第十八話 英国艦隊襲来
長崎での日英交渉の希望が多かったので、日英交渉を先に書くことにします。
吉田寅次郎と桂小五郎が幕府の御用船で樺太に向かって数か月。
その間、勝麟太郎と中浜万次郎は、川路聖謨らと打ち合わせを重ねていた。
平八の見たという「本来の歴史」という奴だと、ロシア船が長崎にいるという情報を掴んで、イギリス艦隊は9月に長崎を襲来するということになっていたはずだ。
だが、1月のロシアのプチャーチンとの交渉は、平八の夢とは、全く違う結末となっている。
平八の夢では、ロシアと日本は1月の交渉ではまともな合意に辿り着くことなく、ロシア艦隊はマニラでロシアからの補給を受けた後、再び、日本に交渉に来ているはずだったのだ。
それが、今回は1月でロシアと日本の交渉は合意に至っているので、ロシア艦隊は既にロシアに帰っているはずなのだ。
もっとも、合意に達したところで、北の海は凍っているので、すぐに帰れたはずはない。
流氷が溶けるまで、ロシア艦隊は何処に隠れたのだろうか。
この年の8月頃はカムチャッカ半島のロシア基地が英仏艦隊から攻撃を受けているはずだ。
ロシア艦隊は、その英仏艦隊の襲撃に遭遇してしまったのか、避けることが出来たのか。
オランダに情報収集を頼んでいるが、それさえも不明だ。
もし、ロシア艦隊が英仏艦隊に拿捕をされていれば、日露合意の情報が英仏艦隊に漏れているかもしれない。
その場合、英仏艦隊はどう動くのか。
そもそも、ロシア艦隊が長崎にいるという情報が流れ、イギリス艦隊が長崎に来るかも不明。
樺太からも、まだロシア艦隊が来たという情報は入っていない。
そんな不確かな状況にもかかわらず、勝らが長崎で待っていたのは、それだけイギリスが危険な存在であるからだ。
紳士の国であると自称しているが、海賊の国であることも間違いない危険な相手。
輸入禁止とされた阿片を清国に売り込み、それを没収されると、清国に戦争を仕掛けた危険な国。
世界中のあらゆる地域を植民地化し、その支配地域の何処かで常に太陽が昇っていることから、太陽が沈まない帝国と呼ばれる現在の世界最強国家。
そんな国と接触の可能性があるのに、放置する訳にはいかない。
だから、無駄になるかもしれないと思いながらも、英語の話せる万次郎を10月位まで長崎に滞在させることを阿部正弘は決めていた。
だが、その準備は幸か不幸か、無駄に終わることはなかった。
平八の夢通り、9月、イギリス艦隊は長崎に現れる。
60門の大砲を持つ帆走フリゲートウィンチェスターを旗艦として、スクリューを持つ蒸気船、外輪を持つ蒸気船二隻の合計四隻を率いて、英国東インド・中国艦隊司令スターリング提督がやってきた。
「いやぁ、本当に来ちまいましたね。川路様」
「日露交渉が、平八の夢とは異なる結果を導き出したにもかかわらず、9月に英国艦隊が長崎に来る。
これは、我々が歴史の改変に失敗していることを意味するのか。
それとも、変えられることはあっても、一方でどうやっても変えられない運命のようなものがあることを示すのか」
「まあ、イギリス艦隊が平八つぁんの夢通りに来たことは事実でも、そのイギリス艦隊の目的が夢の通りとは限らねぇってのが、厄介なところなんですがね」
「ああ、もし、ロシア艦隊のプチャーチン殿が英仏艦隊に既に拿捕され、ロシアとの交渉が洩れているとすれば、イギリス艦隊の目的は全くことなるものになるかもしれん」
「だから、慎重に慎重を重ねる必要があるってことでさぁ」
「しかし、だからと言って、あそこまでやる必要があるのか」
「まあ、無駄に終わりゃぁ、それに越したことはありませんがね。
相手は、この地球で最強の国家。出来ることは、全てやるに越したことはありませんぜ。
とりあえず、イギリスが当分、この国を攻める気にならないようにしておかねぇと」
