第八話 北の策謀
1868年、日本の存続を掛けた最後の戦いが始まります。
まずは、日本に宣戦布告をしたロシアの側から開始です。
「日本は世界の秩序を乱す悪の帝国である。
植民地を唆し、出来もしない独立を夢見させ、武器を配り、世界に混乱をバラ撒いている。
我々ロシア帝国はその事実を突き止め、その様な行為を止めるよう何度も日本に警告した。
しかし、日本はガンとして我々の警告を否定し、武器をばら撒いている事実を認めようとしない。
それ故、我々、ロシア帝国は仕方なく、世界の秩序を守る為に、力を持って、日本の武器輸出を止めることとしたのである」
ロシア皇帝アレクサンドル2世は世界に発する宣言文を読むと苦笑を浮かべて、近くにいた側近のゴルチャコフ公爵に尋ねる。
「この宣戦布告、どれだけの人間が信じると思う?」
アレクサンドル2世の側近には、日本に来て水戸藩を案内したプチャーチン提督の姿はない。
プチャーチン提督はアレクサンドル2世の父、ニコライ1世の臣下である。
つまり、アレクサンドル2世の自身の臣下ではないのだ。
その点、プチャーチンが引退するのは不思議なことではなかった。
とは言え、プチャーチンは日本を知る第一人者。
対日本政策に関することであれば、本来は相談しておくべき存在であった。
だが、アレクサンドル2世の目から見ると、プチャーチンは日本に心を奪われているように見えた。
日本贔屓に過ぎるように見えた。
アレクサンドル2世も、日本の確かで繊細な芸術的手腕と礼儀正しさには魅了されていた。
が、プチャーチンの言うように、日本がロシアも成功していない産業革命に成功しているなどとは思えなかった。
何しろ、日本は白人国家ではない。
有色人種の国なのだ。
珍しい猿であっても、自分たち人間とは違うと本気で思っていた。
尋ねられたゴルチャコフ公爵は口元を緩めながら応える。
「有色人種の国が武器を大量生産して世界中に配っているなど、本気にする国はないでしょう。
ですが、今なら、我々の日本征伐を止められる国はございません。
不愉快に思おうと、大義名分さえあれば、精々、非難声明を出すこと位しか出来ないのではありませんか」
ゴルチャコフ公爵のお追従にアレクサンドル2世は頷く。
アメリカ南北戦争に端を発する世界大戦から約3年、世界は混乱の極みにあった。
佐久間象山が改変したアメリカ合衆国の奴隷解放宣言は世界中の植民地に広がり、その宣言を信じた世界各地の植民地で民族解放運動が一斉蜂起。
フランス帝国は大英帝国、プロシア連合軍に敗れ、植民地を維持する能力を失い、インドシナなどで独立が成功。
その独立政権の中には、現地人に協力するフランス人の姿も多数見られたのが他の植民地との違いだろう。
この辺は、普段は差別する癖に、情熱を基に、現地人と結婚し、現地人と対等な協力関係を結んでしまうフランス人らしさとも言えるのかもしれない。
そういう意味ではフランス植民地独立の成功は純粋な独立とは言い難いものであった。
しかし、フランス人協力の下とは言え、植民地独立が成功したという情報が流れることが、他の植民地の独立運動を活性化させる一因ともなっていた。
大英帝国の植民地に関しては、最大の植民地インドの反乱をロシアが引き続き陰から援助していることが大きい。
インドで燃え続ける独立運動は、多くの植民地の希望の光となっていた。
その影響もあり、大英帝国の世界各地の植民地でも、民族解放運動が頻発していた。
世界に冠たる大英帝国海軍と云えども、全ての植民地の反乱に対応することは不可能。
大英帝国海軍は疲弊しきっていた。
ロシアが日本占領に成功すれば、ロシアがアジアで巨大な不凍港を手に入れることを意味する。
