62話 乱入者 その1
「…………人間は理解できないモノに恐怖を感じるらしい。そんなものこの世にゴマンとあると言うのにな。」
それが目覚めた時点で、既に勝負は決していた。
勝負と言うよりも、寧ろ儀式、贄とでも言った方が適切かもしれない。
首なし騎士の腕の中で目覚めた<共感>は、一撃で泥の8割を吹き飛ばした。
「補充」しようと、周囲を侵蝕していた泥が一斉に集まり黒い水風船を模るが、その瞬間を狙って全体を膨大な赤い魔力で覆い尽くす。
そのまま握るような仕草と同時に赤い殻は収縮を始め、やがて手のひらサイズの球体まで圧縮された。
【友達………友達………私ノ………私ガ…………殺シタ……友達………】
「バカが、中途半端に魔人の血を取り込むからそうなる。貴様は諦めて人間を早々に辞めておくか、悪魔の囁きを断っておくべきだったのだ。」
球体となっても尚、泥は元となったロットの思念を宿していた。
それは後悔? 悲壮? 怒り?
否、絶望。
非自然産AESは、感情を持った知的生命体の深い絶望をトリガーとして発生する。
特に、生きる意味の喪失、自己同一性の崩壊。生存本能という最後のセーフティロックが外された知的生命体は、自他を含めたあらゆる犠牲を厭わなくなる。その結果、感情に肉体を構成するデータすら飲み込まれ、周囲の魔力をも巻き込み新たなる生命が誕生する。それが1-1型AES。
つまり何を言いたいのかと言えば、手元にある球状の泥は悪性の塊、<共感>の餌だ。
手で触れないように、魔力で器用に口元まで運び、飲み込む。
ただエネルギーとして吸い取るよりも、こちらの方が食欲も満たせて一石二鳥だ。
「(あぁぁ~……美味い、美味い、非常に美味だ。
自らを呪い縛った魂ほど、絶望に落ちた時の味は類を見ない。)」
咀嚼すると同時にロットの記憶と魂も取り込んだ。何百万人と魂を取り込む「獣」の器だからこそ出来る芸当だ。普通一つの身体に魂は一つだが、私だけはワタシや他の魂も収納できる。
カーリーを殺すに至った経緯、半人半魔になった理由、AESに転じる絶望の根源、その全てを閲覧・保存した。
「(………これは後で私にでも見せておくか。)」
かつて友であった存在を、いとも容易く殺した。
それも自らの手で。
罪悪感は無い。それは善性が背負うべきものであり悪性とは無縁のものだ。
「そもそも私は被害者だぞ? 何故罪悪感なんぞ背負う必要があるのか皆目理解ができん。」
受け入れるならばそれでも良し。心象武器の解放には強靭な精神が必要だ。そのトリガーには十分だろう。
受け入れられず自死を願うのならば、ナルダの努力もむなしく晴れてワタシは自由の身となる。
どちらに転ぶにせよ、こうして「プラトンの鍵」の束縛から逃れられている以上、盤面を動かす力はこちらにある。
「……さて、その前に、だ。」
意識を集中させ、街全体を覆う魔力、その出所を探る。
これだけ広範囲に術式を適用しているとなると、範囲を指定するマーカー、そして中継器の存在が必要不可欠だ。
魔力消費量と引き換えに、それらを術式内に組み込んだ魔戒術式ならば特有の魔力が感知できるはずだし、天獄術式も同様だ。
「(マーカーの数は………7、いや8か。二重の正四角形と正八角形、正十二角形に次いで魔力法術との相性が良い配置だ。)
………ふんっ!!!!!!」
半径にして数km以上に及ぶマーカーの配置を捉え、その中心点、乃ち今いる学園のグラウンドの地下目掛けて、拳を振り降ろす。
拳の着地と同時に保護の結界を歪ませ、地盤沈下が起こらない程度に穴を空ける。
メキャキャアァという異様な音とともに腕の肉が裂けて骨が露出するが、すぐに渦巻きながら再生した。
降りた先は思ったよりも広く、間違いなく威力を抑えていなかったら地盤沈下が起こるくらいには空洞が広がっていた。
