第十三話 ポサドニック号事件
武器を購入した太平天国が清相手に善戦。
戦いは膠着状態に陥ります。
そこで、焦った東シベリア総督ムラヴィヨフは、ピリリョフの提案を受け、対馬占拠作戦の実施を許可しました。
ポサドニック号対馬占拠事件は、ロシア軍艦ポサドニック号が対馬の二つの島の間にある浅茅湾奥の芋崎に碇を降ろしたことから始まる。
当然のことながら、ロシア軍艦が勝手に対馬沿岸へ投錨する権利などない。
だから、ロシアは、函館から上海に行く途中、船が破損したので修理の間、滞在したいと言い訳する。
対馬藩としては、異国と揉めて幕府に睨まれるのも嫌なので、すぐに幕府に事態を丸投げ。
それでも対馬藩は、ロシアと揉めるのも嫌なので、幕府の指示が出るまでの間、ロシア側の要求に従い、食料を供給してやることにする。
言った通り修理が終われば出て行ってくれることを期待して。
だけど、ロシアは、そんなに甘い相手ではない。
対馬藩の対応が甘いとなると、ポサドニック号船長ピリリョフ中尉及びその乗組員360名は、近くの防衛上の要衝芋﨑に上陸する。
その上で、井戸を掘り、木を伐採し、その木で宿舎、兵舎などを建て始めるのだ。
もはや、修理の為の滞在ではなく、永住する気、満々の態度である。
これに対し、対馬藩側は抗議を行うのだが、ロシア側は、イギリスが対馬を狙っているのでイギリスから守ってやると言って居座りを続ける。
イギリスよりもロシアの方が現実の脅威と感じている、対馬藩は国防の事に関しては幕府との取決めに従えとロシアに抗議する。
が、日本が絶対王政でないことを見抜いているロシア側は対馬藩の許可があれば、問題ないはずだから対馬藩が許可してくれれば問題ないと、幕藩体制である当時の日本の制度的弱点をついて来る。
そして、そんなロシアの態度に強気に出られないのが、当時の対馬藩。
対馬藩は元寇の際には、全滅するまで元と戦った尚武の藩であったはずなのである。
だが、幕府は、日本中の藩のそういう尚武の気風を250年に亘って弱め、牙を抜いていた。
だから、戦うことを禁じ、事なかれ主義で幕府の対応を待とうとする対馬藩上層部。
そして、この対馬藩のハッキリしない態度のおかげで、ロシア側はドンドン図々しくなっていく。
土地の占拠地域の拡大し、食料の強引な調達を行い、島の女たちを追い回すようになる。
守りに来た、味方をしてやると言うなら、同じロシアのプチャーチンの様に紳士的に振る舞えば良かったのだ。
しかし、ピリリョフ率いるポサドニック号の乗組員の素行は悪かった。
この態度に、対馬領民は徐々にロシア人に達への反感を育て、ついには死者まで出す様な揉め事を起こす。
その結果、対馬領民の中には激しい攘夷の気風が育つ切っ掛けの事件となったのである。
結局、この事件は、安藤信正老中指揮の下、小栗忠順、大久保忠寛、勝海舟ら幕府の役人が交渉することで半年程で終結する。
幕府は、ロシアと戦いたくはない。戦って勝てる力もない。
だから、ロシア政府に抗議しつつ、イギリスを巻き込むことを選ぶ。
実際のところ、イギリスも対馬を狙っている状況ではあったのだが、日本側は両者のバランスをうまくとることに成功。
イギリス側とどんな交渉をしたか記録には残っていないのだが、一応は日本地図を渡しただけで軍艦を二隻だして貰い、イギリス軍艦がポサドニック号に向うことになる。
まあ、実際のところ、イギリス側にも対馬占領提案はあったみたいではあるのだが。
何とか、イギリスの脅しでポサドニック号も対馬を去り、イギリスが対馬に居座ることもなく終わる。
ただ、この事件により、対馬には攘夷の気風が強く残り、過激攘夷派の巣となってしまうという後遺症が残る。
以上が、平八の夢の中で起きたポサドニック号事件の全容である。
この事件が本来起きるのが1861年。
現在は、1858年冬であるから、平八の夢より3年も早く起きることになるのである。
当然のことであるが、平八はこの事件が何年に起きたかなどと正確に記憶していた訳ではない。
こんな事件があったという記憶と大体の順番を覚えているだけなのである。
まあ、それでも、この事件の指示を安藤信正が出していたことは覚えていれば、大体の時期は推測可能なのであるが。
いずれにせよ、対馬が異国に対して要衝の地となることは間違いのない事実。
そこで、海舟会及び阿部正弘は、最初から対馬を英仏との交易の場として定め、尚且つ、対馬の要塞化を進めていたのだ。
そんなことは知る由もないピリリョフは、平八の夢の時と同じ対応を考えていた。
日本が太平天国に武器を売っていることを非難するにしても、臨検の為に対馬へロシア軍が常駐することなど簡単に日本側が許可するはずもない。
そこで、平八の夢でしたように、故障を口実に滞在し、なし崩しに、対馬に居座ることを考えていたのだ。
とは言え、平八の夢と異なる部分も存在する。
その一つが樺太で日本人と遭遇し、数か月共に過ごしたネヴェリスコイ大佐の忠告である。
ネヴェリスコイ大佐によると、日本人は大きな船を持たないが非常に勇猛果敢な民族である。
小舟に大砲を積んで近づき、死の危険も顧みず、交渉の時に脅迫してきたと。
だから、ピリーリョフは小舟を警戒しながら、浅茅湾奥の芋崎に碇を降ろしたのである。
しかし、そんなピリリョフの予想は大きく裏切られる。
ポサドニック号が、芋﨑に近づき投錨すると、芋﨑から轟音が響き渡る。
ドオーーーーン!!
