4-3:セピア色の景色
目の前に広がるのはセピア色の情景。鈍色の空を映す河畔、足元で揺れる白黒の草花、遠くに見える山の黒い稜線――そして、武器を構えて対峙する二人の男。この景色は、何度も見た。これは夢、自分を縛りつける悪夢。
一人は既に脇腹に傷を負い、呼吸も荒くなっている。もう一人は傷だらけの顔をした男で、手斧を振り、相手の脇腹を抉った血を――そこだけ、妙に赤く見える――振り払った。
「……流石だハインライン。だが、次は無い」
そう言いながら耳の長い男が手斧を構える反対で、養父が口髭を動かしながら何かを呟いている。
「……死の女神、無敵の女王……汝に仇なす者たちを……其の軛に繋ぎ止めん……」
詠唱が終わると、養父の左手に持つ短剣の宝玉が光り、その切っ先に周囲の草花を巻き上げる渦が出来上がった。そして、養父は一瞬だけ、温かい眼差しでこちらを見て――。
「エリザベート、見ておきなさい……これが、ハインラインの至宝……!!」
あぁ、お義父様――何度叫んだか分からない。どんなに願っても、過去は変わらない。夢の中ですら――私は、お義父様に生きていて欲しいという、その希望すら実現させることが出来ないのだ。
養父が左腕を振り上げると同時に、辺り一帯を包む巨大な重力波が発生した。半球状に広がる重力の檻の中で、エルフが前進し始め――先ほどの一撃は全く目に負えなかったが、今度は進む線がギリギリ視認できる速度になっている。
だが、それでもなお、エルフの方が圧倒的に早い。養父は肉薄してきた襲撃者に長剣を振り下ろそうとするが、それよりも早く斧が薙がれ――。
渦が止むのと同時に、養父の首が地面に落ちる。重力で縛り付けられていた反動なのか、宝剣の一撃が止んだ後に、胴体からは馬鹿みたいに血が噴き出していた。
「……虎の檻、宝剣へカトグラム……まさかこの身で味わうことになるとは……」
エルフの方も躰が痛むのか、胸を左手で抑えながら跪いている。その一部始終を傍観者として見ていた過去の私は、しかしなんとか事態を把握し、腰から剣を抜き出した。
「……貴様!」
今よりももう少し幼さの残る自分の声が丘に響く。正面に構えたはずの刃は、ガタガタと少し震えている――それは怒りからだったのか、恐怖からだったのか、両方だったように思う。
エルフは立ち上がり、ゆっくりとこちらを見た。長い前髪から僅かに覗く、鋭い眼光が、こちらを射貫いてくる。
「……その眼……」
男はこちらをじっと観察すると、段々と肩の力が抜けてきているようで――しばらく呆然とした感じでこちらを見つめて、最後は自嘲気味に笑った。
「小娘、私が憎いか?」
「あ、当たり前でしょう!?」
「ふっ……そうか」
男は手斧を外套の下に戻し、視線を養父の左手に向けた。そこには、ハインライン家の至宝が、死してなお固く握られている。
「ならばこの剣、貴様に預けよう……誰かを殺したいほど憎む気持ちは、絶望の底にあって、地獄から這い上がるための力になる」
「まち……待ちなさい!」
相手を逃すまいと一歩進んだ瞬間、破裂音と同時に、剣を持つ手に恐ろしいほどの負荷が掛かる。そして、構えていたはずの剣が吹き飛び、目の前に居たはずのエルフの男は姿を消していた。
「……精々、次に会う時までに、宝剣の使い方を体得しておくのだな……そうでなければ、次は首が飛ぶ」
その声は、自分の背後から聞こえた。その圧倒的な力量の差に振り向くことすらできず――私はその場にへたり込んでしまう。そして、立ち上がることもできず、なんとか四肢を使って這うように養父の亡骸へと近づいていく――既に辺りは、敬愛する者の血で真っ赤に染まっていた。
「あ、あぁ……うぁぁぁ……!」
本当は自分の口元から聞こえているはずの嗚咽は、まるで他人が泣いているみたいに響いて、乾いて聞こえる――幾ばくかそうしている後、養父の左手から、剣を取ろうとと手を伸ばす。その手は固く握られていたはずなのに、あっさりと開かれ――血に染まった刃を掲げ、じっとその刀身を眺める。
「……死の女神……無敵の女王……汝に仇なす者たちを……其の軛に繋ぎ止めん……死の女神……無敵の女王……汝に仇なす者たちを……其の軛に繋ぎ止めん……」
うわごとの様に、養父の遺した言葉を繰り返す。絶対に忘れないようにするために、この身に刻みつけるために。
この悪夢は終わらない。あの男を殺すまでは。養父の不名誉は、必ず身内の私が雪がねばならない。何故なら――。
ふと、空を見上げた瞬間、世界に色が戻ってきた。空は天井に変わり、カーテンレールから差し込む朝日を受け、薄紅色をして自分を見下ろしていた。




