第十四話 海外視察の最大の問題点
海外視察の人員も決まり、国防軍創設の方針も決まりました。
今回は、視察によって起こる最大の問題について、話し合います。
「さて、異国への視察団の構成、予算が決まったところで、改めてご相談がございます」
阿部正弘はそう言うと一同を見渡す。
それは、先程までの興奮を一瞬で醒めさせる程の重い声だ。
この事を知らせると、下手をすれば、海外視察そのものが中止になりかねない。
かと言って、知らせずに異国に行かせた場合に起きる混乱と反発の方が怖いと判断し、その対策も含めて伝えることに決めたのだ。
「実は、長崎のオランダ人に確認したのですが、国家間の法の基本は相互主義というもので成り立っているとのことでございます」
「相互主義とは?」
「簡単に申し上げると、やって貰った事には、同様に報いねばならないということでございます」
「うむ、恩には恩で、仇には仇で報いるということじゃな。
まあ、当然のことじゃろう。それほど、不思議なこととは思わぬが。
それで改まって相談とは、何のことじゃ?」
「この相互主義を守らぬと、異国からは常識知らず、野蛮人、非礼、無礼、恩知らずと見られます。
その点、知らぬこととは言え、これまで、我らは、大変な非礼を繰り返していたこととなります」
「付き合いもせずに、非礼もないじゃろう。
わしらは異人と付き合いたくないと言うておるんじゃ。
にも拘わらず、勝手に来た連中を歓待する理由もあるまい」
「仰せの通りでございます。
ですが、我らは異国から来た船に何度も乗り込んでいながら、秋津洲への上陸は許しませんでした。
彼らの法に則れば、船に乗り込めば、乗り込んだだけの人数の上陸を許さねばならなかったとのことでございます」
そう言うと何人かは阿部正弘が言い出した問題に気が付き始めるが、水戸斉昭は想像もつかないようで、反駁する。
「来るなというのに勝手に来ておいて、追い返す為に船に乗れば、上陸させろなどと、何と勝手なやつらじゃ。
まあ、そのことを知っているなら、今後は船に乗らずに追い返せば良いということじゃな」
水戸斉昭が不機嫌そうながらも自己完結しているところ、意を決して阿部正弘が問題の本質に切り込む。
「そうです。その様に追い返すならば、問題はないでしょう。
しかし、勝手に来た時ですら、やって貰ったことには、同じだけのものを返さねばならぬのです。
では、我らから、異国を視察した場合は、どうなると思われますか」
そう言われ、場の空気が凍り付く。
水戸斉昭などは、一瞬何を言われたか理解出来ないように固まっている。
「我らが異国を訪問し視察をするならば、異人が我が国を訪問し視察することも許さねばならないということになります」
そこで、阿部正弘が決定的なことを口にすると、理解が及んだ水戸斉昭が直ちに激高する。
「ならん!ならん!
夷狄どもに秋津洲を穢されぬ為に、我らは異国で穢されるのも厭わず、異国に行こうというのだ。
それなのに、我らが異国に行ったから、夷狄どもを秋津洲に迎え入れねばならぬとは本末転倒ではないか。
それならば、異国視察など、全て中止じゃ!
我らが行かねば、奴らが秋津洲に来る口実もなくなるはずじゃ!」
予想通り水戸斉昭が激しく拒絶反応を示すのを阿部正弘は恐縮した風を装い静かに眺める。
相互主義というのは実に厄介だ。
もし、これを知らずに異国の視察を行えば、視察を受け入れた国は必ず同様の歓待を我が国に期待するだろう。
だが、攘夷の声が強い我が国では、異人が満足するような歓待など、簡単に出来るはずもない。
その結果、日本は視察を受け入れた国から、野蛮で未開の非文明国という扱いを受けることになるだろう。
下手をすれば、侵略しても構わない未開の国という扱いを受ける危険すらある。
平八の夢では、これから六年後、日本はアメリカに遣米使節を派遣し、熱狂的な歓迎を受けることになる。
当時のアメリカ人から見れば、違う星からやってきた、神秘的な人々という印象だったのだろう。
使節団はどこに行っても熱烈な歓迎を受け、多くのアメリカ人は日本に好意を持ったと思われる。
だが、使節団を送って日本にやってきたアメリカ人は、日本で、彼らの感覚では信じられない程の冷遇を受ける。
この頃、日本は桜田門外の変後で激しい攘夷の声が日本で上がっている状況。