ヨーロッパでエーゲ海を手に入れたのに続く、ロシア拡大の契機。
大英帝国としては、世界の覇権をロシアに確立されない為には是が非でも、日本占領を防ぎたいところであろう。
だが、極東の日本をロシア帝国が攻めたからと言って、これに介入するだけの余裕などないはずだった。
「しかし、実に悪辣にして的確だ。
本当のところ、大英帝国植民地の反乱を援助しているのは我々なのに。
その罪を全て日本に押し付け、我々が日本を占領する。
シーボルトも最後の最後に、良い策を残してくれた」
シーボルトは本来の世界線の通り、2年前に病死している。
今回の日本への宣戦布告は、2年前にシーボルトの残した策の通り、2年間準備した結果なのである。
「しかし、死してなお、徳川政権を滅ぼそうとするシーボルトの執念。
恐ろしいものでございますな」
「シーボルトは徳川に妻子を奪われ、愛する日本から追放されたことを恨んでいたのだったな。
日本と日本人を愛している。
だが、徳川が支配している今の日本はダメだ。
我ら、ロシア帝国が正しく支配し、管理して欲しいというのが、シーボルトの最後の言葉だったか」
「仰せの通りでございます。
ですが、日本がペトロパブロフスク・カムチャツキーへの挑発に乗ってくれれば、もっと楽に話が済んだのですが」
アレクサンドル2世が日本占領を狙ったのは、決してシーボルトの進言が切っ掛けではない。
日本を狙い始めたのは、水戸藩のロシア視察の時にまで遡る。
その時に提供された数々の宝物。
礼儀正しく規律正しい侍たち。
これらに魅せられ、アレクサンドル2世は日本を自分の支配下にしたいと考え始めていたのだ。
それ故、日本にアラスカと一緒にペトロパブロフスク・カムチャツキーを売却した時から、国境紛争を仕掛け、日本との開戦を狙って来ていた。
日本に売却したペトロパブロフスク・カムチャツキーは要塞であった。
何の口実もなく攻撃し占領出来る出来る存在ではない。
そこで、最初に取った手は、ペトロパブロフスク・カムチャツキー近辺に盗賊団を偽装させた国軍を送り込むことだった。
要塞に出入りし補給を行う者たちから略奪を行い、要塞を孤立化させようとしたのだ。
補給に困った日本が盗賊団の討伐に乗り出せば、日本からの侵略行為があったと攻撃の口実に出来ると考えたのだ。
日本が盗賊団の討伐をロシアに依頼してきても、ロシア側は努力していると言いつつ、放置する。
そうすれば、日本が我慢しきれず、要塞を出てロシア領内に潜む盗賊団討伐に動き出す。
それを侵略行為として、日本に宣戦布告をする。
その算段まで立てていた。
だが、日本は補給を海路に頼っていた。
陸路を利用したロシアとの交流は、ほとんどしていなかったのだ。
そんなことすれば、海が凍る冬場は補給出来なくなってしまうのだが。
日本は冬場の補給は諦めているようで、冬でも要塞に陸路で行き来する補給は存在しなかった。
次にロシア側が取った手は、盗賊団にそのまま、近くの村で略奪をさせ、難民となった人々をペトロパブロフスク・カムチャツキーに送り込むことであった。
日本側が難民を要塞内に受け入れればロシア帝国国民を略奪したと非難し、追い返せばロシア国民に攻撃したと非難するという逃げ道のない妙手のはずであった。
しかし、日本は、この一手にも、絶妙な一手で対応する。
まず、難民が来た時点で、すぐにロシア側に通報すると同時に米英の報道機関にも通知。
ロシア側から受け入れの許可が出るまでの間は、要塞の外に臨時避難所を設置し、そこで食料を供給。
米英の報道機関を取材に招き、日本の人道的対応が広く世界中に報道されることになり、ロシアが攻撃する口実は全て奪われてしまっていた。
