第六話 ヨーロッパから帰る者たち、残る者たち
アメリカ帰りの勝から、アメリカ分断作戦の状況を報告される佐久間象山。
今回は、その頃のヨーロッパでの話です。
日本でアラスカ購入と日本商社の頭取に井伊直弼の任命が決まった頃、ヨーロッパでは日本視察団のイギリス訪問も無事に終わり、日本に帰る準備が始められていた。
もちろん、視察団全員が日本に帰る訳ではない。
ロッテルダムには、日本商社ロッテルダム支店を開設するのだから、そこで商売する人間が必要なのは当然である。
その上、開設した日本商社は大使館を持たない日本の情報収集機関でもあるのだ。
その為の人員も当然に必要となる。
更に、それとは別に進んだ技術を学ぶために留学という形で留まる者もいる。
既に、視察団の面々は、大きさは日本と大差ないはずのイギリスが大帝国として、地球で覇権を握っていることも理解している。
それ故、軍事技術だけに留まらず、その成功の秘密をも学ぼうと考える人も多数いたのだ。
そして、日本にすぐに帰るか、暫くヨーロッパに残るかは、ある程度、参加者の自主性に任されていた為、思わぬ自由に悩むことになる者も存在した。
日本視察団は、ロッテルダムで日本帰りの為の船の積み込みをしている。
帰りの船は、行きと同じ二艘。
一艘はオランダの軍艦。これには、一橋慶喜らが賓客として乗り込む。
そして、もう一艘はオランダが日本に寄贈したスクリュー型蒸気船スンビン丸(日本名:観光丸)だ。
これには、日本人が海兵として乗り込み、航海訓練を実施している。
観光丸に荷物を運び込む知り合いを見つけ土方歳三は声を掛ける。
「榎本さん、近藤さんを見ませんでしたか?」
声を掛けられて、榎本釜次郎(武揚)は振り返って応える。
榎本釜次郎は当時21歳で、歳三と同年代。
一緒に観光丸を操船して、ヨーロッパまで来ている間に親しくなった間柄だ。
釜次郎は観光丸を動かして来た海兵の中でも、その腕前をオランダ海軍にも認められている存在。
船で指導的な役割を果たす人間には、さすがの歳三も一目を置いているようだ。
「近藤さん?さっき観光丸で見た様な気がするが、何のようだい?」
そう言われて、歳三はちょっとばつが悪そうに呟く。
「ちょっと、相談したいことがありましてね」
そう言われて、口元に苦笑を浮かべて、釜次郎は言う。
「何だ、土方さんは、まだ、どうするか決めてないのかい?
それとも、近藤さんと一緒じゃないと決められないのかい?
全く、仲が良いねぇ」
「そんなんじゃありませんよ。まあ、迷っているのは確かですがね」
「迷う位なら、オイラ達と一緒に水兵をすれば良いんだよ。
これから、このロッテルダムで交易するなら、その為の品は何度も日ノ本から運ばなきゃならねぇ。
それが、日ノ本で出来るのはヨーロッパに来たオイラ達だけだ。
土方さんの腕前は、まあ、それなりの物だがな。
それでも、一人でも多くの水兵が欲しいのが日ノ本の実情なんだよ。
ヨーロッパの女に未練があるにしても、また船で来られるさ」
ヨーロッパ社交界で浮名を流した歳三を釜次郎が揶揄うと、歳三が突っ込む。
「女の為なんかじゃねぇよ。
まあ、いいや。近藤さんは、観光丸にいるんだな。じゃあ、ちょっと探してくるぜ」
そう言うと、歳三は観光丸に乗り込む。
そうして、歳三が観光丸の甲板で近藤を探していると、歳三は意外な人物を見かけて思わず声を掛ける。
「あれ?嘉蔵のおっさんじゃねぇか。
あんたは、ヨーロッパの造船所で勉強していくんじゃないのかい?」
歳三は平八から、この冴えない男が、日本の技術革新を支える天才の一人であると聞いている。
だから、ヨーロッパに残り、ヨーロッパの最新技術を学んでいくものと思い込んでいたのだ。
それが、どうして日本に帰る船に乗っているのだろう。
声を掛けられた嘉蔵はオドオドしながら、応える。