その中で、幕府は攘夷を叫ぶ連中に見つからぬよう、アメリカ人たちに精一杯の歓待をしたのだろう。
しかし、その努力はアメリカ人に全く評価されない。
アメリカ人記者たちは、日本のことを激しく非難し、アメリカの日本熱は一気に冷めることとなる。
その様な事態を招く訳にはいかないと海舟会及び阿部正弘は考えていた。
まだ、自国を守る十分な武力を持たない日本は、異国に敵意を持たれたり、侮られたりする訳にはいかない。
むしろ、少しでも異国の好意を稼ぎ、日本を攻撃するなど、とんでもないと思わせなければならない。
日本を素晴らしい芸術と文化のある尊重すべき神秘の国と思わせなければならない。
特に、アメリカという国は民草の声が施政に反映される国だという。
ならば、より一層、アメリカ人の好意は重要となることだろう。
その為には、攘夷の総本山、水戸藩の承認を得ることが重要となる。
水戸斉昭の罵詈雑言が止み、高ぶった感情が少なからず治まったところで阿部正弘が声を掛ける。
「水戸様のお言葉は誠にごもっとも。異人を秋津洲に上げ、歓待などしたくないのは私も同じです」
そう言うと水戸斉昭は賛同者を得たことに安心したような顔をするが、次の言葉で凍り付く。
「仰せの通り、異国に対する視察を中止したとして、水戸様はどのように我が国を守られるおつもりでしょうか。
鉄砲、大筒、蒸気船を見ればわかるように、現在、我が国と異国の武力の差は圧倒的でございます。
視察を断れば、それを口実に、異国は我が国への戦を挑んで来るやもしれません。
水戸様は、どのように我が国を守られるのか、その策をお伺いしたい」
そう言われて、水戸斉昭は考え込む。
異国の視察が原因で、夷狄が我が国に視察に来るというのなら、視察そのものを止めてしまいたいというのは彼の素直な気持ちだ。
しかし、それが異国の日本侵略の口実とされては無意味どころか、有害ではないか。
まず、異国が日本侵略に来るまでの時間を稼ぐこと。それが戦略の基本中の基本だ。
となれば、異国視察を中止にする訳にはいかないか。
アメリカはすぐに戻ってくるかもしれないと聞いているが、ロシア視察には時間が掛かるかもしれないと聞いている。
まず、それだけで時間が稼げるのだ。
それならば、異国への視察を中止にせず、異人たちの日本視察をどうにかした方が良いのではないか。
「まず、時を稼ぐこと。これが第一じゃ。
ならば、異国への視察は中止にせぬ方が良かろう。
その上で、更に時を稼ぐ。
夷狄が日ノ本を視察したいと言うのならば、お返しの歓待をしたいので、準備の時間を要求するのじゃ。
それならば、無礼にもならず、時間を稼げるじゃろう」
「確かに、それならば非礼にはなりませぬな。それで、何年ほど待たせるおつもりで」
「出来れば、5年、10年待たせて、その間に軍備を整えて、夷狄の視察を断りたいところではあるが。
さすがに、それだけ待たせるのは難しいんじゃろうな」
「ええ、そこまで待たせた上で、訪問を断れば、間違いなく異国の怒りを買うことになるでしょうな。
準備に時間が必要だと言ったところで、余程の天変地異でも起きぬ限り、待たせられるのは、精々1、2年といったところでしょう」
「1、2年か。それでは、さすがに異国の視察を断るだけの力を手に入れるのは無理じゃろうな。
何とか、奴らが秋津洲に来ることを阻止出来ぬものか」
悩む水戸斉昭に堀田正睦が提案する。
「我らは既にオランダに江戸参府を許しているのですから、視察に行く国にも、我が国の視察を許してやってもよろしいのでは」
「オランダは、それでも長い付き合いがあろうが。日ノ本に対する敬意もある。
それに対し、これから行く異国の連中は、、どこの馬の骨ともわからぬもの。
同列に話せるものではないわ」
水戸斉昭が再び興奮し始めたので、阿部正弘はそれを宥める。
「仰る通り、我らは、異国がどのような国であり、どのような態度を取るのか、わかりません。
ですから、視察に行く方々の報告が重要となるのではございませんか」
「つまり、夷狄どもが我ら視察団を冷遇すれば、同じ様に遇してやれば良いということか」
「そうです。視察団の方々を、異国の者が侮れば、それを返したところで問題はないでしょう」
「そうじゃな。そんな場合は、小笠原諸島や北蝦夷(樺太)で歓待してやるだけで十分じゃな」
水戸斉昭が嬉しそうに笑うのを見て、阿部正弘は苦笑を隠しながら続ける。
