青春 ①
三時を回ると、“そろそろ帰るから最後に恋に餌あげよう?”と理香からLINEが入った。これを見て舞ちゃんは、「鯉が恋になってる」と笑っていたが、全てを知られてしまった俺からしたら全然笑えなかった。そして合流してもこいつらは何一つ先ほど見た事を口にはせず、素知らぬ顔をしていた。ただ朝とは違い、やたら俺と舞ちゃんを二人きりにしよう感が半端なく、超下手くそな動きでわざとらしく距離を取っていた。
「あ、私餌無くなっちゃった。宮川君は?」
「え? あ、あぁ、まだあるよ? それなら全部舞ちゃんに上げるよ」
「えっ! ほんとに! ありがとう宮川君! じゃあさ、一緒に上げよう?」
「え? ……う、うん」
舞ちゃんが俺の事をどう思っているのかは分からなかった。もしかしたら本当に俺の事が好きなのかもしれないし、ただ単に気が知れる親しき友人なのかもしれない。俺としては舞ちゃんが俺の事を好きでいてくれた方が良いのだが、人生経験上そんな甘い誘惑に負けてアタックしても惨敗するのは分かっていた。何より舞ちゃんは霧崎の事が好きなはずで、今日はたまたま天満がミスをしたのが大きい。というか俺は理香の事が好きで、理香と付き合いたい! で、でも理香は全く俺には興味なくて、それならいっそ脈がありそうな舞ちゃんと付き合うのもありかもしれない。いやでもそれでもし舞ちゃんにフラれるような事にでもなれば……
強烈な恋人繋ぎから始まり、今なお俺の事が好きなように振舞う舞ちゃんに、手の届きそうな恋人か、それとも俺と舞ちゃんがイチャイチャしていても協力的な姿勢を見せる高嶺の花の理香か、という究極の選択に頭の中は一杯だった。
それと言うのも、理香の態度が余計に悪かった。
俺は今までさんざん理香が好きだアピールをしてきたつもりなのに、理香は嫉妬するどころかまるで応援しているかのように振舞う。ここで少しでも“優樹の奴何イチャイチャしてんの!”的な視線でも飛ばせば俺も理香一筋でいられた。なのに今はどちらかと言えば霧崎といい感じに見え、俺の方がイラっとしていた。
「あ、もう無くなっちゃったね?」
「え? あ、あぁそうだね」
本来なら舞ちゃんとこうして恋人のように一緒に鯉に餌をあげるのは最高のシチュエーションだった。だが俺の気持ちも知らず楽しそうに鯉に餌を上げる理香が気になって、全く楽しくないどころか寂しさすら感じていた。
「じゃあまた今度だね宮川君。また一緒に来よう?」
「うん。その時は買い物とかもしよう」
「うん!」
それでも楽しそうにしてくれる舞ちゃんを悲しませるわけにはいかず、心を見透かされないよう笑顔で応えた。
「理香。もうそろそろ帰ろう?」
「え? “もう良いの”マイ?」
「もういいって、私達理香を待ってるんだよ?」
「え? そうなの? ハハハハハ……ごめんごめん。じゃあ帰ろうか」
見られていた事を知らない舞ちゃんは少し首を傾げたが、全てを知っている俺からしたら超嘘が下手な理香の言葉は胸に刺さった。
どうやら理香は本気で俺の事を何とも思っていないらしい。心の奥底では信じていただけに虚無に似た感情が湧いた。
その後も理香達は俺と舞ちゃんを二人きりにさせようとあからさまに距離を取るようになり、帰りの電車の中でもわざとらしく向かいに座り、全く俺達に話しかけてくるようなことは無かった。そしてやっと声を掛けて来たと思えば、それは無いでしょ! という理由だった。
「――じゃあ俺はここで降りる。また明日会おう」
「え? お前次で降りるのか?」
アナウンスが聞こえると霧崎はそう言い立ち上がった。
「あぁ。家なら次で降りた方が近い。言うのを忘れていてすまん」
今日の霧崎君はなんだかとても優しかった。しかしそれはそれで気持ち悪かった。
「じゃ、じゃあ俺も次で降りるよ」
「えっ! 優樹二駅分の切符買わなかった? どうしたの急に?」
突然の申し出に、理香は驚いたように声を上げた。
「い、いや、実は俺ん家も次で降りた方が近いんだよ……だから、それだったら俺も降りようと思って……」
実際次で降りた方が家は近かった。だが次で降りようと思ったのはそんな理由ではなく、ただ単にこの俺と舞ちゃんが付き合っているみたいな空気から一刻も早く逃げたかった。
これを聞いた舞ちゃんが少し残念そうな顔をしたのを見て、心が痛んだ。
「そうなんだ。知らなかった……それなら朝は電車で乗り合わせれば良かったね?」
「そ、そうだな……」
そして理香が全然俺の住んでいる場所を知らなかった事に、胸が痛んだ。
「でも本当に良いの優樹?」
「え?」
「だってさ~……ねぇ?」
舞ちゃんをチラリと見てニヤリと笑う理香は、正直鬱陶しかった。というかそれが原因で今俺は電車を降りようとしている。
「きょ、今日は爺ちゃんと婆ちゃんが来てんだよ。だ、だから少し早く帰らなきゃなんないの」
これは嘘。
「えっ! そうだったの!? それだったら早く言ってよ。なんかごめんね優樹」
「ごめんね宮川君。私に付き合わせちゃって」
