最近巷でちょっとだけ話題の『古文漢文オワコン論』について思うこと
まず前提として『古文漢文オワコン論』とは――とある知名度の高い人の「古文漢文はセンター試験以降、全く使わない人が多数なので、『お金の貯め方』『生活保護、失業保険等の社会保障の取り方』『宗教』『PCスキル』なんかの教育と入れ替えたほうが良いと思います」といった発言から起こった論争みたいです。
こんなエッセイ書いておいてなんですが、論争の経緯とか中身とかはあんま知らないです。
まとめサイトをちらっと見ただけ。
そんな筆者ですが、思うことがあります。
「古文と漢文がオワコンじゃない」と思ってる人、そもそも居ます?
古文って古代日本語です。
漢文は古代中国語の文語文です。
もうとっくに終わってて現代では使ってる人ほぼ居ないです。当たり前ですよね。
それを指して「オワコンなので」入れ替えましょうってどうなの?
現代においてとっくに使われてない古文漢文が現代の学校の科目に堂々とあることから自明の通り、そもそも学校の科目って「オワコンかどうか」では決められてないです。
「子供たちの教養や学習能力を養い、その先(の学問)に進めるために適切な教材かどうか」で判断されているんです。
極論、古文漢文の学習は古文漢文を上手に使えるようになることが目的じゃない。
例えば腕立て伏せしてる人がいるとします。
その人に向かって「腕立て伏せなんかして意味ある? 腕立て伏せが上手になっても意味ないよ」なんて言う人います? いませんよね。
腕立て伏せをするのは腕の筋肉を効率的に鍛えるのが目的であって、腕立て伏せ自体が上手に出来るようになることが目的じゃない。
それと一緒。
古文漢文を勉強するのは脳の理解力、思考力、学習能力を鍛えるのが目的の大半であって、古文漢文が上手に使えるようになるのが主目的じゃないんです。
学習を通じて「学習能力そのもの」を鍛えてるんです。
言いすぎました。
古文漢文を習得するメリットがまったくないとは言いません。
日本史や民俗学、日本語学なんかをやるなら必須といって良い前提知識です。
一般教養としての価値も無視できません。
大学以降で上述の分野を専攻するなら最低限、高校まででその基礎ぐらいは習得しておきたい。
ただ、そんなメリットはまず置いておいても、現代日本語の源流にあたる古文漢文からは、日本語の成り立ち、変遷、どのようにしてひらがなが生まれ、カタカナが生まれ、漢字が生まれたのか。現代日本語と古文漢文の相違点。古代日本人と現代日本人の価値観の相違――そういったものを体系的かつ広範に学べます。文系学問の脳トレとして、日本人にとって「身近で手ごろな」良教材なのです。
学ぶ力を鍛え、学ぶ悦びに触れる。
ここが学校教育の本義だと筆者は考えています。
昨今は学校教育にも英会話やPC操作などの『技能』教育に力を入れるべき、との風潮が高まっています。
その重要性については筆者もある程度は認めるところです。
でも、本来、小中学校も、高校大学も技能訓練校じゃないんですよ。
学問のための機関なんです。
特に小中学校なんかは、子供が労働に囚われずに学問というコストの高いエンタメに触れられるように「教育を受ける権利」を保障するための機関なんです。
憲法で定められた「文化的な生活」を保障するための機関でもあります。
「生活保護や失業保険の申請方法」に学問としての奥ゆきや拡がり、愉しみはありますか?
それを学ぶことで思考力はちゃんと鍛えられますか? 体系的に学習する能力は得られますか? 普遍性はありますか?
時流によってころころと変わる「お金の貯め方」を適宜教えることができるレベルの高い教員って、必要数確保できますか?
「宗教」を教師が子供に教えるのって、物凄くリスキーじゃないですか?
「PCスキル」って習得して10年ぐらいしたら、古文漢文以上の時代遅れの役立たずになってませんか?
筆者が大学時代図書館学で学んだ磁気テープの記録媒体へのデータ保存方法、一件の検索に30分以上かかる文献検索システムの使い方、もう完全に古文漢文以上のガラクタです。
筆者はそんなのよりも「古代語の学習」の方がぜったい厨二心をくすぐられるし、ロマンあるし、普遍的だし、学んで愉しいし、なにより文化的だと思うんですよね。
大学で古文書のあのぐねぐねした古代文字勉強して源氏物語が原文で読めるようになった時、筆者は最高に愉しかったです。
なろうで言うところの「古代神聖語」とか「古代エルフ語」とかのスキルを習得したような感じ。
子供たちからそういうロマンや「学問の愉しみ」「文化的な生活」を奪って良いんでしょうか。
まあ、こういう論が出てくること自体、世の教育者が学問の愉しみを正しく子供たちに伝えられていない証左で、「社会に出て役立つスキル」を学校に求める風潮は、日本が貧しくなって社会に余裕がなくなってきた証左でもあります。
学問って余裕ないとできないですからね。
でも、せめて義務教育の間ぐらいは、子供たちには「社会に出て役立つ」とか世知辛いこと考えずに、学問という純度の高いエンタメに触れて愉しんで欲しいものだと筆者は思います。
以上、徒然なるままに。駄文でした。