「へえ、あちこちで蒸気船のこと、スクリューのこと、たっぷり学ばせて頂きましたから」
「それで、もう十分なのかい?」
「言葉がようわからんけん」
ヨーロッパまで来た面々は皆、異国の言葉を学んできた者ばかりではあるが、高齢の嘉蔵には一から異国の言葉を学ぶことが難しかったようであることを歳三は理解する。
「そうか。でも、それなら、誰かに通詞を頼んででも、学んで来た方が良いのじゃねぇのか」
歳三が気遣って、そう言うと嘉蔵が応える。
「異国の学問するなら、西様やら、多うの方が、イギリス、フランスで学んでらっしゃるようじゃけん」
イギリスには西周、フランスには橋本左内などが留学して、その技術だけでなく、制度から何から、全てを学ぼうとしている。
象山や平八に出会う前の歳三ならば軟弱と考えたであろうが、学者の力を知っている今の歳三には頭が下がるばかりだ。
技術革新が必要にも関わらず、学問では自分が役に立たないことは理解している。
だからこそ、天才と教えられた嘉蔵が、言葉が出来ないという事で、西洋技術の習得に役立たないという事が惜しくて溜まらない。
「だけど、遥々、地の果てまで来て、何も学べずに帰るなんて無念だろう」
そう言われて、嘉蔵は、何を言われたか解らないようなキョトンとした顔をした後、応える。
「いや、もう、蒸気船のことも、機械のことなら、一通り学んできたけん」
そう言われて、今度は歳三が理解出来ずに聞き返す。
「だって、あんた異国の言葉は、ほとんど解らないんだろ?」
そう言われた嘉蔵は暫く考えた後、得心が行ったように頷いてから答える。
「どこに行っても、機械も、図面も、隠さんで見せてくれたけん」
実際、イギリスも、フランスも、オランダでさえも、アジアの未開人が西洋の最先端技術を理解することなど出来るはずがないと自慢気に、何処も自由に見学出来て、最先端の武器だろうと、蒸気船だろうと、図面の閲覧まで許可してくれていたのだ。
「だから?」
「図面と実物見れば、どうやって作るかは、なんとのう解るけん」
そう言われて、歳三は嘉蔵が天才だと言われたことを思い出す。
「じゃあ、あんた、最新の武器や蒸気船を、もう作れるようになってるのかい?」
「その辺は実際に組み立とってみないと解らんけん。
鋼の作り方や、蒸気船作るのに必要な道具も買うて頂いたけん、どうやって作るか楽しみにしとります」
確かに、ヨーロッパで船を作り始めてしまって、本当に完成出来るなら、それを見たヨーロッパ人達は、もう嘉蔵に最新型の武器なんて見せてくれなくなるだろう。
トンデモないおっさんだなと感心すると、歳三は観光丸に乗り込んだ理由を思い出す。
「そうか。じゃあ、日ノ本の為に頑張ってくれ。
ところで、あんたが近藤さんを見てないかい?」
「近藤様でしたら、先程、渋沢様に呼ばれて、船を降りられましたが」
渋沢って言うと栄二郎(栄一)か。
あいつなら、ニッポンカンパニーのロッテルダム支店にいるんじゃねぇかな。
そう考えると、歳三は嘉蔵に礼を言って、ニッポンカンパニーのロッテルダム支店に向かうことにするのだった。
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歳三が観光丸を降り、改めてロッテルダム支店に行くと、中から渋沢栄二郎(栄一)の声が聞こえるので、歳三は部屋に入っていく。
「やき、ここは攻めの一手やろう。今なら、まだイギリスにもバレとらん。
どんどん武器を買うて、ロシアに売り込めば、値段が高うなろうと喜んで買うてくれるさ」
土佐の岩崎弥太郎が渋沢栄二郎を説得しようとする。
この時、弥太郎は21歳、栄二郎は16歳。
年齢的には大人と子供なのだが、栄二郎は怯むことなく、言い返す。
「バレれば、全てが終わりなのだから、そろそろ手を引くべきです。