「そうだな。では、気を付けて行ってきてくれ」
川路聖謨がそう言うと勝は頭を下げ、万次郎と共に幕府の小舟に乗り、イギリス艦隊に向かう。
50年ほど前、イギリス軍艦フェートン号は、戦争中のオランダの船の振りをして長崎まで来て、乗船したオランダ人を人質に取り、薪や水、食料を強奪して行っている油断ならない相手だ。
そして、今度もロシアと戦争中。
その為、最初から、川路らが船に乗り込むのではなく、まず、勝と万次郎がイギリス船に乗り込み、その方針を決めようということになったのだ。
「アイ キャン スピーク オランデ」
イギリス艦隊に近づくと勝が船の下から大声で話かける。
何度も叫んでいると、船の上から縄梯子が降ろされる。
それを登っていくのは、勝と万次郎だけ。
船の上でイギリスに襲撃されれば、二人の方が良いだろうという判断だ。
まあ、戦う為ではなく、速やかに飛び込む為なのだが。
二人が縄梯子を上がると、甲板には立派な軍服を着た人間が何人か並んで待ち構えている。
その中央に立つ髭面の男が話すと横にいる人間がオランダ語に訳す。
どうやら期待通り、イギリス側は日本人には英語が解る人間がいないと理解してくれたようだ。
「私は英国東インド・中国艦隊司令ジェームズ・スターリング提督である。
オランダ語は話せないので、彼に通訳して貰うこととする」
それに対して、勝もオランダ語で返答する。
「我が国は、イギリスと国交を結ぶ気も、交易を行うつもりもない。
にもかかわらず、オランダ語も話せないのに、この長崎に来られたのは、道にでも迷われたのか」
勝が軽く皮肉ると、その通訳を聞いたスターリングは苦笑し、返答をする。
その返答を万次郎が小声で通訳し、勝に伝えると、勝は次の返事を考える。
「この間、日本に来たアメリカのペリーも日本語は話せないが、日本は交渉に応じたと聞きます。
ならば、我らとの交渉にも応じてくれてもいいではないですか」
「アメリカは大統領よりの親書を持ってきたので、礼儀の上で、その親書を受け取ったに過ぎない。
別に交渉はしていないはずですが、その様なことをペリーは吹聴しているのですか?
もし、あなたが国王の親書を持ってきたというなら、ここで受け取りましょう」
そう言って、勝が手を出すと、スターリングは頭を横に振り、隣の者たちと英語で話す。
それを解らない振りをして、万次郎に通訳して貰う勝。
どうやら、平八の夢の通り、スターリングはイギリス本国の命令を受けて長崎に来た訳でも、外交交渉権限を持っている訳でもないようだ。
「今回は親書を持ってきた訳ではないが、緊急の警告があってやってきた。
貴国はロシアとも交渉しているという情報を我々が掴んでいる」
そう言われて勝はヒヤリとする。
ロシア艦隊が拿捕されて情報を掴まれているか、それとも逃げ切っているかで状況は異なるが、まだ樺太にロシア艦隊が来たという情報さえ長崎まで届いていないのである。
となれば、イギリスの反応から、ロシア艦隊が無事であるかを判断するしかないのだ。
「我が国が、どの国と交渉しているかを、貴国にお伝えする義務はないはずだ。
だから、ロシアが日本と交渉しているかどうかについても、お答えするつもりはない」
勝がそう応える、通訳が英語で訳すと、イギリス側の何人かが顔色を変えて怒り出すのが見える。
「生意気な黄色い猿め。
こんな奴ら吊るし上げて、ロシア艦隊の情報を吐かせましょうといっちょりますぜ」
万次郎がそう訳すと、勝は顔色を変えないよう注意しながらもホっとする。
言葉が解らないと信じて、簡単に挑発に乗ってくれるバカがいてくれたようだ。
おかげで、この連中はロシア艦隊の動向を掴むことが出来ず、平八の夢の通り、長崎にロシア艦隊がいるという情報を掴んで長崎に来ただけということが分かった。
