第十七話 国防軍にやってきた赤鬼
勝麟太郎は町衆を集めて、アメリカから来る視察団の歓迎をどうするか、相談を始めています。
そんな時に、国防軍にグラント中佐がやってきます。
今回は、国防軍とグラント中佐のお話です。
勝麟太郎が、江戸の町衆とアメリカ視察団歓迎計画を練り込んでいる頃、佐久間象山と平八は国防軍に見学に来ていた。
グラント中佐が父島からやって来たのだ。
そして、本日は、国防軍とグラント中佐が最初の接触を果たす日。
攘夷意識を持つサムライが国防軍にいる以上、不要な衝突を避けることは必要。
その意見にグラント中佐も同意し、グラント中佐には和服と頭巾を着用して父島から江戸に渡って貰っている。
グラント中佐の身長は174㎝。
当時の日本人の平均身長は、高杉晋作と同じ158㎝位。
平均的な日本人から見れば、グラントは多少大柄ではあるが、決して飛び抜けて大きいという程でもなかった。
例を挙げるとグラントとアメリカで意気投合した坂本龍馬は約176㎝で西郷吉之助は約180㎝でグラントより少し大きい。
佐久間象山などはグラントより頭一つ大きく186㎝。
大久保一蔵は、意外にも西郷より大きく183㎝。
その様な感じであったから、着物を着て、頭巾を付けたグラントは、パッと見では、少し体格の良い日本人程度にしか見えない。
更に、来ている服も幕府が用意した立派な物であるから、身分の高い誰かがお忍びで活動している様にも見え、然程目立たずに江戸まで来ることが出来たのである。
「さて、国防軍はリズ(グラント中佐)を受け入れてくれるかどうか」
佐久間象山と平八は整列した国防軍の最後尾から少し離れた所に陣取り、最前列に立つ村田蔵六とまだ頭巾をしたままのグラント中佐を眺める。
当然のことではあるが、国防軍全員がここに整列している訳ではない。
ここに並ぶのは国防軍の各隊の隊長が中心。
幕府が、国防軍を募集してから、もう2年が経っている。
それまでの間に、多くの若者が集まっているのだ。
武家の三男以上の家を継ぐ見込みのない連中。
長い浪人暮らしをしてきた連中。
攘夷の志に燃え、家を捨ててきた連中。
成り上がりを夢見た腕に覚えのある連中。
身分に関係なく、そんな連中が集まることを幕府が推奨しているのだ。
2年に亘り鍛えられた国防軍は、海軍、陸軍に分かれ、数万単位の規模になっている。
それだけの数の人間全員を一か所に集め、同時にグラントを受け入れさせることなど出来るはずもない。
そもそも、声が全員に声が届かないのだ。
そこで、村田蔵六は部隊の幹部級の人間を集めて、話をすることにしたのだ。
それでも、ここにはざっと100人近い人が集まっている。
「さて、どうなりますことやら。
最初の内は、敵を知る為と異国の言葉を学んで頂きましたから、異国への抵抗が減っている方もいるかもしれません。
しかし、攘夷の為に集まった方も多いと聞き及びます。
ここに、残ったのは語学の習得が苦手であった人物、海軍で異人の教官に教わることを嫌がった人物。
そういう方々ですから、決して簡単な話ではないかと。
まあ、ここにいる幹部の方々がグラント殿を認めて下されば、その部下の方々にもグラント殿を受け入れる様に説得され、何とかなるかとは思いますが。
それにしても、不確定要素は大きいかと。
やはり、国防軍とグラント殿の最初の接触は、象山先生が仲介なさった方がよろしいのではないですか」
平八がそう言うと佐久間象山はドヤ顔で頷く。
「まあ、確かに僕は天才だ。僕に出来ないことなど何もない。
だから、僕がやれば、攘夷などと言っている連中も説得出来るに違いないであろうな。
だが、国防軍に僕が常についている訳にもいかん。
村田君とリズが協力してやっていくと言うなら、まずは二人に任せて見るのも一興。
うまく行かねば、そこで僕が介入してやるよ」
象山から見れば、全てが好奇心の対象。
蔵六とグラントがどの様なことを言うのか、国防軍がどんな反応をするのか、何処か実験の様な気分なのかもしれない。
二人が、そんな風に小声で話していると、蔵六が話始める。
「全員集まった様ですね。
それでは、始めましょう。
今回集まって貰ったのは、新たな幕府よりの指示を伝える為であります。
皆さんは、この指示を部隊の者に伝え、跳ね返りが出ないよう部隊を掌握して下さい」
蔵六は声を荒げるでもなく、淡々と話す。
「今回、幕府はアメリカよりグラント元陸軍中佐を教官として招聘されました。
今後は、国防軍の教官を、グラント殿にやって頂くことになります」
蔵六がそう言うと、現場に不穏な空気が流れる。
整列中の国防軍の面々に私語することが許されるはずもない。
指示がなければ、勝手に動くことも許されていないのだ。
だが、それでも伝わるものは存在する。
武道の心得など何もない平八が見ていても、不穏な空気を感じることが出来る程に。
だが、そんな空気を全く気にせずに、蔵六は続ける。
「何か聞きたいことはありますか?
