第三十一話 安政東海地震
本来の歴史と異なり、数か月早く戻ってきてしまったポーハタン号。
そこに、本来はロシア船ディアナ号に襲い掛かったはずの安政東海地震が襲い掛かります。
幕末と言われる1850年代のこの頃は、災害の多い時代であった。
元々地震や台風などの災害の多い日本ではあるが、この時代は特に地震が多く、迷信深いこの時代の人々は異人が日本を穢したから、こんな災害が起きたのだと信じる者も少なくなかったという。
その内の一つが安政東海地震である。
この翌日に起きた安政南海地震と合わせて安政大地震とも総称される、この地震は東海、畿内を中心に
南東北から、中国、四国地方まで幅広い被害を齎し、津波による被害で家が流されたり、家屋が倒壊したりの被害が出ており、死者は一万人、倒壊流出家屋は8千戸を超えるとも言われている。
当然のことではあるが、平八は、この地震が起きた細かい日付まで、夢で見て覚えていた訳ではない。
だが、ペリーが来航した年の冬、巨大地震が東海で起き、日露交渉中であったロシア船ディアナ号が津波に巻き込まれ大破したことを覚えていたのだ。
その為、海舟会は江川英龍を通して、阿部正弘に働きかけ、国防軍で集まっていた者たちを訓練の名目で、被害が大きかったと言われる甲府盆地、火災や家屋の倒壊が多かったとされる箱根から見附までの東海道筋に救助隊として配備し、津波で家屋のほとんどが流出するという下田にも、異国船の警備という名目で国防軍を配備しているところ、ロシア船ディアナ号の代わりに、本当なら、まだ来ていないはずのアメリカ船ポーハタン号がやってきてしまったのだ。
日本を守るという名目で集まっていた若者たちが沸き立つのも無理はないことであろう。
「それで、いつ斬り込むがよ、龍馬」
下田港を眺める高台の陣でポーハタン号を眺めながら岡田以蔵が尋ねる。
「やき、斬り込まん言いゆぅやろ。
今回は、象山センセと江川センセが、説得して、黒船はもうすぐ出ていくことが決まっちゅーのに、斬り込んでどうするがよ」
「じゃけど、今回、わしらは黒船から国を守る為に集まったんじゃ。
何もせんで見よるだけで済ませるのか」
高杉晋作がそう尋ねると、龍馬が苦笑する。
「国を守る為に、戦わんで、追い返せるなら、それが一番やろ」
「じゃっどん、異人は日本を穢す敵じゃち聞っ。それならば、斬れる内に切ってしもた方が」
田中新兵衛がそういうのを、龍馬は呆れたように返す。
「斬り込んだち、どうにもならん。
斬り込もうにも、黒船に乗り込む前に、大筒を撃ちこまれて、終わりやろ。
やき、万が一戦になった時に庶民に被害が出んように、お上は下田の町から人を追い出して、高台に避難させたんや」
そう言うと龍馬は眼下に広がる無人の下田の町を眺める。
下田に住む人々は、彼ら、国防軍の命令で必要な荷物を持ち、海岸線から離れた高台に建てた避難小屋に移動させられている。
もちろん、名目は黒船対策ではあるが、本当は津波が来るとの平八の予言があったからだ。
海舟会の面々と阿部正弘らは、検討の末、もし、本当に今年の冬に津波が来た場合、地震が起きた後では、走って逃げることは不可能と判断し、津波が届きそうもない場所まで庶民を移動させ、そこに頑丈な小屋を建てて、避難をさせていたのだ。
「やはり、刀では国を守れませんか?」
そんな事情を知らない井上源三郎は、純粋に目の前の黒船と戦になった場合、下田の町全域が火の海になることを想像して尋ねると龍馬が答える。
「刀だけではどうにもならんね。
それに、大筒や鉄砲を持ってきたところで、こっちから撃てば、向こうは風がのうても移動出来る黒船で逃げて、武器のない所に大筒を撃ちこめるがよ。勝負にならん」
龍馬がため息交じりに呟くのに、晋作が言い返そうとした、その瞬間、その場に踏みとどまることも難しいような揺れが一同を襲う。
眼下に広がる下田の町が地震で倒壊していき、その後に津波が無人の下田の町に襲い掛かる。
彼ら国防軍は昨日、下田の町中を歩き回り、そこから人々を避難させたばかりなのだ。
その街並み、路地裏、家屋が全て波に流されていく。
もし、地震が昨日起こっていたら、下田の町を見回った自分達があの津波に襲われていたかもしれないのだ。
顔には出さないが、そんな恐怖が彼らの胸に去来する。
津波は何もかも押し流す。
下田港に停泊していた何艘かの和船は下田の町に乗り上げ、破壊される。
ポーハタン号も津波に巻き込まれ、あちこちにぶつかりながら、グルグル回ることになる。
先程までたとえ攻め込もうと絶対に勝てないと話していた黒船が、
津波に翻弄され、目の前でボロボロになっていくことにあっけに取られる一同。
結局、津波は午前中一杯、下田の町に何度も襲い掛かり、そのたびにポーハタン号は被害を受けることになる。
船を支える背骨に当たる竜骨は折れ、マストは倒れ、割れた船底から蒸気機関にも潮水がかかり動かなくなり、陸に乗り上げることとなる。
「神風じゃ。神風が吹いて、異国の船を打ち払うてくれたんじゃ」
乗り上げたポーハタン号を見つめて晋作がそう呟くと龍馬が否定する。
「神風なら、下田の町まで、あんなに壊すことはないろ。むしろ、黒船に感謝するべきやろ。
あいつらが、来んと、下田の連中は皆、あの津波に巻き込まれて、海の中に沈んじょったんやろうきな」
「あいつらが来たき、地震が起きたんやないのか」
「異人が来ただけで地震が起きるなら、ペリーが来た時にどいて地震は起きざったんだ?
