6.渇望
朝起きたらまあくんが消えていた。それに、一億円と思われるようなものもない。
急いでアパートを出てみたが、人影はなく、静かな道に枯れ葉が無音で舞っているだけだった。
まあくんがどこにいったのか分からなかったが、ひとつだけヒントがあった。少し前、まあくんに悪魔は契約者とどのくらいまでなら離れられるのか聞いたことがあった。その時たしかまあくんは、
「個人差がありますし、はっきりと距離が決まっているわけでもないのです。ただ、契約者と離れれば、そのぶんだけ体が重くなっていって、最終的には体が全く動かなくなっていく、と言う風になっております」
と言っていた。ならばあまり遠くへは行っていないと考えていいだろう。なんとしてでも探し出さなければならない。
一時間後、まあくんは案外簡単に見つかった。一番最初に探した道が運良く正解だったようで、道端に衰弱しきった姿で座り込んでいるのを発見した。やはり、家からはだいぶ離れた所におり、相当体力を使ったようだ。
「まあくん、こんなところで何してるの!」
「き、清華様。どうしてここに?」
「どうしてって、探したのよ。私の願いを叶えてもらわないと困るから」
「そうですか。仕方ないですね」
「とにかく、さっさと家に戻るわよ。はやく私の願いを叶えてよ。···あっでも、今は月が出てないからだめね······」
「いえ、大丈夫でございます」
「えっ、どうして? 月なんて出てないじゃない」
「月が出ていないと願いを叶えられない、というのは嘘でございます」
「えっ、ど、どうしてそんな嘘を······」
「清華様にもう一度よくお考えいただくためです。清華様、お金というものはたいへん危険なものでございます。私はこれまでにたくさんの人間の願いを叶えてきました。そのなかにはもちろん、お金に関する願いはたくさんございました。しかしその中で、本当の意味で幸せになられた方は、ほんの一握りでございます。清華様、私がなぜあなたに声をかけたかご存じですか?」
「えっ? いや、わからないわ」
「私は多くの人間を観察しておりました。今危険な状態にいる人間はこの東京にだけでもごまんとおります。そのなかでも清華様、あなたならばお金に溺れることはないと、そう思って声をかけたのでございます」
「······」
思いがけない事実を聞いてしまい、とっさに言葉がでない。さらにまあくんが続ける。
「今の清華様の目はあのときの借金取りと同じように濁っています。私はもう、お金で失敗する人を見たくはないのです。どうか清華様、もう一度よくお考えください」
「わ、わかったから。ほら、立ちなさい。とにかく帰るわよ」
「はい、かしこまりました」
一時間かけてもと来た道を戻った。その間二人は、全くしゃべることなく家まで帰り着いた。
鍵を開けて部屋に入ると、散らかしっぱなしままになっていることに気づいた。私が急いで家を出たのがまあくんにまるわかりだ。
「朝ごはんは···召し上がっていないですね。すぐにお作りいたしますので少々お待ちください」
そう言ってまあくんは、さっきの出来事などまるでなかったように、朝食作りに入った。一方私は、まださっきのまあくんの言葉の真意がわからず、部屋の入り口の前で立ち尽くしていた。
「······ねえまあくん」
「いかがなさいました、清華様?」
「私は···どうすればいいんだと思う?」
「私はもう、言いたいことはすべて申し上げましたので、あとはもう、清華様の思った通りにすればよろしいのでございます」
そんな優しい声でいわれるとよけいにどうすればいいのかわからなくなる。私だって、欲望のままに願い事を叶えてもらいたい。でも、さっきの話を聞いた後では、怖くてなにもいえない。
「さあ清華様、朝ごはんが出来上がりましたよ」
「······ありがとう。ねえまあくん」
「なんでございますか」
「さっきまあくんが言ったことは全部本当のことなの?」
「ええ、もちろんでございます。今回は嘘はついておりません」
さっきまあくんが言った言葉を覚えているだけ一言ずつ思い返してみる。ああ、やっぱり私はダメな人間だ。すぐ近くにこんな幸せがあるのに気づかないなんて。
「······そう。まあくん、私やっぱりお金にするのやめるわ」
「そうでございますか。ではこの生活をまた続けるわけでございますね」
「ええ、そうね。でも今までのように孤独ではないわ。とりあえず、友達に私から連絡とってみるわ。メールアドレスは登録したままだからこっちからでも連絡できるし。お金はないけど借金もないから、みんな優しいして信用してくれると思う」
「はい、私も応援しております」
「よーし、やる気が出てきたわ。今日からバリバリ働くわよ」
「······ところで清華様、今十二時ですが、バイトに行かなくても大丈夫なのでございますか?」
今朝起きたのが九時だったことに今さら気がついた。