雨
とはいえ僕はなんと言っても雨が嫌いだ。理由は83程度あるが、その全てを語るほど僕の時間は潤沢では無い。だから、例を上げるならば、傘、水溜まり、湿気、濡れる。
大体、傘、というものは中々に図々しいものである。
数少ない僕の手を一つ塞いでしまうからだ。例えばその日、荷物が多くて、肩から下げられるような荷物ではなく、紙袋のような手で直接持たないと行けないような、そんなものを持っていたとき、やはり動きづらく、濡らすまいと奮闘しながら帰路、或いは目的地に向かわなければならない。
*
「好きな天気は?」
前の席の奴が言った。
「なんでそんなことを聞くんだ。」とか何とか僕はそんなことを応えた。なんというか、奴はやや面倒。
「なんでって、今日はこんな雨なんだから、君は雨が好きか?と思って。」
「あァそう。残念ながら、僕は雨が大の苦手だ。君には悪いがね。」
「いや、嫌いな天気じゃなくて、好きな天気は?」
「はァ?」
意味がわからない。そもそも天気の話なんて、人間と喋るのが極端に苦手なやつがその苦手ぶりを紹介するくらいのジャンルだろう。
「だから、なんでそんなことを答える必要があるんだ?」
「確かに君にはこの質問に答える必要は到底ないだろうけど、答えたところでデメリットも無いはずだよ?」
確かに。
「じゃあまずはお前の好きな天気を教えろよ。」
「えぇ?僕?」
やはりこいつは面倒なやつだ。
「えー?僕の好きな天気かぁ。まあ、でもやっぱり、雨、かな?」
はァ。なんてこった。僕はこいつの好きな天気を否定したのか。まあ、だからって何も無いのだが、今日の僕はこんなくだらないことでつっかえるくらいの繊細なモードなんだろう。
「そう。」
「さあ、次は君の番だよ。君は僕の好きな天気を否定したんだ。その償いとしても答えるんだ。これはもう質問ではなく命令へと変化している。」
なんだその文句は。
「分かったよ。僕の好きな天気は晴れ。それも雲ひとつない、且つ湿度は低く気温は20度後半。」
「……えらい、細かいな。」
「そりゃあそうだ。好きって言うのは特別なんだ。僕は博愛主義じゃないからこう、カチッと決めないと気が済まないんだ。」
「ふぅん。」
それだけ聞いたらこいつは僕に一切の興味を失った。おいおい、それはないだろう。まあ、それがこいつらしいのだが。
やはり雨というのは面倒。
これから帰ろうというのに、この車軸を流す、というのか分からないけど、ザァザァ降りでは傘を持ってきていても帰る気を無くす。更にはもうひとつ面倒なことが起きた。
俗に言うあいあい傘というやつだ。
「あのさァ、お前の好きな雨なんだろ?だったら天気予報くらい見て傘を持ってくればいいだろうが。」
「いーや、君はよく分かっていない。大好きだからこそこの雨に包まれたいんだ。」
成程。それはわかる気がする。
「じゃあさ、台風とかはどうなんだ?あれも雨が降ってるだろ?」
「あれは違うよ。そんな、僕は破天荒じゃない。」
破天荒じゃない。僕はそんな言葉に頭を濡れた左肩へ傾けた。
「あ、そうそう、なんで君は晴れが好きなんだ?」
「気分がいいからだよ。」
「気分?」
「だって、朝起きて、窓に眩い太陽があればすっきり目覚められるし、運動もできる。もっと言えば行動範囲が広がる。雨天中止はあっても晴天中止は無い。」
こいつは僕の言葉をらしくなく真面目に聞いていた。
「成程。でも僕は今日みたいなしっとりとした雨の方が好きだな。落ち着く。」
「分からなくはないけど、部屋がジメジメする。それが不快。だから、曇りも嫌い。」
「僕だって曇りは嫌いさ。雨は降ってないが晴れではない。そんな中途半端なところが嫌い。」
どっちかって言うとお前は中途半端を貫いているようなやつだろ。とは心の中で押し留める。
「……お前、こっちじゃないだろ。」
「いーの。こっちでも帰れるから。」
「あっそう。」
こいつがこの後とんでもない遠回りをしようが僕には関係ない。こんな面倒な雨の中、こいつの家まで行こうなんざ思わない。なあに、こいつは雨に濡れるのが好きなんだ。
乗り換えを1回挟んで、僕はとうとう最寄り駅までこいつを連れてきてしまったのだ。
雨は次第に強くなり、横風のせいで傘は全くの機能を失う。
「あのさ、お前、本当に僕の家まで来てるけど、大丈夫?」
「え?心配?やだなあ、照れるな。」
やっぱりこいつも面倒だ。
「お前さ、ここで待ってろ。」
玄関前にあいつを置いて、僕は親父に車を出させた。
「ほら、乗れ。」
「え?嘘。送ってくれんの?」
「違う。お前を見かけた親父が心配してんだよ。」
「あ、すみません、お父様。お手を煩わせてしまい。」
「いーよ。いーよ。こんな暗い雨の日にこいつの友達を事故に遭わす訳には行かないだろ?」
なんというか、さっきまでこいつを濡れて帰させようと思ったんだが、やはり僕は甘いのか。
「ありがと。別に僕は雨に濡れるのは構わないんだ。」
「だから、それはぼ……親父が心配するんだ。」
ちらとバックミラーを見ると親父が苦笑していた。
「友達?」
親父がそう言った。
「ああ、まあ、なんというか、そんな感じ。」
僕はそう答えたが、こいつは
「大親友です。」と言いやがった。大親友って、なんだその馬鹿っぽい表現は。
ともあれそんなようなことを言いながら車はこいつの家に着いた。
「じゃあな、また来週。」
「うん。またね。お父様もありがとうございました。」
「いいってことよ。」
親父は笑っていた。
最後に僕は「そのお父様ってのやめろ。」と窓越しに言ってやった。
サイドミラーでは雨に濡れながら手を振るあいつがいた。なんだよ。それじゃあ送った意味ないだろ。
「なあ。」と親父。
「ん?」
「いい、大親友だな。もしかして……。」
「は?」
「いや、なんでもない。」
畜生め。何か見透かされたような気がした。