そもそも、観光丸は日ノ本に帰って、日ノ本の品の買い出しに帰る頃だと言っているじゃないですか。
戦の為とは言え、道理に反することはそろそろ控えるべきです」
歳三も知っていることではあるが、観光丸はヨーロッパにいる間、何度もロシアに行っている。
名目はアラスカ購入交渉の為。
だが、その実態は武器の密輸をしていたのだ。
アラスカ購入を早々に決めると、慶喜はロチルド男爵から大量の資金提供を受けた。
そして、その資金を使って、日本を守るという名目で、オランダ、アメリカから最新型のライフル銃や大砲を大量に購入。
こうして購入した最新型の武器を危険料込で高額でロシアに売り込んでいたのだ。
その利潤が非常に大きく、日本のアラスカ購入の負担が減ることから、弥太郎は武器密輸の継続を提案し、栄二郎は武器密輸がイギリスにバレた場合のリスクを考え、武器密輸継続に反対していたと言う訳だ。
まあ、どっちも解る話ではあるんだがな、そんなことを考えながら、歳三は声を掛ける。
「おいおい、そんな話、大声でするなよ。日ノ本の言葉を解る奴がいないとは言え、万が一、解る奴がいたら、大変なことになるだろ。
商人として、ヨーロッパに残ると決めたんだから、少しは気を付けろよ」
声を掛けられて、栄二郎と弥太郎は部屋に入ってきた歳三に視線を向ける。
「あ、土方さん」
「話しているところ、済まないが栄二郎。ちょっと、聞きたいことがあるんだが」
「何ですか?」
「近藤さんは、どこにいる?お前が呼びに来たと聞いたんだが」
「ああ、近藤さんですか。近藤さんなら、一橋の殿様がお呼びだったので、お伝えしただけですよ」
「一橋様が?そうか、わかった。じゃあ、一橋様のところに行ってみる」
そう言うと、歳三はロッテルダム支店を出て、一橋慶喜の滞在するホテルへと向かうことにするのだった。
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歳三がホテルに到着し、近藤を探していると、吉田寅次郎と高杉晋作に出会う。
「土方君ではありませんか。土方君も残ることを決められたのですか」
寅次郎が声を掛けてくると、歳三が応える。
「いえ、まだ、決めかねておりまして」
「なしてだ?帰るより、こっちで出来ることの方が多いいじゃろう?
帰って、水兵やったって、釜次郎にゃあ敵わん。それなら、こっちで出来ることをやった方がええじゃろう」
そう晋作に言われると歳三は苦笑する。
晋作とはヨーロッパに来てから、親しく夜の街を一緒に遊びまわった仲だ。
こちらに来てから、最も親しくなった相手だと言っても過言ではないだろう。
そして、平八の予言では、寅次郎はこれから3年後の1859年に、晋作はこれから11年後の1867年に死ぬ運命であることも聞いている。
そこで、象山は日本に残るよりも死の運命を避けられる可能性があると、彼らには異国に残ることを勧めていたのだ。
その前提は、藤田東湖の死で覆された可能性もあるのだが、そんなことを知らない寅次郎は親切から進めてくる。
何しろ、歳三も13年後の1869年には死ぬ運命なのだ。
「私は死を恐れる者ではありません。
日ノ本の為なら、いつ死んでも構わない。
たとえ死んでも、私の後を継いでくれる者がいるならば、それでも構わないと考えておりました」
そう言うと寅次郎の脳裏に平八の予言が蘇る。
寅次郎の死後の、その弟子たちの暴走。
その結果、天子様のおわす朝廷を砲撃し、天子様を暗殺した可能性がある者さえいると言う。
とても信じたくない未来だ。
「ですが、生き残れる可能性があるなら、諦めずに最後まで戦う者こそ、誠の武士であると思うのであります。
生き残ることが出来れば、出来ることは多いのであります。
そして、土方君は高杉君によると、ヨーロッパで人脈を築きつつあると聞いております。