ロシア艦隊が日本にいたのは去年の秋と今年の1月。
歴史を変えたと思っていたが、本来の歴史でも、その情報を基にイギリス艦隊が長崎に来たのなら、こういう事態もありうるということなのだろうか。
「今、我々イギリスはロシアと交戦状態にある。
君たちがロシアに協力をするというなら、日本も我々の敵ということになるのだが、君たちはロシアに協力し、我らと敵対するつもりなのか」
だが、さすがは最強国家イギリス。
ロシアの情報を掴んでいなくても、危険な相手であることは変わりはないことを一瞬で示して見せる。
勝が見たところ、この船だけでも、鉄製の大筒が何十門もあり、
それに随伴する三隻の蒸気船も昨年見たペリー艦隊以上の迫力。
ペリー艦隊の様なコケ脅しではなく、今回のイギリス艦隊はロシア艦隊と本気で戦う為の艦隊。
おそらく、下手な返答をすれば、この長崎はアッと言う間に火の海となるだろう。
「我々は、ロシアとイギリスの戦争に介入するつもりはない。
それで、我らがイギリスと戦う理由もないだろう」
勝がそう応えると、イギリス側は再び相談となる。
平八の夢では、イギリス側が日本に求めていたのは、クリミア戦争における日本の局外中立。
つまり、今の発言で、彼らの目的は達成したはずなのだ。
だが、万次郎によると、イギリス側は勝の言葉だけで、日本を信じていいのか、
ロシアの危険性を伝えて、いっそ日本をイギリス側に巻き込むべきではないかと相談しているようだ。
「確認をしたい。あなたは、日本を代表する権限を持っているのか」
スターリング提督がそう尋ねると勝が再び苦笑して応える。
「あなたと同様、私は親書を持ってきた訳でも、外交交渉権を持っている訳でもない」
「それでは、あなたの言葉をそのまま信じることは出来ない。
日本の全権代理を持つ者をここに呼んで欲しい」
「残念ながら、それは出来ない。
イギリスは約50年前、乗船したオランダ人を人質にして、強盗行為を働いた国だ。
その上、最近では、清国が禁止した阿片を密売し、密売した阿片を没収したところ、それを理由に清国と戦ったとも聞いている。
そんな国の船に、我が国を代表する人間など、乗せることは出来ない」
勝がそう言うと、再びイギリス側が沸騰する。
万次郎によると、50年も前のことなど関係ないだろうという声や阿片戦争は清国側が先にマカオを武力封鎖したから仕方なかったのだという声があるようだが、それをスターリング提督は制止して応える。
「どうも、ロシアが来て、随分と歪んだ情報を与えていったようですね。
50年前の事件についても、清国との戦争についても、我らの言い分もあるが、ロシアはそれをあなたたちに悪く伝えたのでしょう。
だが、ロシアがサハリンや千島列島を日本から奪おうとしていることはご存じないようだ。
日本の全権代理の安全は、私が私の名誉に掛けて誓おう。
どうか、日本の全権代理と話させて貰いたい」
そう言われて、勝は考える振りをしながら、思惑通りに話が進んでいることにほくそ笑む。
せっかく最強国家イギリスと接触をするのだ。
クリミア戦争への不介入を約束するだけで、終わったのでは勿体ない。
外交交渉権を持たない相手ではあるが、平八の夢でも、締結された日英和親条約はイギリス側に追認されている。
ならば、同じように追認されるような合意を結べば良いというのが象山先生の意見だった。
だが、イギリス艦隊には、全権代理の川路様に乗って頂く訳にはいかない。
そういう建前の下、渋々という体で、スターリングらの出島上陸を許すこととなる。
日英交渉第二幕の開幕である。
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次回は週末に更新の予定です。




