66話 乱入者 その5
『知らない間に随分と剣呑な殺気を放つようになったんだねぇ。』
「しらばっくれるな。ワタシと同じこの世非ざる生命体が。」
正体を見破られても、一瞬も表情を変えることなく奴は言葉を綴った。
『そうだね、君がクリフォトなら僕はセフィロトだ。』
「………チッ。
(天界側の存在…智天使、いや、もっと上の段階、「天司」か?)」
天使を束ねる司令塔、10人の熾天使。肉体を持たず、受肉して下層レイヤーに降りる概念的生命体。
性質的には魔界側に位置する「共感」と違うのは、成長しない代わりに生まれた時から天界を支配する力を持っているということだ。
限界点は「共感」の方が明らかに上だが、そもそも存在した時点で天界を管理さえできればいいのだから、成長の必要が無いのだろう。
果たして天界の奴らを「善性」と呼んでいいかは疑問が残るが。善性は時に悪性よりも残酷だ。
とりあえず現在判明している事は、奴は最終的に敵になると言う事。
「っ!!!!」
思いっきり地面を踏み込み、右腕に渦巻く魔力を螺旋状に奴目掛けて打ち抜く。
[スパイラルショット]、数刻前にナルダも放っていた基礎魔法と同じ現象だ。ただし威力を犠牲に速度を極限まで上げ、ナルダのそれに比べて凡そ5倍。拳を振り抜いた速度を加味すれば、まず避けるのは不可能。
ある男が己の魔力を塊として飛ばしていたように、素のスペックが高ければ高いほど、基礎魔法のシンプルさが役に立つ。
だが、不発に終わる。
放とうとしていた魔力が不意に途切れ、届く前に霧散してしまったのだ。
「(くっ………身体がっ…………!!!)」
奴が目を軽く開いた瞬間、凄まじいほどの重圧が体にのしかかり、思わず膝をつく。
魔法じゃない、魔眼でもない、なんてことないただの威圧。それだけで生存本能が刺激され、震えている。一言でいえばビビッているのだ。
悪意の権化たるはずの「共感」が、直感だけで恐怖している。
『止めときなよ。僕もまだここを荒らすつもりはないからね。今回はただの挨拶さ。』
そう言って奴は踵を返し、一瞬でこちらの知覚範囲外へ飛び立った。
転地。魔力で高速移動する足場を作り出す天獄術式の一つ。天界に比べて人間界は魔力の流れが緩やかであるため、並の天使では戦闘系スキルホルダーのB級冒険者、下手をすれば<瞬足>などを持つC級にも負ける程だ。が、天司レベルともなるとそんなものは関係ないらしい。
ほんの一瞬で軽く数百mの移動、現段階で喧嘩を売っていい相手では無い。
「(見逃されたのか……? いや、いい。)」
何故人間であるはずの私の父親に天司が憑依しているかとか、こちらの正体を知っているかとかはどうでもいい。こじつけはいくらでもできる。
今はただ為すことを為す。
転地の瞬間、奴はその手に巻物を握っていた。
メイ・クラウンのスキル、その生産物であり、神獣ナルダの権能の一部がそこに情報体として記されている。
「(…あそこまで力の差があったとはな。本気で来られたら万全の神獣でも勝てるか分からん。であれば、力を分散して保有させた「金」は結果的に称賛されるべきなのだろうか?)」
―――――――――――
「………何だよ、お前」
『何だは無いだろう? 貴様の首を誰が繋いでやっていると思っている。』
寮にある僕と彼女の部屋…正確にはそれを模した空間に、僕と奴は座っていた。
忘れもしない、あのどす黒い笑い顔。それが好きな人の顔ともなると、尚更嫌気がさす。
前にも来たことがある。カーリーの精神世界に入った時、それまで霧の中だったはずの場所が、模擬戦の舞台へと形を変えた。
そして今回は、いつもの見慣れた寮の中だ。仕組みは恐らく同じもの。ただ視点が彼女から僕に移っただけということだろう。であれば、今回は前回とは逆の立場と言う事だろうか。
『概ね当たりだな。正確にはワタシは侵入ではなく既に貴様の一部となりかけているわけだが。確固たる自我を持った魂を二つ以上収容できる器は現状では私だけだ。
とはいえ人間一人に溶け込むことなぞ容易い。精神世界で内臓をぶちまけると言うのは、そう言う事だ。』
なるほど。あの時に負った傷は、ただの摩耗状態にとどまらず奴の侵入を許したという事か。如何せん体に出ないのだから分からないが。
