第十九話 裁判を巡る駆け引き
ポサドニック号事件に関する裁判が始まりました。
「それでは、これよりロシア兵殺傷事件の裁判を開廷する」
関係者が揃うと真ん中に座った木村敬蔵が宣言をする。
今回は国防軍関係者が容疑者となった事件。
同じ軍の大鳥啓介が裁いたりすれば、お裁きの公平性に疑いがもたれる恐れがある。
それ故、お裁きの為の評定方として任命されたのが、この木村敬蔵である。
この木村敬蔵という男、平八の夢の中では、大老として権力の絶頂にある井伊直弼に一切の忖度なしに噛みついて左遷された様な男。
安政の大獄の最中に幕府の中から、大獄が冤罪だらけであることを主張し、こんな不公平な評定を続ければ徳川は亡びることになりかねないと批判した程の硬骨漢。
この様な男ならば、権力や外交状況などに忖度などせず、真実を見極めるだろうと外国との評定担当に選ばれていたのである。
木村が話すと、桂小五郎がロシア語に訳してピリリョフらロシア人に伝え、次に船で江戸からやってきた中浜万次郎が英語に訳す。
大鳥啓介も英語は話せるが語学力では万次郎に遠く及ばない。
そこで、大鳥は軍の関係者として参加。
勝麟太郎は、襖の向こう側に他の者と控え、話を聞いている状況だ。
「まず、訴状の確認をする。
訴状によれば、先月、今日から丁度30日前、西洋の暦で言うところの1858年4月13日の夜。
亥の刻二つ(大体21時半~22時頃の時刻)、町木戸が閉まる前の頃。
そこにいるロシア船員二人が色町を訪れた際、そこなる下村嗣司が酒に酔って二人に絡み、一人の首を突き、もう一人の腕を斬ったとのことであるが、それで間違いはないか」
桂がロシア語に訳すとピリリョフが代表して応える。
「私が被害者たちから聞いた話通りです。
治安を守るべき兵士が、酒に酔い、船の故障から寄港した我が国の船員に危害を加えるとは日本の警備はどうなっているのか。
その責任を追及しようにも、一月も待たされる始末。
日本は、一体、どの様に責任を取られるのか。
お答えいただきたい!」
ピリリョフは静かな怒りを滲ませ、壇上の木村に向かって話す。
本当に怒っている訳ではない。
怒った振りをして威圧した方が後々の交渉が有利になると考えるから、その様に振る舞っているだけだ。
一か月の間、ピリリョフは仲間を探し、加害者である日本兵の情報も集めていた。
酒飲みで、粗暴。何度か酒場で喧嘩騒ぎを起こしていると言う。
正直言えば、ロシアにも、そんな兵士は少なくはない。
だが、欧米列強の来る国際交易港に、その様な者に警備任務を任せている方が愚かなのだ。
その付けをタップリ払って貰おうではないか。
ピリリョフが内心の笑いを押し殺しながら睨みつけると、木村が冷静に応える。
「まず、我が国に保護を求めて来たロシア船の船員が傷ついたことについては謝罪する。
彼らの安全は、我ら日本が守るべきはずのものであった。
原因の有無はともかくとして、その犠牲に哀悼の意を表する」
そう言って木村が頭を下げると、一瞬ピリリョフは呆気に取られる。
欧米において、加害者が謝罪することなど、まずあり得ない。
謝れば責任ありと看做されて、賠償を請求されるのが常なのだ。
それなのに、最初から謝罪から入るとは、日本人というのは、何と愚かなのだろうか。
「そして、もしピリリョフ殿の仰せの通り、治安を守るべき、我が国の兵が酒に酔い、貴国の兵士を殺傷したのであるならば、言語道断。
すぐに死罪(切腹)を申し渡すこととしよう」
ロシア語に訳された木村の言葉を聞いて、ピリリョフは慌てる。
トカゲの尻尾切で済ませるつもりか。
犯人の処刑だけでアッサリ済ませては溜まるものか。
ピリリョフは、この事件を契機として、日本に難癖を付け、条約の改正や、日本との紛争に持ち込み利益を上げたいのだ。
「ま、待たれよ。
それだけで済ませるつもりか」
「先に謝罪をしたが、それでは足りぬと申されるか」
「当然だ。
言葉で謝るだけで済ませられるはずはなかろう」
ピリリョフはそう答えると、木村は平然と返す。
「それは国による賠償を要求されるということか」
「如何にも。
この事件は日本の失策が原因となっていることは、既に日本側も認めていること。
それならば、犯人の処罰だけでなく、国の責任も当然発生することではないか」