発言を許します。
発言希望者は、挙手をして下さい」
蔵六がそう言うと、国防軍の中でも大柄な久坂玄瑞が真っ先に手を上げるので、蔵六は発言を許す。
「我らは異人から国を守る為に集まった同志。それなのに、なして、異人を教官にせにゃあならんのか」
「それが、効率的だからであります。
既に海軍は、オランダとアメリカから蒸気船の作り方、動かし方を教わっているではありませんか。
それに対し、この陸軍では、これまで約2年間、私が異国の書物を読んだ知識を基に、訓練を施して来ました。
ですが、私は元々は村医者。武士ですらありませんでした。
異国の言葉が解るから、教官役をやってきたに過ぎません。
ならば、その様な者に訓練を施されるよりも、異国との戦いに通じたグラント殿に教官を任せ、私が通詞をした方がより合理的であるとは思いませんか」
蔵六がそう言うと、思わず岡田以蔵が声を上げる。
「何で、2年も頑張って来たのに、異人なんぞに席を譲らんとならんのだ。
異人なんぞに教わらんでも、おまさんの教えでも十分やろ」
以蔵の声に何人かの隊長が同意の声を上げる。
同意の声を上げた者達は、元々、身分の低かった者が多い。
彼らにしてみれば、最初は村医者上がりの蔵六に教わることに多少の抵抗はあった。
だが、同時に憧れもしていたのだ。
この国防軍では、蔵六の様に、身分に関係なく、能力を認められれば、出世することが出来るのだと。
それが、異人が来ただけで、通詞に格下げなど、あんまりではないか。
そんな気持ちが、彼らの中では、グラントへの反発に変わっていたのだ。
だが、蔵六の頭には自らの出世を望む思いなど、全く存在しない。
そもそも、当時の蘭学学習の最高峰の一角、大阪適塾で首席、塾頭を務めながら、仕官しようなどとは一切考えず、故郷に帰って、平然と村医者で一生を過ごすつもりだった様な男なのだ。
今まで、国防軍の教官役を務めていたのも、頼まれたからやっていたに過ぎない。
蔵六の中では、教官をやることも、通詞をすることも全く変わらないのだ。
だから、自分が通詞になることに対する廻りの反発を蔵六は全く理解出来ない。
国防軍の中でも、身分を気にする連中は、村医者上がりにどうして指揮官をやらせるのだと不満を溢す者も少なからずいた。
それならば、軍人であるグラント中佐に任せた方が良いのではないかと考えていた位だ。
それなのに、どうして反対するのだろう。
仏頂面で、人一倍大きな頭を捻りながら蔵六は尋ねる。
「私が教えたのは、本を読んで学んだ知識に過ぎません。
実際に戦ったことも、戦の指揮を執ったこともないのであります。
それに対し、グラント殿はアメリカで実戦を経験してきた優秀な戦人であると、アメリカで彼を探して来た土佐の坂本殿と薩摩の西郷殿からの報告が上がっております。
知識だけの私よりも、実践を伴うグラント殿の方が教官に相応しいとは思いませんか」
西郷の名を上げると不満の声を上げていた薩摩出身の武士たちは声を落とす。
西郷どんが呼んできたのならと、不満を収めるのだ。
西郷の名は薩摩の精忠組の中では、それだけの権威が存在した。
対して、龍馬の方は友達は多いが、権威を感じる存在ではなかった為、龍馬を知る以蔵などは不満の声を抑えない。
そんな中、清河八郎が声を上げる。
「我らは異人さ日ノ本を穢されね為さ集まったのだ。
それなのに、異人さ国防軍の教官任しぇ、日ノ本さ上陸さしぇるなど、本末転倒ではねか」
清河の言葉に何人かの人間が頷く。
異人が日本に来れば、日本が穢れる。
それは、当時の攘夷を叫ぶ人々の共通認識であったのだ。
だが、蔵六には、そんな認識は存在しないので、不思議そうに首を捻って尋ねる。
「穢れるというのは、疫病のことでありますか?
