4-6:ハインライン辺境伯領 下
次の日、朝早くから宿を出立し、テオドールの別荘を目指す。道中の脇には幾分か積雪も見られるものの、暗黒大陸よりは暖かい場所であり、晴天続きのおかげもあって歩くのには問題ない程度だ。
珍しくエルも早起きしていたのだが、別段寝るのが早かったとかいうわけでなく、単純に寝不足という感じだ。その証拠に、歩きながらも時々目元を擦っているのが見える。対するソフィアとクラウは元気満タンという調子で、軽い足取りで山道を先導していた。
「……ところでエルさん、こっちで道って合ってます?」
「……合ってるわよ………ふぁ……」
方向音痴のクラウの質問に、エルは可愛いあくびで応えている。自分も地図で確認しているが、平原の様に拓けているわけでないし、いくら方向音痴が舵取りをしていると言っても一本道だから迷いようもないだろう。
この辺りは人通りも少ないせいで野盗もいないし、狂気山脈とはまた方角がずれることもあり、魔族の心配も少ないらしい。そのおかげで、エルを除いたメンバーはちょっとしたピクニック気分になっている。
途中、見晴らしの良い場所で昼食を摂ることになった。グリュンシュタッドの街からの旅路でも、クラウが料理をしてくれている。今日はソフィアもその手伝いをしているようで、火の周りはにぎやかで雰囲気も明るい。
対して自分は、風景を見渡せる岩の上から眼下の街をぼぅ、と眺めていた。
「……やっぱり、高いところが好きなのかしら?」
料理に参加していないエルが背後から話しかけてくる。
「あぁ、否定はしない……」
「なによ、なんだか歯切れが悪いわね」
「ちょっとな……」
自分で返答しておいて、ちょっとな、は意味が分からなかったかと反省しつつ、しかし上手い言葉が出てこないのだから仕方がない。この感覚は、以前にもあった――レヴァルでエルと丘を目指していた時、眼下の街を見た時と同じ感覚に陥っていたのだ。
自分はこの風景を初めて見たはずなのに、懐かしいと感じるのは何故だろうか。これは、記憶を失っているとか、そういうのとも違うように感じる。澄んだ青い空に、薄い雪が日差しを照り返して輝く世界。ミニチュアの街の煙突から所々に昇る、生活の煙――暖炉など一般的でない世界からきたはずの自分は、この景色に馴染みがある訳ではない。
それでもこの光景が心をくすぐるのは、きっと自分の遠い祖先が、いつかの日に似たような景色を見ていたから――自分の中に連綿として続く何かが、この風景を懐かしんでいる、そんな風に感ぜられる。
「……お前の故郷は綺麗な所だな、エル」
「そんなこと言われても、返答に困るのだけれど……」
何の気なしに出た言葉に対し、エルは自分の隣に座った。隣と言っても人一人は余裕で入れる隙間があるのが、彼女らしい距離感だ。
とはいえ、その距離から、赤黒い髪を日差しに輝かせつつ、エルははにかんだように笑った。
「……ありがとう。故郷を褒められるのは、悪い気はしないわ」
それだけ言って、今度は二人でしばらくぼぅっと、眼下の街を眺め始めた。
「……アナタの故郷は、どんなところなのかしら」
「さぁ……だけど、もっとゴミゴミしてたはずだ。あの魔王城みたいなのが、何個も立ってると言えば分かりやすいか……」
「……イメージが付くような、付かないような……ただ、建築技術は凄かったのかしらね。でも、なんでそんな建物を創る必要があるのかしら?」
「人が多かったからな……住む場所も、自然と縦に伸びるんだよ」
「ふぅん……良く分からないけれど……」
そんなことを話しているうちに、料理が出来たとソフィアが声を掛けてきた。スープとパンの簡易の昼食ではあるが、野菜はソフィアが切ったらしい、しかし綺麗に切り揃えられていた。
昼食も終わって少し休んでから登山を再開する。もう数時間ほど山道を登ると、林の中の拓かれた場所にある湖まで到着した。
「わぁ……綺麗……」
景色を見ながら、ソフィアがそう呟く。彼女の言う通り、この場所はレムに来てから見た中で、自分にとって最も美しい場所だった。湖の奥には、雪化粧をした高い山々が覗け、まだ青い空と山とが湖面に映し出されている。この場所の日当たりも良いお陰か、地面に積もっている雪もまばらで、穏やかな風に草木が揺られている――そんな穏やかで、心の落ち着ける情景が広がっている。
今一度、湖の方に視線を戻すと、右手に木造のロッジが見えた。
「なぁ、エル。アレが親父さんの別荘……エル?」
確認のために土地勘のある者に尋ねようと振り返ると、エルは胸に手を当てて俯いていた。体も若干震えているようで、息も少々荒い――近づいて見ると、ただでさえ白い顔がより一層蒼白になっており、気温も低いのに脂汗を浮かべているようだった。
「おい、どうしたんだ、大丈夫か!?」
「えぇ、大丈夫……ちょっと、昔を思い出していただけだから……」
そんな険しい昔がそうそうあるか、むしろここは、親父さんとの思い出の場所なのでは――そう思っていると、エルは小さいながらに深呼吸し、額をぬぐって自分の前に出た。
「アナタの言う通り、アレがお義父様の別荘……行きましょうか」
「あ、あぁ……」
生返事を返し、黒髪の背を追っていく――早くこの場を去りたいというかのように、エルの歩調は早い。それに置いていかれないように速足で進むと、あっという間に小屋の扉まで着いた。
「……シルバーバーグ、クリストフ・シルバーバーグ、いるかしら……」
エルが小屋の主の名を呼びながら扉を叩くと、中から物音が聞こえ始め、遠慮がちに扉が開かれる。扉の隙間から覗くのは、恐らくすでに老齢という域に達しているであろう、白髪としわだらけの顔――そして、神経質そうな眼鏡から誠実そうな瞳の覗く老人だった。
シルバーバーグと呼ばれた男は、少しの間、ノックの主をじっと見つめ――誰だか気付いたのだろう、眼鏡をあげ直して驚愕の表情を浮かべている。
「え、エリザベート様……!?」
「えぇ……勝手にいなくなってすまなかったわね……それで、中に入れてもらえるかしら?」
「は、はい、喜んで!!」
エルが身を少し引くのと同時に、男は扉をバッとあけ放った。