響き渡る轟音に身体を固くするロシア人達。
すぐに、マストに上っていた船員から、芋﨑にある砲台が空砲を発したことを大声で報告する。
ピリリョフは、空砲であった事に安心しながらも、部下に警戒する様、指示を出す。
そして、砲台の音を聞いて、暫くするとピリリョフの前に信じられない様な光景が広がる。
ロシアでもほとんど持っていない様な最新鋭のスクリュー型の大型蒸気船が二艘も現れたのである。
ポサドニック号は、11門の砲を持つロシアの最新のコルベット艦である。
だが、この様な巨大な蒸気船二艘が来た上に、芋﨑の砲台からも砲撃されかねないとなると、無事に済む見込みはなかった。
ピリリョフは、日本の物らしい蒸気船が近づく中、頭をフル回転させる。
故障を口実に停泊しようとしたのだが、まだ、その言い訳は言っていない。
急げば、戦わずに逃げる事も可能かもしれない。
日本から、多少の抗議を受けるかもしれないが、近くに誤って停泊させただけであるならば、然程、大きなペナルティはないだろう。
そこまで考えた後、ピリリョフは頭を振る。
だが、それは逃げるのに成功した場合だ。
そもそも、日本側の蒸気船の速度はどれ位あるのだ?
今、対馬の奥から、目の前に近づいている蒸気船は二艘。
しかし、本当にこれだけと言う保証もない。
もし、逃げた先、対馬湾の外側にも軍艦が待っているとしたら。
言い訳の余地もなく、不審船として、撃沈されてしまうのではないか。
ならば、元々の計画通り、故障を装って、援助を求めるべきだろう。
日露通商条約では、サハリン(樺太)以外にはロシアは上陸してはいけないと定められている。
だが、故障、食料不足などの緊急事態の場合は、援助を求めて良いことにもなっているのだ。
ピリリョフは腹を括り、接近する二艘の蒸気船を待つことにする。
砲撃されれば、撃沈されかねない距離を越えて、二艘の蒸気船が近づいてくる。
相手もコルベット艦。
クリミア戦争で戦ったイギリス製の軍艦だろうか。
ピリリョフは、クリミア戦争でも戦っており、イギリス軍艦の手強さは骨身に染みている。
イギリス軍艦は速度も速い。
逃げたとしても逃げ切れないかもしれない速さだ。
あの軍艦の内、一艘でも、砲撃してくれば、ポサドニック号は一たまりもないだろう。
撃たないでくれと祈る様な気持ちで、船が近づくのを待つロシア人達。
日本の蒸気船は一艘がポサドニック号を通り過ぎ、湾の外側に停める。
そして、もう一艘の船が接舷し、はしけを掛け、侍たちが乗船してくる。
逃げようとしてポサドニック号が接舷した船を攻撃すれば、もう一艘の船が攻撃出来る体制。
思っていた以上に、船の扱いに慣れている。
こうなれば、もう、当初の計画通り、芋﨑を占拠することなど不可能だろう。
仮に、本当に太平天国に武器を供給しているとしても、力づくで止めることも出来そうもない。
だが、折角、ここまで来たのだ。
こうなれば、少しでも日本の情報を収集し、ムラヴィヨフ閣下に報告するしかないだろう。
ピリリョフは、そう考えていた。
今回は、少し短めですが、ここまで。
さて、歴史とは大きく異なるポサドニック号事件。
これが、どんな風に展開して行くのか。
次回をお楽しみに。
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