「遅いお目覚めですね。「獣」さん。」
「軽々しく名を口にするなよ。魔人が。」
そこには巨大な魔法陣とともに、その中心部に術者と思わしき緑髪の青年が立っていた。
流れる魔力から魔人であることが分かる。もとよりこのサイズの魔法陣に魔力を一人で供給できる人間はいないと言うのもあるのだが。
「ワタシの要件は分かっているのだろう? それを早く止めてもらおうか。」
「……いえ。ですから言ったでしょう、「遅いお目覚め」と。」
否定の言葉をかけると同時に<共感>が手を水平線上に薙ぎ、青年の首が飛ぶ。
しかし即座に切断面から血管が飛び出し、上下が接合、元通りになる。
軽い挨拶だが、再生速度を見るにサンドバッグとしては十分だ。
「…………何が言いたい。」
「この術式は丁度今私の手を離れ、土地の魔力とリンクしました。いくら悪意喰らう貴女でも、最早ただの舞台装置となった術式を止めることは不可能です。」
「お世話な事をしてくれたものだな。」
苛立ち紛れに拳を握り、魔人の頭部を魔力で押し潰す。
頭蓋骨がひしゃげ、目、歯、血、脳髄が轢かれたカエルのように飛び出るが、一瞬で元通りになる。
「よっ………と。やめてくださいよ、人間は顔の変化には敏感なんですから。
…会長も風紀部委員長も既に回帰したものですから、私くらいは責務を果たさなければ部下としての顔が立ちませんので。」
認知を歪ませる術式。
人間の心から恐怖心を無くすことは不可能だ。恐怖とは生存本能、乃ち個としての自我を持つ生命体には必要不可欠な存在だからだ。だが、恐怖心を抱かせないことなら出来る。
人間は「日常」、「慣れ」という概念に対し、過度に安堵する。ならば、あらゆる事象を「日常」だと認識させればよい。
効果は1日、しかし効果範囲内の人間は問答無用で常時認識、記憶が改竄される。
「1日、たったの1日ですが、それだけ時間があれば、この術式は世界まで影響を与えます。人間の記憶を含めたあらゆる記録媒体から、この街の存在証明は消失する。アレイスターという国家から、ローズ学園地区そのものが消失するんです。
今も尚、外の人々の記憶は消えていっています。時期に、貴女の記憶も改ざんされ、「ここには消された街があった」程度の認識になるでしょう。勿論元術者の私も含めて。」
時間稼ぎかは知らないが、術式の効果を明かす魔人。
しかし、異邦の魔法使いと既に接触している<共感>は、その効力の限界を知っていた。
「(………盛っているな。数刻前のあの魔戒術式ならば、確かにコイツと組み合わせれば「そこには何もなかった」と認識改変を起こすことはできる。実質的な存在証明の消失と言っても間違いでは無い。
だが単体では無理だ。名前は消えるかもしれないが、建築物の歴史と人間さえ残れば、認識改変程度では街を消すことはできない。精々人間を皆殺しにすれば「元々ゴーストタウンだった」と改変は可能だが、この場にはワタシ、「紛い物」が2体、「色付き」が2匹、そして保険も丁度使えるようになった。この餌1匹程度でワタシ達全員を倒すことはまず無理。
狙いは何だ…? ………まあ良い、面倒だが余計な事をされる前に食すか。)」
そもそも彼女の目的は完全なる顕現、その為のエネルギーとして悪意を吸収する手筈だった。しかしここら一帯の人間全てが仮初めの安心感を押し付けられ、悪意を抽出できなくなっている。
カーリーが意識を取り戻すまでのタイムリミットはあと3時間程。善性とは言え既にカーリーが怒りと殺意を学習した以上、彼女が表に出てこれるのは「本体が生命の危機に瀕している際の防衛システム」という実在するスキルの効果を利用して世界を騙しているからに過ぎない。
