたわけだけれど」
「あぁ、そう言えば小腹も空いてきたな……しかしエル、お前は……」
よく見れば、エルは手に二本だけだが花を持っている。恐らく、墓参りに行くつもりなのだろう。
「……なぁ、俺も着いて行っていいか?」
「なによ、別に面白いこともないわよ?」
「それは分かってる……まぁ、散歩がてらにだな。心配するな、流石にふざけたりはしないよ」
「ふぅ……まぁ、そうね……別に着いて来ても構わないわ」
「あぁ、それじゃあ……」
椅子から立ち上がり、エルの後ろから着いて行くことにする。別に、彼女も一人で行く覚悟は決まっていたのだろうが――それでも何となしに、一人では不安なのではないかと邪推したのも確かだ。
とはいえ、結局は彼女の心も知らずに無理やりここに来させてしまった罪滅ぼしというか、自分がやらかしたことの顛末を見届けたいというか、そんな感じなのかもしれないが――ともかく、朝の澄んだ空気の中、湖のほとりを無言のまま二人で歩き、数分したところに石碑の様なものが見え始めた。