日本は未開国ではあるが、余程の策略家がいるのは確かなようであった。
それで選ばれたのが、今回の日本黒幕説なのである。
今までの策に比べると現実性は低く、説得力もない。
証拠と言っても、日本の商船が植民地各地を回っている程度しかない。
もう、言い掛かりとしか言えない様な策。
だが、それでも、日本攻撃の大義名分となり、植民地叛乱に大英帝国が苦しんでいる今でこそ実現出来る策であった。
ロシア帝国の日本侵略計画の前線基地は、数年前に清国から譲渡されたウラジオストク。
太平天国の乱で太平天国に手を焼いた清国の援助をする代わりに清国から譲渡された土地だ。
ウラジオストクの名前だけで、日本を侵略する為の土地であることが解る。
ウラジオストクはロシア語で東方を支配せよという意味。
日本を支配する為に準備された街であることは明白であった。
日本侵略において、ロシアが建てた戦略は非常にシンプルにして強固であった。
陸軍国家であるロシア帝国には日本を分断するほどの海軍戦力は存在しない。
それ故、今回の戦争ではサハリン、蝦夷を占領した上で、日本皇帝のいる京都を直撃。
日本の帝に降伏させ、日本をロシア帝国傘下に組み入れることを目的としていた。
ロシアはウラジオストクまで百万の兵を移動。
こちらの世界線においてはユダヤ資本の投資が何故か受けられず、シベリア鉄道建設の予定すら立っていない。
それ故、100万の軍の移動は大変な予算と手間が掛かる大事業となっていた。
苦労してウラジオストクに到達した100万の軍を、大陸とサハリンの最接近地からロシア船でサハリンにピストン輸送を行い、数の力でサハリンを占領。
サハリン占領の後、南下を続け、蝦夷地のアイヌ人たちを味方にして蝦夷地を占領。
その上、船で京都を襲撃し、そこで日本の皇帝にロシア皇帝への臣従を迫る。
日本占領の問題として、日本人が粘り強く、好戦的であること。
日本は民衆の抵抗が続けば占領と支配に苦労しそうではあった。
だが、日本の皇帝への忠誠はアレクサンドル2世も羨む程厚いものでもあった。
それ故、日本国皇帝さえ押さえられれば、日本の占領はうまく行く。
恐らく世界でも最高峰とも呼べる奴隷が数千万単位で手に入る。
その上でアジアにも大規模な不凍港も手に入れられるのだ。
ロシアの世界覇権は、今度の日本占領において、揺るぎない形で完成するであろう。
唯一気になる点としては、日本の海軍力の問題。
陸軍国であるロシアは海軍力がどうしても弱い。
ヨーロッパからウラジオストクに既に軍艦を7隻送っているが、蒸気船はあっても外輪船などの旧式なものばかり。
日本占領軍の補給を海路に頼る以上、そこだけが唯一の懸念点であった。
「ところで、日本の海軍力の確認は出来ているのであろうな。
シーボルトの報告の時と変わらず、日本の蒸気船はオランダから買った3隻のみ。
その内、2隻はヨーロッパと世界各地の植民地との通商に使われ、日本本土に残るのはペトロパブロフスク・カムチャツキーの補給に使う蒸気船一隻のみ」
「は、オランダは日本の歓心を得るため、最新型のスクリュー船を売却したようですが。
シーボルトの報告の裏は取れております。
その上で、新たな蒸気船購入の噂すら入っておりません」
「日本にある海軍力は、スクリュー型の蒸気船一隻のみということか。
いくらスクリュー船であろうとも、一隻のみで我々の黒海艦隊の数の暴力にあらがうことは不可能。
負けるはずはないということだな」
アレクサンドル2世は、勝利を確信し、笑みを深めていた。
さて、ロシア側の戦闘準備はここまで。
次は大英帝国との交渉に進めようと思います。
最後まで応援よろしくお願いします。




