第五話 『善意』の行きついた先
主観的時間において何百年という時間を経て、世界線の変更、歴史の改変に成功した俺。
その先にあるのは。
エピソード0もあと少しです。
『どんなに悪い結果に終わったことでも、それがはじめられたそもそもの動機は、善意によるものであった』
この言葉はローマの英雄、実質的な最初のローマ皇帝ユリウス・カエサルが残したとされる言葉だ。
『地獄への道は善意で舗装されている』
これはヨーロッパの古い諺であると言われている。
ヨーロッパの諺の方は、善意だけで行動が伴わないものは最悪だという解釈もあるらしいのだが。
もう一つの意味は最初のカエサルの言葉と重なる。
簡単に言えば、善意でやったことが、必ずしも良い結果を齎すとは限らないということだ。
徳だの正しさだの求める人の中には、動機さえ正しければ結果は悪くても構わないと言う人がいる。
だけど、動機がどんなに純粋な善意だろうと、正しくとも、やったことが間違っていれば、間違った結果しか齎さないというのが、この世界の真実なのだ。
どんなに人柄が良くとも、診断も下手な上に、不器用な医者に手術を任せるべきではないのと同じだな。
心優しい藪医者よりも、金にがめついブラックジャックの方が良い。
これは、誰でも同じだろう。
だけど、政治家は人柄で選ぶことが多いのが俺たちだ。
医者選びと同じで、何をするか、出来るかが大事なのに。
まあ、今回、より良い世界を残したいという想いで、世界に影響を与えたのは何処かの政治家ではなく、俺自身と俺の憑依先だったのだが。
いや、せっかく生まれたのだから、自分の爪痕を残したいという気持ちもあったと思うよ。
でも、それでも、より良い世を残したいと頑張って来たのに。
俺たちの判断は、完全に間違えていたようで。
俺は、その事実を嫌と言う程思い知らされ、愕然としていた。
何百年という時間を彷徨った俺は、帝の説得に成功し、時間線の変更に成功したようだった。
幕末で憑依先が死に、再び意識を取り戻すと俺は21世紀の世界に戻っていた。
あの永遠とも思われる檻から抜け出せたのだ。
一瞬、俺は歓喜の声を上げようとしたのだが、同時に流れ込んできた憑依先の記憶に愕然とさせられる。
そう、俺は21世紀に戻っても、誰かに憑依していたのだ。
本当、俺って、存在は何なんだろうな。
もともと、人間ですらなかったのだろうか。
それとも、この憑依先が、本来の俺で、俺は戻って来たということなのだろうか?
でも、俺は、主観的時間では数百年に亘り、様々な対象、男にも、女にも、子供にも、老人にも俺は憑依してきた。
だから、俺は、もう男でもあり、女でもあり、子供でも、老人でもある、不思議な存在になっていると感じる。
俺って、一体何なのだろう。
と、思わず現実逃避をしたくなる程、俺は酷い衝撃を受けていた。
前々から言っているが、俺も俺の憑依先も、より良い世界を残したいと思って戦って来たのだ。
より多くの人が笑って暮らせる社会。
それを目指す為に、徳川慶喜が大阪城から逃げ出すという歴史を変革しようとしたのだ。
その為に、俺たちは命がけで帝を慶喜の下に送り届けた。
そうすれば、帝の斡旋の下、幕府、薩長が再び手を組むことが出来るはず。
無駄な血を流さず、革命気分で外征することなく、日本を本来の歴史よりも豊かに発展させられるだろうと考えていたのに。
しかし、現れたのは、想像もしない様な最悪の世界だった。
俺は、憑依先から、その事実を知識として共有させられる。
大阪城から慶喜が逃げず、帝を大阪城で守り、帝が戊辰戦争の終結を斡旋しようとしたところまでは、俺の目論見通りだった。
だが、薩長は帝の斡旋に耳を貸さなかった。
帝の勅は、帝を誘拐した慶喜が作り出した偽勅であると主張し、君側の奸を撃つと戦争を続けたのだ。
いや、本当は徳川を撃つという方が偽勅だということを俺は知ってるぜ。
逆に、帝が出した勅は本物のはずだってのに。
とんだ皮肉な話だよ。
驚くべきことに、慶喜にはどうも本当に尊王の志があったようなのだが、薩長の側の尊王の意志が何処まであったのか疑わしくなるな。
ともかく、俺は、薩長の中に潜む260年降り積もった徳川への恨みを完全に読み違えていたようだ。
そもそも、吉田松陰を引きはがすことによって、長州が討幕に立つことを防ごうとしても、結局、薩長が討幕に動いてしまうという事実を解っていれば、気が付きそうなものだったのに。
こうしてみると、全然信じていなかったけれど、孝明天皇を薩長が殺したという噂も、本当の可能性があるのではと疑いたくなってくる。