疫病なら大丈夫であります。
グラント殿は父島で半月を過ごし、体調に異常はないことは確認済みであります」
蔵六の言う通り、今の日本は疾病対策を行っており、流行り病が日本に入りにくい体制を整えている。
まず、外国から日本に来る場合、直接来ることが許されるのは、幕府がそれぞれの国に認めた父島、対馬、樺太、琉球などの島嶼部だけなのだ。
誰であろうと、日本本土への直接上陸は認めていない。
どうしても、日本本土に渡りたい場合は、最低半月は身体に異常がないことを確認した上で、幕府が個別に許可を出すことに決めているのだ。
幸か不幸か、実際にハワイも、アメリカ大陸も、ヨーロッパ人の持ち込んだ疾病で人口が減少しているという現実がある。
それ故、欧米諸国には、疾病から日本人を守る為に、日本本土への直接の侵入を禁止すると説明したのだ。
そのことは、平八の夢で起きたコレラの大流行を防ぐという目的も含まれている。
だが、この『穢れる』という清河の発言は疾病を気にしてのことなどではないので、清河は蔵六の説明には全く納得しない。
「病の話などでね。禽獣の様な異人が尊ぎ秋津洲(本州のこと)さ入れば、秋津洲が穢れるど言ってるのだ」
これもまた、当時の水戸学などの攘夷思想を持つ者の一般的な感覚である。
だが、合理主義の塊の様な蔵六には、神道の穢れという概念が良く解らないので、純粋に疑問を感じて、尋ねる。
「なるほど、水戸学の言う穢れの方でありましたか。
私は水戸学には詳しくないので、教えて頂きたいのですが、穢れとは一体、どの様なことを示すのでありますか?」
蔵六が尋ねると、攘夷思想に染まった者は当然伝わると思っていたことが伝わらず、困惑する。
穢れとは、何を示すかなど、深い定義など考えている者など、ほとんどいない。
感覚的に、異物である異人に拒絶反応を示しているだけなのだ。
誰も、すぐに答えてくれないので、蔵六は質問を重ねる。
「例えば、水戸斉昭様や一橋慶喜様、そのお供の者は、異国まで1年近く視察に行って参りました。
あの方々は、異国で穢れ、日ノ本を穢す存在になったのでありましょうか?」
蔵六に言われて清河は更に言葉に詰まる。
異国の物は穢れだと聞いてはいるが、水戸学の総本山の方々を穢れているというのは、さすがに憚られる。
何しろ、ここには水戸藩出身の者も多数いるのだから。
「いや、ほだなこどはね。
日ノ本で生まれおがった人間であっこんだら、たどえ異国さ行ぐべど穢れるごどはね」
「とすると、血筋の問題でありますか?
異人の血筋は穢れていると言うのでありますか?」
蔵六が尋ねると、そうだ、そうだと同意の声が上がる。
異人は鬼であり、踵がないだの血を飲むだの、そういう俗説が結構信じられているのだ。
「異人は日ノ本の人とは違う。
その様な俗説があるのは存じておりますが、それは間違いであります」
だが、蔵六はその様な俗説を当然信じてはいない。
「私は元々、医者であります。
だから、人の身体のことはよく理解しております。
腑分け(解剖)も何度も行っておりますから、異人の書いた本にある人の身体と我らの身体に違いがないことも確認しております。
異人と我らの見かけが異なるのは、メラニンという色素の量が異なるからに過ぎません」
蔵六の言う事は科学的には正しいのだが、そんなことで偏見が消える訳ではない。
清河は問題ないという蔵六に反論する。
「ほだなこど言って、異人ば秋津洲さ上げで、天変地異さ起ぎだらどうする。
最近、頻発する地震も異人が我が国さ来だがらだど言うぞ」
これも当時の普通の日本人の感覚である。
為政者が道徳的に悪い事をしたり、穢れる様なことをすると天が祟り、天変地異が起きる。
これは、水戸学に限らず、庶民も持っている普通の感覚である。
だが、蔵六は普通ではない。
「清河君、あなたは異人が日ノ本に地震を起こす力があるというのでありますか?」
「そうでね。異人にほだな力があるはずがねんねが。異人が日ノ本を穢すと天が怒るのだ」
清河がそう言うと、蔵六は腕を組み、更に首を捻る。
「天とは、清河君の信じる神仏の類でありますか?
清河君は、どうして天というものは、異人が来ると天変地異を起こすと考えるのでありますか?」
蔵六が尋ねると、清河は、そんなことも知らないのかとドヤ顔で説明する。
「天どは京の都におわす天子様が祀られでる存在だ。
世乱れ、悪政蔓延るど、天は罰下すのだ。
異人が秋津洲さ来るごども、それに含まれる。
尊い方がら見れば、泥だらげの獣が清い土地汚すこども我慢出来ねであんべ。
んだがら、異人など、秋津洲さ来さしぇではならんのだ」
清河の言葉に多くの者が頷くが、蔵六は仏頂面を更に困惑に歪める。
「為政者が悪事を働いたり、異人が日ノ本に来ると天という物が怒り、天変地異を起こすのでありますか?