「問題は、異人たちが精一杯の歓待をしてきた場合です。
その場合、大事なのは、異人が何を望むのかを知っておくことです。
何しろ、相手は異人です。
我らの持て成しが通じるとは限りません。
視察で、異人が何を求め、どうすれば喜ぶのかを確認する必要があるでしょうな」
「それで、夷狄どもが喜ぶ持て成しを用意すれば、良いということか。
しかし、千代田城(江戸城のこと)に上げたくはないのう。
奴らが満足した上で、なるべく、我が国が穢されずに済む方法はないものかのう」
水戸斉昭が不満そうに呟くと、島津斉彬が提案する。
「ならば、我が薩摩藩で歓待いたしましょうか。
異人が望むのは、この国での歓待。
ならば、公方様のおわす、千代田城に招かずとも、報告次第で、我が藩でも十分喜んで貰える歓待は出来るかと。
我が藩でも、産業開発は進めております。
我が藩の持て成しを楽しんで頂いた上で、その開発の助言を頂ければ、こちらとしても有難いこと。
まあ、その際は、水戸様にも薩摩に来て、歓待のお手伝いをして頂くことになると思いますが。
如何でしょうか」
「ならば、我が佐賀藩でも、歓待を引き受けますぞ。
佐賀藩は長崎にも近い。
長崎に来て貰った上で、佐賀藩に寄って貰えば、喜んで持て成しましょうぞ」
島津斉彬が自分の藩での持て成しを提案すると、蘭癖大名たちが次々に自国での持て成しを申し出る。
歓待をするなら、費用はかかるだろう。
だが、元々、産業開発を進める事が出来る位、財政に余裕のある藩ばかりなのだ。
多少の費用は掛かろうとも、異国からの客を迎え、意見が聞ける。
異国に直接視察に行く為には、家督を譲ってからでないと行けなくなってしまったが、これならば、異人たちと交流することが出来る。
蘭癖大名たちには、願ってもない提案であった。
一方、九州の外様大名たちが次々に異人の接待を申し出るのを水戸斉昭は感動していた。
秋津洲(本州)を穢さぬ為に、自らの藩を穢すことも厭わぬとは、何たる忠義。
九州で受け入れてくれるならば、秋津洲を穢されないで済む。
水戸斉昭がその提案に賛成しようとすると、井伊直弼が反対する。
「私は、反対でございます。
元々、今回の視察団は幕府を代表して派遣されるもの。
歓待を他の藩に任せたのでは、幕府の面目が立ちませぬ」
もちろん、井伊直弼の本音は違う。
彼の目的は、異国と外様大名が結びつくのを避けること。
その為に、外様大名の異国行きを阻止したのだ。
それなのに、異国から来る連中の接待役を外様大名に任せては、異国と外様大名の間に繋がりが出来てしまうではないか。
「しかし、わしとしては、秋津洲に夷狄をあげたくないからのう。
島津殿らの提案は実にありがたいことなんじゃが」
井伊直弼が本音を隠して、外様大名による異国接待案に反対しても水戸斉昭は賛成しない。
水戸斉昭は、異国に敵対心を持っていても、外様大名へ警戒心を持っていない。
幕閣の面々も、異国の歓待の費用を外様大名が出してくれるなら、ありがたいと考えている位だ。
自分の意見が理解されない井伊直弼が絶望しかけるところ、阿部正弘が助け舟を出す。
「いずれにせよ、全ては異国の視察に行ってから判断して頂くべきことかと。
その上で、どの様な歓待を受けるかで、こちらの対応も考え、異国から貰った1、2年の猶予の時間の間に準備をする。
ですから、異国に行かれる方々は、ご本人のみならず、学者、職人、商人の意見をまとめ、何をなすべきか正確に報告して頂きたい。
島津殿らに、接待をお願いするかは、その時に考えればよろしいでしょう。
なあに、どうせ、歓待せねばならぬのです。
異人に侮られるような歓待をすべきではありません。
我が国の素晴らしさに感嘆させるような歓待を準備しようではありませんか」
その言葉に、皆が頷く。
最大の難関だと思っていた水戸斉昭ですら、九州歓待案により、随分態度を軟化している。
こうして、幕府の異国視察が正式に決定することになった。
視察の結果、視察に向かった彼らが何を感じ、そのお返しにどんな歓待をするのか。
その結果、日本がどんな運命を辿るのか。
未来はまだ決まっていない。
次は、第四部ではじめての平八視点になります。
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次は週末に更新する予定です。