扱いとしては二重人格みたいなものか。
リオンさんと話をして、暗示のようなものが掛けられている事に気が付いた瞬間、確かに僕の首は身体から離れていた。
生徒会のメンバーみたいな化け物でも多分死ぬ、ましてや僕みたいな一般人では。しかし、こうして走馬燈では無い状況にあるのだから、本当に首を繋いでいるのだろう。
「………で、正直お前の顔なんて見たくも無いのだけど、何でわざわざ僕をそのまま殺さないで、こうして話をしているわけなんだ?」
『貴様にはまだ利用価値がある。だから生かした、それだけだ。
しかしただ生かすだけでは甲斐が無い。故に貴様に「縛り」を課す場を設けようと思ってな。』
「…その縛りとやらはよくわからないが、勝手にやらない辺りは僕の合意が無きゃダメだって事か?」
『理解が早いな。』
条件から察するに契約書みたいなものだろうか? 奴の存在がこちらの常識で計れない以上、概念魔法を使えてもおかしくないが、触媒を介さなくていいのならば中々に便利な特性だな。
『理論は貴様の知る契約書と同じだが、これは私が神獣と交わした血の契りと同様、更に上の概念の契約だ。条件は三つ。
一つ、一度だけワタシが好きなタイミングで体の主導権を握らせてもらう。
一つ、私を攻撃しない。
一つ、この「縛り」を思い出さない。』
「忘れる」ではなく「思い出さない」と言うのは、恐らく外部要因からの想起をも無効化すると言う事だろう。義妹さんのように奴の存在を知っている人なら、この状況、奴が何の条件も課さずに僕を蘇生する事はしないと理解するはずということか。
「………もし破れば?」
『破るという発想そのものが出てこない。
成立した「縛り」は貴様の力でどうこう出来るものでは無い。』
思考の強制、魂から肉体が生まれる理論であれば、確かに可能だ。
……とはいえ「握らせてもらう」と言う事は、こちらに拒否権がある言い草だ。と言う事はカーリーみたいに精神の主導権がこちらにある状況ではないのか?
「一度だけ」と最初から妥協しているのも、契約書の効力にも限度があるのと同じ理論だろう。
『拒否するのも構わん。このワタシの情報は本体とは共有されていない。故に貴様が自死を選んだとして、私がそのことを知る由は無い。』
「…………」
視界がぐるりと回った時、直感で死を理解した。
思考は驚くほど冴えて、視界は鮮明になっていく中で、感じたのは死への恐怖ではなく、言えなかった言葉への後悔だった。
もっと早く伝えておけば、こんな後悔も、もしかしたらあの事件だって起こらなくて済んだかもしれないのに。ただ、その勇気が僕にはまだ無い。
「……………わかっ……………………」
2ヶ月前の事件、体を乗っ取られたカーリーを思い出す。
邪智暴虐…いや、下手に理性が在るのだから余計に質が悪い。思考と反射、理性と野性の融合体。本能のまま知恵を用いて狩りを行う。
あの時は突然のワイバーンの襲来もあってか死傷者はいなかったが、もし町中であんなことをされたら、最悪な事が起こるのは想像に難くない。
そんな事をして、彼女は喜ぶだろうか?
いや、悲しむだろう。
そんな光景を見て、彼女は責任を感じないだろうか?
いや、その錠前は重くのしかかるだろう。
そんな状態で、彼女は生きられるだろうか?
………いや、彼女は僕と同じで、そこまでタフじゃない。他人の命の責任を取ることはできない。背負う事はできない。
そんな事になるくらいなら。
悪い結果と最悪な結果なら、僕は前者を選ぼう。
「断る。お前みたいな奴を野放しにするなんて真っ平ごめんだ。」
結局最後まで言えなかったのは残念だけど、個人的感情に何の罪も無い人達を巻き込むわけにはいかない。
僕一人の命を諦めて、奴の被害者になる人達を助けられるのならそれでいい。
『……………………良いだろう。少しだけ妥協しよう。
・代わる時間は66秒
・代わっている間は誰も傷つけず、殺さない。
ここが潮時。
これ以上を望むのなら、死を選ぶか、この場でワタシを倒せ。』
やはりあの言葉はブラフ。
本音は僕の身体を使ってやりたいことがあるらしい。
当然、答えは決まっている。
「上等だクソ野郎。」