「なるほど、それがロシアの法であるか。
では、相互主義に基づき、日本人がロシアで被害を受けた場合も、ロシアが賠償してくれると理解してよろしいか」
木村がそう尋ねるので当然だと、答えようとしたピリリョフは英語でも同じ言葉を訳されていることに改めて気が付く。
元々、ロシア語だけでなく、英語にも翻訳していることに違和感を抱いていた。
それが、今の会話で自覚したのだ。
裁判所には、多くの野次馬が集まり、英語で話を聞いている英仏の人々もいるのだ。
その人々が、今のやり取りを全て理解している。
勿論、既にピリリョフはイギリス人やフランス人の中でも、日本に好感を持たない人々を既に仲間にしている。
だから、多少の事を言ったところで、仲間たちは話をロシア側に都合の良い様に話を婉曲してくれるだろう。
だからと言って、さすがに日本人にロシア人と同等の権利を与えるべきなどと、ピリリョフの権限で勝手に話せることではなかった。
無防備に見せながら、中々に手強い。
そう考えながら、ピリリョフは慎重に返事をする。
「どれだけ賠償するかは、その国の誠意によるものでしょう。
謝罪の意があるならば、それを言葉だけではなく、形で示して頂きたい」
それで賠償したところで、賠償額が足りない、誠意が足りないと難癖をつければ良いのだ。
それで主導権を奪い返してやれば良い。
ピリリョフは、そう考えていた。
それに対し、木村は淡々と返す。
「なるほど、誠意でありますか。
解りました。
もし、そちらの仰る通り、我が国の兵が何もしないロシア船員に酔って斬りかかり殺傷したのであるならば、国として誠意を示させて頂きましょう」
木村はそう言って、一息つくと話を続ける。
「ただし、それは我が国の兵が無辜の民に斬りかかったことが明らかであった場合。
今回の訴状、幾つかの疑義がある。
それを確認する為に、これまで待って頂いたのである」
木村の言葉にピリリョフは内心ほくそ笑む。
何だ、結局、日本人達は自分の罪を認めず、誤魔化そうとするのか。
それならば、こちらも望むところ。
日本の裁判は不公平なものであると吹聴して、条約改正や開戦に持ち込んでやれば良いのだ。
「犯罪者が犯行を否認するのは当然のことではありませんか。
こちらは、被害者が事実を申し立てているのです。
日本は犯罪者の言葉を信じて、被害者の言葉を蔑ろにする不公平な裁判を行うのですか」
ピリリョフは声を上げると、木村が静かな声で返す。
「ロシア人を斬った下村は斬った事実を否定してはいない。
それどころか、言い訳はしないと詳しい事情を証言さえしていない」
「ならば、何が問題であると言うのですか。
その男は、酒に酔い、酒場で喧嘩をする常習犯であると言うではないですか。
それにも関わらず、何を根拠に彼を庇われるのか」
ピリリョフは怪訝な表情で問いただすと木村は静かに返す。
「確かに、下村は何も話してはいない。
その上で、ピリリョフ殿の仰る通り、その者(下村)は酒癖が悪いと言う話も聞き及んでいる。
だが、普段酒癖が悪いかどうかということと、ロシア人を斬ったこととは繋がらない。
そして、何より、被害者であるはずの、あなた方の証言に疑問点があるのだ。
だから、その疑問点を確認する為に、時間を頂いたのだ」
「我らが嘘を吐いているとでも言うのか。
何という侮辱。
犯した罪を認めるどころか、被害者が嘘を吐いているなど、信じられない暴言だ」
「嘘を吐いているとは申しておらん。
下村が、普段酔っているのは事実である。だが、被害者でも間違うことはあるだろう」
「間違い?」
「そう、酔った国防軍の治安部隊隊員が、異人に斬りかかるなど、起こりえないことなのだよ」
木村は冷静に説明を始めた。
すみません。
裁判前の駆け引きが長引き、今回で決着の予定が終わりませんでした。
次回こそ、決着の予定です。
お楽しみに。
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ちょっと年末年始では物語内の時間を一気に進めようかと検討中。
書きたい部分の話を書き、場合のよれば、後で、その間の話の補完するのもありかなと。
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