「大丈夫大丈夫。だからあんまり気にしないで舞ちゃん」
「う、うん……」
爺ちゃんと婆ちゃんというワードは余程強烈なパワーワードだったらしく、理香達どころか舞ちゃんまで信じた。そしてはっきりとした理由が分かった為か、舞ちゃんの表情からは曇った色は消えた。
「じゃあそう言うわけだから、次で降りるから」
「分かった」
こうして上手く理香達を騙せた俺は、舞ちゃんには悪いが電車が停車すると霧崎と共に駅に降りた。そして電車が出発するまで手を振り続け、なんだか解放された気分になったのだが……
「…………」
「…………」
駅を出てしばらく歩いても俺と霧崎との間には会話は無く、折角心の重荷が取れたと思ったのに超気まずかった。というのも、別に仲が悪いわけではなく、霧崎は話し掛けてこないし俺も何を話せばいいのか分からず、黙々と歩くだけだった。この時初めて家が遠いと思った。
「…………」
「…………」
「……おい」
「……なんだ」
「お前俺と舞ちゃんが手繋いでるの見てたんだろ?」
しかししばらく歩き続けていると、霧崎は俺と舞ちゃんとの事を知り敢えて会話を避けているのではと思うと、なんだか腹が立って来た。そこでこちらから敢えてその話題を振る事にした。
「……あぁ」
霧崎も俺が覗かれていた事に気付いていたのを知っていた為、素直に認めた。
「ならなんで何も言わない」
誤解を解きたいとか自慢したいわけでは無かった。お互い知っているにも関わらず隠し事をしているような感じが気に入らなかった。
「……すまない」
いつもの霧崎の感じなら多少の言い合いになるのも覚悟していた。しかしどういうわけか今日の霧崎はやけに静かで、拍子抜けだった。が……
「こういう時どうしたら良いのか俺には良く分からなくて……すまん」
え? どういう事? ……はっ! もしかして霧崎は舞ちゃんの事が好きだったの!?
合点がいった。霧崎が避けているかのような空気は俺にではなく、舞ちゃんに対しての物だった。それが分かると毒気を抜かれた気分だった。
「い、いや、俺の方こそなんかすまんな霧崎……俺、お前の気持ち考えてなかった……」
「気にする必要は無い。俺に人生経験が足りなかっただけだ」
「霧崎……」
今までキザで、しつこくて、女子にモテて、同じ事しか言わなくて、運動万能で、ジャニーズに入れそうで、嫌な奴だとばかり思っていた霧崎だが、なんだか物凄く良い奴に見えた。
「だから改めて言わせてもらう」
え?
「おめでとう」
…………え?
「末永くお幸せに」
「…………」
何を勘違いしてんだよこいつ!
どうやら霧崎君は好きな舞ちゃんに失恋したからしょんぼりしていたわけではなく、友達同士が付き合う事になったからどう接したらいいのか分からず悩んでいたらしい。ある意味武人!
「ちょっ、落ち着けよ霧崎……お前なんか勘違いしてるぞ?」
「勘違い?」
「あぁ。別に俺と舞ちゃんは付き合ったりしてるわけじゃないぞ?」
「……何!?」
霧崎君超ビックリ。どこにそれだけ驚く要素があったのかは分からないが、彼の中ではあり得ないくらいの話だったらしく、顎が外れたんじゃないかと思うほどガクンと口を開けた。
「ど、どどどういう事だ宮川!? おおお、お前は新垣と手をいやらしく繋いでいたじゃないか!? ドドドどういう事だ!?」
どうした霧崎―! 家でも火事になったかー!
本当に目の前で自分ちが燃えているかのような勢いで動揺を見せ始めた霧崎には、俺の方がびっくりだった。
「別に手を繋いだからって付き合ってるってわけじゃないだろ?」
「何!? そうなのか!?」
えっ!? 違うの!?
「ででででもお前達、こここ、こうやっていやらしく握り合ってなかったか!?」
霧崎―! 握り合ってるのせいで余計にいやらしく聞こえるよ!
「あ、あれは俺と舞ちゃんの手相がますかけ線って言って珍しい形してるからなんかご利益があるらしくって、それで手を合わせてただけだよ」
「マスカケ!? おおお、お前、とんでもない奴だったんだな……」
絶対いやらしい意味で勘違いしてるよね?
「とんでもないって……確かに両手に……」
「両手に!?」
「あるのは千人に……」
「千人に!?」
「一人とか舞ちゃんが言ってたから凄……」
「おお、お前本気で言ってるのか!? お、恐ろしい奴だ……」
霧崎大パニック! もう俺の言葉も最後まで聞かず戦々恐々!
「いいい一体どんな形をしているんだ! ちょっちょっ、ちょっと見せてくれ!」
怖いもの見たさなのか、腰を抜かしそうな勢いでも霧崎は見せろと言ってきた。そこで見せれば少しは落ち着くだろうと思い、見せる事にした。
「これだよ」
両手を広げ掌を見せると、霧崎は恐る恐る覗いた。
「こ、これが益荒男の手相か……」
「益荒男じゃねぇし!」
霧崎君はどうやら思っていた以上にむっつりスケベだったらしく、絶対間違った意味で益荒男を覚えているようで、本日から俺の中でエロガッパとなった。