地震は異人と関係ないろ」
そんな風に話していると国防軍指揮官から、国防軍の面々に指示が降り、彼らは一団となって動き出す。
ある部隊は、避難している下田の人々の中を見回り、怪我人を助け、火事を起きないか火元の確認を行い、ある部隊は、用意していた物資で炊き出しの準備をし、また、ある部隊は、乗り上げたポーハタン号に向い、怪我人を助け出す。
この時の様子を書いたアダムス特使の航海日誌が残されている。
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恐るべき地震と津波が襲った後、私たちは日本人が善良で、尊敬に値する人々であることを思い知らされた。
町は全て破壊され、津波で瓦礫の山となっているにも関わらず、日本人たちが、混乱することも、暴動を起こすこともなく、淡々とこの未曾有の災害に立ち向かう姿を我々は驚きと共に見守ることになる。
津波の後、泥濘を超えて、危険を顧みず、ポーハタン号に助けにやって来てくれる人々。
彼らは、まるで地震が起きることを知っていたかのように、迅速に建てられた避難所に怪我人を運び
治療を行ってくれる。
町を破壊された人々に対する炊き出しも始まるが、ここでも泣き喚き権利を主張する人はいない。
実に、美しく整然と並び、割り込みをしようとする者がいないどころか、時には譲り合ったりする。
何という秩序、何という美しい友愛の光景だろう。
他のアジア諸国は勿論、我が国でも、ヨーロッパのどの国でも見られない光景だ。
先日、小笠原諸島への退去を命じた江川という役人は、我らが約束通りに早く出航していれば地震に巻き込まれずに済んだかもしれないというのに、その事を責めることなく、日本に来たことで、この様な災害にあってしまった我々を心から悼み、日本での滞在中、不自由がないようにと、一人一人に従者を付けることを約束してくれる。
他の国なら、絶対に自分の責任ではないと主張し、こちらの責任だと責めるところだろうに。
日本人を野蛮人などと侮るべきではない。
彼らの倫理は、我々の遥か高みにあるのだ。
先日の会談では、傲慢な印象を受けた佐久間という男でさえ、積極的にポーハタン号を修復する為の技術者を出すことを約束し、実際に、あっと言う間に、従者も、技術者も、用意してくれたのだ。
何という迅速さ、何という果断さ。
まるで、地震を起きることを知って前々から準備していた様ではないか。
我々に付けられた従者は、拙いながらも英語を理解し、更に、私の望みに答えようと全力を尽くしてくれている。
言葉は拙くとも、そのサービスは完璧で、言葉にする前に、こちらの望みを叶えようとするその姿勢は驚愕に値する。
率直に言って、ポーハタン号は酷い状況にある。
竜骨とマストは折れ、蒸気機関も故障して、動かない状況だ。
恐らく、ポーハタン号を修理して、アメリカに戻ることは難しいだろう。
だが、私は悲観していない。
既に日本人の技術者と修繕について話し合った我が国の技術者ジョン・ブルック大尉から報告を受けているが、彼らの技術に対する貪欲さと理解の早さは驚きべきものがあると聞く。
彼らの力を借りれば、必ず道は開かれるはずだと私は信じている。
この災害をチャンスに変えて、日本人との間に友情を育み、船を作って祖国アメリカに帰り、この素晴らしい人々を我が国に紹介するのだ。
その日が一刻も早く来ることを神に祈ろう。
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この日誌が書かれた後、ポーハタン号の乗組員たちは父島へと向かい、そこでアメリカ行きの船を日本人と共に作ることとなる。
まあ、アダムス特使は感動していますが、実際は知っていたから出来たことも多いのです。
今のところ、日本にとって、英語習得の機会、蒸気船や、最新技術の習得など、有利なことも続いているようなのですが、次回は、もう一つの可能性に迫ります。
次回、第三十二話 収束する運命 をお楽しみに。
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