術式を止めるのが現状の課題だった。魂ごと搾りカスを盗られたナルダなどどうでもいい。
しかし止められないとなると、優先順位が大きく変わる。
カーリーという枷を外さなければ、ナルダと共倒れの形になってしまう。それだけは避けねばならない。
「……………ならさっさと死ね。」
踏みしめた地面を塵に変えながら、轟速球が魔人に突っ込む。
魔力の総量ならあちらの方が多いが、奴は非戦闘型。単純な戦闘能力は再生を抜きにすれば「色付き」は勿論、近接系上位のAランク冒険者でもギリギリ上回る事ができる。
魔人もピンキリだ。
ピンは会長よりも更に強く、完全に顕現を果たしていない現状の<共感>では万に一つも勝ち目がない。
しかしキリはタフなだけの人型魔物まである。人間界に来ている魔人が主に中の上程度であるだけで、人間と同じく弱い魔人はとことん弱い。
それでもAランク冒険者が複数人がかりでようやく互角になるレベルだ。当然回帰など夢のまた夢、最弱でさえこの始末。
だからこそ、魔人共が何か企みを起こす前に、先に人間界を手中に納めなければならない。
一瞬で懐に飛び込み、反応する暇すら与えず思いっきり腕を振り上げる。
凄まじい魔力の奔流が魔人を飲み込み、上半身を跡形もなく消し飛ばした。
しかし手ごたえが無い。
「っ!!! 相変わらず面倒だな!!!!」
そのまま残った下半身も潰すが、肝心の「核」と「設計図」は吸収できていない。
魔人は有機物・無機物問わず、諱の魔力さえ通っていれば同化が可能。つまり奴は仮初の肉体を犠牲に地面に逃げ込んだという事になる。
「虫ケラがッ!!!!!!!」
手加減無しで地面を殴りつける。
あまりの威力に岩盤如きが耐えうるはずも無く、半径12mの半球上に地面が凹む。
砕かれた地面が宙を舞い、落下する前に薙ぎ払われた彼女の腕によって粉微塵に消し飛ばされた。
砕き損ねた欠片の一つから、したり顔で魔人が出て来る。
0.1秒後には影も形も無くなっているが、やはり今回も手ごたえが無い。
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『ここか!!!? コイツか!!!?????
違う……違う違う違う違う違う!!!!!!!! どこ行きやがったあのドブカスがァァァァァァァァァァァッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
暴れ回る少女を他所に、魔人は既に別の肉体を得ていた。
飢餓状態で餌に逃げられる、その状況が奴の狙いだった。
どれ程不利な状況でも、まともな判断力を無くした獣は迷わず突っ込んでくる。
一瞬でもぴたりと止まって、魔力を辿れば全て偽物だとわかるはずだが、怒りに目がくらみそんな初歩的な事すら忘れている。
「(だが、随分持っていかれてしまった………)」
今彼女が相手にしている分身体の多くは、魔力で模った偽物だ。一体一体を作るコストはそれほどでもないが、如何せん消されるスピードが速すぎるせいで相当な魔力を消費することになってしまった。
それに加え引き付けるためにはギリギリまで本体を維持しなければならず、最初の一撃は魔人に確かな被害をもたらしている。
あと僅かに遅くても早くても、確実に今以上の魔力を吸われていただろう。
だがそもそも前衛向きでは無い自分が天敵を前にして回帰していないだけマシなのだ。
「こちらはまだやることが残っていますので、御先に失礼。」
そう言って、使い捨ての転移魔法陣に乗って、クリス・ヴァ―ミリアの皮を被った魔人は消えていった。
その魔力に気付き、あと僅かに気付くのが早ければ間に合った<共感>を置いて。
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