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第二十八話 攘夷志士のアメリカ訪問

第二次アヘン戦争の状況確認の為に、平八が香港、上海に向かうことが決まったところ、物語の時系列は数か月遡ります。

平八が思わぬ海外訪問を言い渡された時より数か月前の1857年2月、同じ様に想像さえもしていなかった環境に混乱する男たちがいた。

アメリカに渡った攘夷志士達である。

彼らは、日本を守るという志のもと、国防軍に参加した男たち。

その出自は、下級武士や浪人のみならず、武士階級以外の者も存在する。

彼らの思いは、日本を異国の侵略から守ること。

それ故、彼らの中には、異国に対する拒否感が強く存在した。

彼らは、国学や水戸学を学び、日本に対する強い誇りを持っていた。

しかし、異国は穢れであるという思想も受け継いでいた為、異国のことを知ろうとせず、言葉も覚えようとしない者たちばかり。

その為、異国に対する嫌悪感を持ち、国防軍の教官にアメリカ人であるグラント中佐が就任することを良しとせず、その指揮から離れ、アラスカ探検に行くことに同意したのである。


彼らは、日本を出る時から、国防軍で何度も講義は受けていた。

アメリカなどの異国の国力、その巨大さ、強さを聞いてはいた。

だが、本気にはしていなかったのだ。

弱腰な連中や異国好きの連中が、異国を過大評価し、大げさに言っているに違いない。

日本は、異国なんぞに負けはしないと考えていたのだ。


だが、百聞は一見に如かず。

彼らは見たくなかった現実を嫌という程、見せつけられることになったのである。


確かに、到着したサンフランシスコという街は、江戸と比べれば決して圧倒されるほどの大きさではない。

当時のサンフランシスコは西部の端の街。

アメリカの白人による「開拓」は東から始まり、サンフランシスコがアメリカ領となっても10年程度。

サンフランシスコのあるカリフォルニア・ゴールドラッシュで人口急増中とは言え、サンフランシスコの人口はまだ数万単位。

百万都市の江戸とは比べるまでもない物であった。


しかし、その面積の巨大さだけでも、攘夷志士を驚かせるに十分なものであった。

土地があり余っているのだ。

見渡す限りの大平原。

そこに建造中の巨大な海軍造船所。

実は、この規模の海軍造船所ならば、日本でも安政大地震の後、横須賀に建造中なのではあるが、その様なことは、まだ国防軍陸軍には伝えていない為、攘夷志士達は驚く他はない。


「大きかやろ。じゃっどん、アメリカん海軍基地はこれだけじゃなか。

こん位ん規模ん基地がアメリカんいっぺこっぺにあっち聞いちょります。

ここから更に地ん果てまで行った東海岸にこそ、アメリカ最大ん海軍基地があっち聞いちょります」


咸臨丸からサンフランシスコのアメリカ海軍基地を眺めながら、西郷吉之助がアラスカ探検隊の面々に声を掛ける。

西郷吉之助は、今回、幕府の命を受け、アラスカ探検隊護衛軍の軍団長を務めている。

国防軍の攘夷派に現実を見せつける為に送り出したアラスカ探検隊護衛軍。

とは言え、彼らを軍の指揮から離れた独立愚連隊の様にする様な危険を冒す訳にはいかない。

その考えの下、今回の護衛軍の軍団長に就任して貰ったのだ。


もっとも、護衛団の軍団長就任を西郷が素直に受けた訳ではない。

平八の夢の通りならば、2年後1858年の夏には西郷が敬愛する薩摩藩藩主島津斉彬が亡くなるはずなのだ。

西郷の目から見れば、斉彬様の子ども達は、呪いを掛けられた様に次々と早世している事実があり、来年1857年の夏亡くなると言われている阿部正弘様も体調を崩し痩せて来ていると聞いている。

そんな状況において、西郷としては、何としてでも斉彬の傍に留まり、斉彬を守りたいと考えていたのだ。

その為、西郷は1856年の年末に日本を出て、アラスカでは越冬せずに1857年中に帰って来るという条件で渋々軍団長の就任を斉彬本人に命じられて引き受けたのである。


そして、アラスカ探検隊の隊長を務めるのは、前松前藩藩主松前崇広ぜんまつまえはんはんしゅまつまえたかひろである。

平八の夢で見た歴史では、外国との交渉は外国奉行などに任されていた。

外国奉行の地位は、明確に老中などより格下の地位であったのだ。

幕府においては、情報の重要性よりも、その地位が重要となっている。

その為、異国での調査・報告が、実際に異国に行っていない幕府の上層部に歪められるという問題が起こっていた。

そこで、アメリカ、ヨーロッパ、ロシアへは、地位の高い、井伊直弼、一橋慶喜、水戸斉昭らを隠居させた上で視察団の長として送り込むという対策を取っていた。


その為、今回のアラスカ探検の隊長として、松前崇広が就任したのだ。

アラスカを購入する為の資金は既にロチルド家(ロスチャイルド家)から借り、ロシアに支払っている。

従って、既にアラスカ、アリューシャン列島及びペトロパブロフスク・カムチャツキーの領有権は日本に移っている。

だが、資金を返せねばロチルド家に担保としてアラスカを譲渡する約束をしているのだ。

それ故、資金をロチルド家に支払うか、アラスカを譲渡するかを判断する為に、アラスカの資源の状況を確認する必要があったのだ。


平八からの情報によれば、アラスカには豊富な金と石油という資源があると言う。

平八の情報が正しいのならば、アラスカを確保しておく方が日本の未来の為になるだろう。

しかし、本当にアラスカに豊富な資源があるかを確認出来なければ、アラスカ購入資金をロチルド家に支払うにはリスクが高過ぎるし、幕府の上層部を説得することも不可能だ。

今回のアラスカ探検は、異国の長などに会う様な仕事ではないが、情報収集と報告を確実にする必要がある。

そこで、今回は、ロシア視察にも同行し、趣味で英語も学んでいるという松前崇広が選ばれたのだ。


勿論、外様大名である前松前藩藩主松前崇広にアラスカ探検を任せることに幕閣全てが賛成した訳ではない。

外様大名が異国と結びつく可能性対して警戒感を持つ井伊直弼は反対などもあった。

そもそも、外様大名の調査などあてにならないという反対もあった。

だが、一緒にロシア視察をしてきた水戸斉昭が松前崇広の人格を保証したこと、アラスカ探検後、松前崇広は、日本に帰った後は国防軍ではなく、井伊直弼の配下である日本株式会社に入社すると約束したことで何とかアラスカ探検隊隊長となる許可を得たのだ。


咸臨丸は、サンフランシスコの海軍基地を横切り、港に入る。

攘夷志士達のアメリカ訪問が始まる。

今回は、ちょっと短めですが、ここまで。


これから、攘夷志士達のアメリカ訪問、アラスカ探検が始まります。


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