3.涙
どうしよう、材料がないのでは料理も作りようがない。どうせ冬だから大丈夫だと思って後先考えずに冷蔵庫は売り払ってしまっていたんだった。
急いで財布を取り出して開いてみると、千円札が一枚だけ入っていた。今日が十八日だから、給料日まであと一週間もあるが、これで何とかしてもらうしかない。出来なければまた買い置きしてあるカップ麺を食べることになってしまう。それだけは避けたい。
「どうしました、清華様? まさか材料がない、などとはおっしゃられませんよね?」
「······まあくん、ここに千円あるわ。これであと一週間、もちろんいけるわよね?」
「清華様、それはいささか現実性にかけるのではないでしょうか······」
「できるわよね、あなたなら」
「なにを根拠にそんなことが言えるのですか、まったく。まあ頑張ってみますけど。出来なくても怒らないでくださいね」
数分後、私たち二人は近所のスーパーに来ていた。ラッキーなことに今日は特売の日らしく、お金がない身としては非常にありがたい。まあくんにはとりあえず、誰か私の知り合いに会ったら親戚のお兄さんと言うように言ってある。
「とりあえずパンでしょう。あと栄養をとるなら野菜があるといいですけど。でも冷蔵庫がないのでなにを買ったらいいのか······」
やはり冷蔵庫を売ったのは失敗だったようだ。
「ジャガイモとか大根とかいいんじゃないの?」
「そうですね。ですがなんせ一週間ですからね。値段をよく見て買わないといけませんね」
「あ、あれよくない? にんじん三本で百円だって」
「いいですね。やはり特売は安いですね」
その後もいくつか特売のシールが張ってあるものを見つけたが、やはりそれだけでは限界があり途方に暮れてしまった。
「ところで清華様、家に食べ物は全くないんですか?」
「え、いや、カップ麺なら多少はあるけど。それがどうかしたの?」
「なるほど、カップ麺ですか。わかりました。ではそろそろ会計に行きましょう」
「えっ、これだけでいいの?」
「はい、とりあえず今日はこれぐらいにしておきましょう」
お会計は全部で556円だった。残り444円だ。なんとなく不吉な値段のお釣りに先行き不安になる。
それにしても、たったこれだけの食材でなにができるというのだろうか。でも、もうまあくんに任せておくしかないので、せめてその手腕に期待でもしておこう。
帰り道、まあくんが突然聞いてきた。
「清華様はなんであんな巨額な借金を抱えられたのですか?」
そういえば、まあくんにはまだ話してなかった。でも別に話したいとは思わないし、むしろ恥ずかしいのであまり話したい話題ではない。
「どうしてそんなこと聞きたいの?」
「いえ、ただ今日の買い物の様子を見ていると、あまりお金に無頓着ではないように思えたので気になっただけです。不快な気分にさせてしまったのなら申し訳ありません」
「別に、押し付けられただけよ。友達にね。でも、保証人になってしまった私も不注意だったわけだし。まあもう解決したんだからいいじゃない、こんな話は」
「いえ、大変納得いたしました。野暮なことを聞いてしまって申し訳ありません」
「別にいいわよ、それぐらい」
それからは二人ともしゃべることもなく家までたどり着いた。
「清華様はこれからどうなさるのですか?」
「私は昼もバイトがあるからそろそろ出るわ。あなたはどうするの?」
「いつ頃帰ってこられますか?」
「えっ? あ、そうね······。だいたい五時頃かしら」
「かしこまりました。では帰ってきたらなにか食べられるよう、なにかご用意しておきます」
「あなた本当に気が利くわね。じゃあよろしく頼むわ。それじゃあ行ってきます」
「いってらっしゃいませ」
「あっそうだわ、ちょっと待ってて。えーっと、あったあった。はいこれ」
「なんでございますか、これは」
「これは人間が悪魔のことを想像してかいた本よ。好きかどうかわからないけど暇なら読んでみて?あなた日本語読めるわよね」
「ええ、読めますよ。ありがとうございます。ちょうどいい暇潰しになります」
「良かった。じゃあ今度こそ行ってきます」
家に帰ると部屋中にいい匂いが広がっていた。自分以外が作るご飯を食べるのはいつぶりだろうか。
「おかえりなさいませ、清華様」
誰かに「おかえり」といわれるのも、もう何年もなかった。久しぶりに感じる人の温かさに、思わず目頭が熱くなり、両手で押さえる。
「どうなさいましたか?」
「······なんでもないわよっ」
「そうですか、それならいいのですが······」
泣いている姿なんて見せたらなにを思われるか分かったもんじゃない。弱味なんて握らせてたまるものか。
「一応簡単な食事は出来ていますが、召し上がられますか?」
「当たり前よっ」
「それではこちらを」
そう言ってまあくんが出してきたのはラーメンだった。ただ、それはいつも食べているような、いかにも健康に悪そうなスープからは想像できない透き通るようなスープに、色彩豊かな野菜たちが添えられているものだった。
「あなた、これどうやって作ったの?」
「いえ、簡単なことしかしておりませんよ。麺は一度ゆでたものをスープに入れ直しただけで、それに野菜を入れただけでございます」
へぇー、それだけでこんなに見た目が変わるんだ。そんなこと考えたこともなかった。
一口食べてみると思わずため息をついてしまう。見た目だけでなく味もあっさりしていてとてもおいしい。悪魔なのに料理が上手いなんて、少しギャップを感じる。
「いかがですか、清華様」
「······ふん、まあまあってところかしら。今日のところはこれでよしとしておくわ」
「ありがとうございます」
そう言ってまあくんは満面の笑みを浮かべて見せた。やっぱりこの笑顔は嫌い。