だが、それは幕府などの為政者が決めること。
私の様な医者や民草には、どうしようもないではありませんか。
ならば、天とやらは、為政者だけを直接祟れば良いのではありませんか?
どうして、皆に影響のある天変地異などを起こすのでありましょう?」
蔵六の疑問に清河は暫く考えてから答える。
「為政者の間違いに黙って従ってだ民草も同罪であっからだ。
んだがらこそ、我らは間違い正さねばなんねのだ」
清河の言葉に蔵六は暫く考えてから尋ねる。
「悪政や異人の所為で起こった天変地異とは、どの様なものがありますか」
「幾らでもある。
古ぐは、元でいう大陸の国が、日ノ本さ攻めでぎだ時、天は神風吹がしぇ、元の船沈められだ。
田沼意次の悪政には、浅間山噴火さしぇで、田沼失脚さしぇられだ。
最近では、メリケンの船江戸湾さ入ってぎだ時さ、地震起ごすて、その船沈められだんねが」
清河はドヤ顔で話し、周りの者の中には、清河の博識に感心する者もいる様だ。
だが、清河の説明は、天変地異が起きた理由を後付けで考えたに過ぎない。
因果関係の証明が存在しないのだ。
だから、蔵六の困惑は、更に深まったようで、質問を重ねる。
「異人が来ると天というものが怒り、天変地異を起こし、異人を追い返すのでありますか?
ですが、長崎には、200年以上前からオランダ人がいるのであります。
その上、オランダ商館のカピタンは4年に一度、江戸に参府をしております。
それなのに、どうして天変地異が起こらないのでしょうか」
蔵六の疑問に、清河も言葉に詰まり、苦し紛れに答える。
「天変地異起ごしぇば、多ぐの民草犠牲になる。
それ故、少すの異人だら、天も堪えで下さってるのんねが」
その答えに、蔵六は少しホっとした様な表情で応える。
「少しなら問題ないのでありますか?
それならば、教官の一人程度なら、問題ないではありませんか」
「たどえ一人んだげんと、異人が上さ立ぢ、何が教わるなど我慢出来ん」
清河が声を荒げると、何人もの者が同意の声を上げる。
だが、そんな反発の声を気にもせず、蔵六は淡々と続ける。
「異人であれど、人であることに変わりはありません。
だが、人である以上、どうしても受け入れられない人間があることも理解出来るのであります。
従って、グラント殿と会って、話して、その人物を見極めては貰えませんか。
その結果、もし、どうしてもグラント殿が気に入らないというのであれば、彼ではダメであると私から幕府に伝え、教官の変更を依頼することを約束しましょう」
蔵六がそう言うと、異人は人ではないだの、異人などと話したくないだの反発の声が続く。
そんな中、蔵六は声を荒げるでもなく、淡々と続ける。
「この中に、異人を実際に間近で見た。話したという人はおりますか」
蔵六が尋ねると、会う必要などないだの、会わなくとも解るだのの反発の声が続く。
それに対し、蔵六は続ける。
「敵を知り、己を知り、地の利を知れば百戦危うからず。
これは、兵法の基礎中の基礎。
皆にも何度も伝えたことであります。
だからこそ、最初に異国の言葉を学んで貰ったのであります。
にも関わらず、戦うかもしれない異人を知らずして、君たちは戦い、勝てると言うのでありますか」
蔵六がそう言うと、反発の声が徐々に止んでいく。
「敵を知る為に、水戸斉昭様も一橋慶喜様も、家督を捨て、命がけで遠く異国まで視察に行ったのであります。
それにも関わらず、君たちは、命も懸けず、穢れたくないと言う理由で、会うことすら、拒むのでありますか。
会って、話して、教官にしたくないと言うのなら、それでも構いません。
敵を知る為と割り切って貰って結構。
まずは、会うことから始めて貰います」
蔵六がそう言うと、さすがに会うことにすら、反発する者はいなくなる。
それを確認すると、蔵六は横にいたグラント中佐に声を掛け、頭巾を外して貰うことにする。
後に国防軍の者から、赤鬼と呼ばれることになるグラント中佐と国防軍の最初の出会いがここから始まる。
思ったより長引いてしまったので、ここまでで一旦切ります。
考えてみると、国防軍には攘夷思想を持ちながら、異国にも行かず、異国の言葉も喋れない者ばかり残っているから、扱いを間違えると、かなり危険だったりするんですよね。
そんな中、グラント中佐と村田蔵六がどう対応するのか。
後ろに控える佐久間象山や平八に出番はあるのか。
次回をお楽しみに。
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