いずれにせよ、慶喜が逃げず、薩長が帝の斡旋を受け入れなかった為に、内戦は長引いてしまう。
三種の神器と朝廷を抑えている薩長は、新たな帝を擁立。
そして、内戦に大英帝国、フランス帝国、ロシア帝国の介入を許し、日本の分裂が決定的になる。
大日本帝国と正統日本皇国。
本来の歴史なら江戸を無血開城した勝さんの活躍で10年にわたる内戦が終結する。
その後、大日本帝国と正統日本国国はそれぞれの領土を奇跡とも言われる復興を遂げるのだが。
内戦の影響は、両国を大英帝国とロシア帝国の属国の様な存在としてしまう。
その結果、世界の白人支配は21世紀まで続いてしまうのだ。
20世紀において、大日本帝国だけが白人支配を打ち破り、白人国家に勝てる国家であった。
きちんとした教育と産業振興、兵力増強をすれば、人種などに関係なく、国家は発展出来ると証明出来たのも日本だけだったのだ。
その日本が分裂し、白人の事実上の属国となってしまった影響は予想以上に大きかった。
白人は有色人種を白人に劣る者であると常識として信じたままだった。
有色人種の多くは、白人に勝てないと信じ込まされていた。
アメリカなども黒人奴隷は禁止されても、差別は当たり前で変わることさえなかった。
その常識をひっくり返し、有色人種も白人と変わらない成功を収められると証明した20世紀唯一の存在が日本だったのだ。
こうやって考えると、19世紀に日本が分裂せずに、独立国として発展した意味はとてつもなく大きかった。
色々言われるし、動機が正しいかどうかも判らないが、結果として徳川慶喜が逃げたことは間違っていなかったのかもしれない。
そういや、死にかけた俺が、帝を慶喜の下に送り込んだ時も、慶喜の奴、嫌そうな顔をしていたものな。
もしかしたら、慶喜は、日本分裂の未来が見えていたのか?
いや、あの顔は面倒がっただけで、実際のところ、慶喜は自分の立場を守る為に兵を見捨てて逃げ出し、命乞いをしただけの男なのかもしれない。
でもさ、慶喜の本当の動機はともかくとして、本来の歴史では、正しい行動だったってことだな。
慶喜の動機が私利私欲だとしたら、完全に俺と正反対だよ。
ともかく、本来の歴史は奇跡の様な選択により、独立を守られたはずの日本。
その日本が、俺の所為で分裂し、白人国家の属国となってしまった。
それ故、この世界線では、人種平等を叫ぶ人間など、ほとんどいない。
人種の『区別』を皆が当然の様に受け入れている。
教育も有色人種には行き渡らない。
職業も、有色人種は限定されるため、文明や科学の進歩も、俺が知る歴史より遅くなる。
それどころか、本気で、何故有色人種は白人より劣るのかということをDNA解析までして証明しようとする学者が普通に存在するほどなのだ。
俺は、こんな未来を望んだはずじゃなかったのに。
深い衝撃を受ける俺とは異なり、21世紀の俺の憑依先は、俺の存在を妄想であると割り切り、日々を坦々と過ごしていた。
まあ、そうだよな。
白人に支配され、頑張っても、白人の部下として、ある程度の権限しか得られない世界。
そんな世界で、本来の世界では、人種は平等で、実力さえあれば、どんな事でも出来たはずだなんて知識が湧いてきたとしても。
そりゃあ、信じないよ。
俺自身も、自分の存在を憑依先に、殊更、主張する気分ではなかったしな。
失敗して、深く後悔し、消えちまいたい気分だったもの俺。
その上、幕末でなく、21世紀に戻っちまった俺には、失敗を取り戻す手段さえない。
そんな中で、俺の所為で、こんな世界になっちまったって、謝罪し続ける気になるかい?
覆水盆に返らず。
何百年も幕末の時間を繰り返してきた俺が言うのもなんだが、本来はやったことは取り戻せないというのが現実なんだよな。
だから、俺が望むのは唯一つだけだった。
あり得ないはずの、あの奇跡をもう一度。
あの幕末に戻ることをもう一度。
もし、もう一度、幕末に戻れるのなら、今度は余計なことはしない。
もう、永遠に、あの幕末の檻に囚われても構わない。
それ以外に贖罪の方法はないと思ったのだ。
今回は第二部で書いた歴史の改変をもっと直接的に描いてみました。
まあ、今の日本も失われた30年とか言うし、ブラック企業もあるし、生活は苦しいし、決して天国ではないのですけどね。
今回の話はプロローグ1の裏の話になります。
あの絶望する主人公の中に、俺もいたということです。
さて、これから、エピソード0は最終局面へと向かい、平八の物語へと帰っていきます。
最後まで、応援よろしくお願いします。




