10.悪魔
悩みがないのはいいことだが、なければないで悲しいものである。これは私の実感なのだが、悩みが全くないと今を生きている気がしないのだ。借金が返ったのでお金の心配はしなくていいし、まあくんが作ってくれるから食事も健康かつおいしい。話し相手もいるから退屈もしない。
この生活どこに不満があると言うのか。
今日も私はまあくんと適当な会話をして一日の大半を過ごすのだ。
「ねえまあくん。悪魔の世界ってどんなふうになってるの?」
「悪魔の世界ですか。そうですねぇ。これと言って面白いものはありませんが」
「でも人間の世界とはぜんぜん違うでしょ?」
「あまり変わりませんよ。人間界と悪魔の世界は」
「えっそうなの。私てっきり死体が転がってたり血の海があったりするのかと思ってたわ」
「人間というのはなかなか恐ろしい想像をするのですね。そんなものはどこにもありませんよ」
「ふーんそうなんだ······。あんまり面白くないわね」
「清華様は死体が転がってて血の海があると面白いと思うのですか?」
「そう言う訳じゃないけど、想像とはぜんぜん違ったから」
人間の世界と同じってことは悪魔が普通に暮らしてたりとかするのだろうか。私たちと同じように悪魔がたくさんいて生活している······。全く想像がつかない。
「悪魔ってたくさんいるものなの?」
「はい、といっても人間の世界に来る悪魔はそんなに多くはありませんが」
「どれぐらい居るものなの?」
「全世界でざっと一千万ほど」
「一千万!?」
「失礼、一千万は少し言いすぎたかもしれません。しかし、それぐらいの悪魔が人間界には存在します」
どうやら私は悪魔の世界を見くびっていたようだ。
こうして悪魔の世界の話を聞いていると私も興味が湧いてきて、その場ではこれでこの話は終わったが、私の頭には数日間残り続けた。
さて、そんな何でもないような会話から約一ヶ月が経ち、そろそろ二つ目の願いを決めなくてはまあくんが帰ってしまうと焦りだしていたこの日も、いつも通りのなにも起きないまま終わろうとしていた。もうさすがに夜勤はやめてしまったため普通の人と同じようなリズムで生活を送っている。なにもないことが逆に不自然なくらい滞りなく一日が進み、槍でも降ってくるのではと疑ったほどだ。
二ヶ月ぶんの給料を貯めて買ったテレビをゴールデンタイムで見れるような生活も今さらになれば普通で、別段ありがたみを感じることもなくなってしまった。
そんな中、たまたま切り替えたチャンネルで面白そうな番組をやっているのを見つけた。遠い異国の地に行って現地の人たちとコミュニケーションしたり、文化を学んだり、探検したりと、内容はよくあるような話だったが、なぜだか私は引き寄せられた。もともと裕福な家庭で育ったわけではないので、まだ海外に行ったことはないが······。違う、そんなことじゃない。もっと大きな感情がなにか······。
そのとき私は一ヶ月前のまあくんとの会話を思い出した。そうか、あの時のことが頭に引っ掛かって······。
そうして私は閃いた。悪魔の世界行けばいいじゃない。まあくんに頼めば連れていってくれるだろうし、これなら二つ目の願いにするだけの価値がある。
「決めたわ、私」
「なにをですか? 二つ目の願いですか?」
「そうよ」
「なにになさるのですか、清華様」
ここぞとばかりにまあくんが食らいついてきた。よほどはやく役目を終わらせたいのだろう。
「ほらー、そんな焦らないの、ま·あ·くん」
「むー······」
しかし私はここで考える。本当にこれでいいのか? もう少し考えた方がいいんじゃないか?
まあくんのこの様子だと、私が一言でも口にすればもう変更することは出来なくなるだろう。そこまでして、行きたいところだろうか? ほかにもっと良い使い道はないだろうか?······
······でも、ここで悩んでも仕方がないのだ。もう決めてしまったのだし後悔はするかもしれないが、なにを望んだとしても結局最後は後悔するのだろう。
「言うわよまあくん」
「よろしいですよ、清華様」
ひとつ深呼吸をする。なんせ人生が変わるかもしれない決断なのだ。そして私は言う。
「悪魔の世界へ連れてって」
私的にはこの後、それぐらいのことなら簡単だからすぐにでも連れていけますよ、みたいなことを笑顔で言われるのだと予想していた。しかし、まあくん突然真顔になって答えた。それは私の予想を大きく裏切るものだった。
「それはだめでございます。清華様、もう一度よくお考えください。あと二つしかない願いですよ」
「なによ、またそれを言うの? それとも規則で決まってるのかしら?」
「いえ、そのような規則はございません」
「じゃあ何でだめなのよ。まさか今回も、その願いを叶えると清華様が幸せになれません、とか言うんじゃないでしょうね」
まあくんのモノマネをして笑わせようとしたが、まあくんはひとつも表情を変えず、淡々と言葉を吐いた。
「いえ、そうではございませんが、しかしお止めください。悪魔の世界は危ないのでございます」
「嘘よ。だってあなた前言ってたじゃない。悪魔は人間と同じように生活してるって」
「に、人間を食べるのでございます。悪魔は」
「まあくん、そんな分かりやすい嘘つかないで」
まあくんにしては珍しく、目がせわしなく泳いでいる。相当慌てている証拠だ。
「ねえ、何なのまあくん。いいでしょ。私の願い叶えてよ。それともなにかダメなことでもあるの?」
「分かりました······。こればっかりは避けては通れませんね」
「え?」
「いえ、こちらの話です。分かりました、行きましょう。私の故郷、悪魔の世界へ」
言葉では勇ましいことを言っているが、いつになく険しい表情のまあくんを見て、なにかとんでもないことを頼んでしまったのではないかと不安でしかたがなかった。。