それならば、ヨーロッパに残って頂いた方が日ノ本の為になるかと」
歳三は、寅次郎が本気で歳三のことを心配し、日本の為に共に戦うことを望んでいることを実感する。
本当に情熱の人、至誠の人だな。
あの奔放な晋作が尊敬し、慕うのも良く解るなと思う。
そして、寅次郎や晋作の死が自分よりも近いことを知っている歳三としては、二人と共にいて、二人が何とか死なないように出来ないかという気持ちもある。
だが、同時に近藤勇のことを見捨てられないのも歳三なのである。
近藤は日ノ本の為というよりは、徳川家への忠誠を誓っている。
だから、異国にいた方が日ノ本の為になると言っても簡単に理解出来ないだろう。
その上、近藤は自分の道場である試衛館を閉めて、門下生を国防軍に参加させている。
門下生たちだけを国防軍に参加させ、戦の心配のないヨーロッパに残ることなど、潔しとはしないだろう。
だが、このまま日本に帰って、近藤や自分に何が出来るのだろう。
せっかく、ヨーロッパまで来たのだから、何かを得てからでないと帰れない。
もし、近藤が残ってくれるなら、そんな風に考えていると謁見の間のドアが開き、そこから近藤、武市半平太、大久保一蔵が現れる。
「探したぜ、かっちゃん。話があるんだが」
歳三がそう言うと、近藤が応える。
「丁度良かった。私もトシに話があったんだ。私と一緒にイギリスの船に乗らないか?」
思いがけない提案に事態が掴めず、歳三が辺りを見渡すと目が合った武市が不機嫌そうに応える。
「一橋様より、直々の拝命があったんや。
イギリスは、日ノ本がロシアと協力関係にあることを疑うちゅー。
その疑惑を払拭する為に、クリミア戦争に行くイギリス軍艦に日ノ本の武士を乗せると約束したとのことや」
「それは質(人質)ということですか」
歳三がそう尋ねると、近藤がにこやかに笑って否定する。
「そうではない。大久保殿によると観戦武官という役割だそうだ。
中立の国の武官が、同行し、戦の間に違反行為がないか観察する戦目付の様なことをするのが仕事。
だが、我らの本当の目的はそうではない。
異人たちの実際に戦う姿を見て、戦い方の現実を学べるのだ。
海戦、陸戦、どちらでも構わないと言うぞ」
確かにそうかもしれないが、死の危険があることは変わりないだろう。
だからこそ、イギリス側の敵意を避けることが出来るのだろうから。
そんな危険を全く恐れず、逆に呑気に拝命の栄誉に喜んでいる近藤を見ると、やはり、この人には自分が付いていてやらないとなと歳三は感じる。
「だけど、どうして近藤さんが」
歳三が尋ねると一蔵が応える。
「あてが推薦した。近藤どんと武市どんには、確かな能力があっことは理解しちょっ。
だが、今いっき帰れば、そん能力を生かすだけん役割を与ゆっことは出来んじゃろう。
だが、実際ん異人ん戦場を知れば」
「本でしか戦場を知らん連中よりも出来ることはあるはずということや」
武市が一蔵の言葉を引き継ぐと歳三が尋ねる。
「それで、近藤さんを推薦した大久保さんは?」
「うちは日本に帰って、斉彬様のお傍に行く。土方さんも知っての通り、やることがあるきな」
そう言われて、歳三は2年後の1858年に島津斉彬が死ぬとい予言があることを思い出す。
確かにそう考えれば、大久保がその予言を変える為に島津公の傍に戻りたいということも理解出来る。
そして、平八の予言の通り、運命があるとすれば、近藤、土方、武市は、まだ死ぬ時期ではない。
歳三の返事は、既に決まっていた。
****************
そして、日本に帰る船には、海軍操練所教官のオランダ人達に加えて、二人の外国人が新たに乗り込むこととなる。
シーボルトとアラスカ購入資金を貸してくれたジェームズ・ロチルド(ロスチャイルド)男爵の長男。
アルフォンス・ド・ロチルドである。
彼らの訪日が、更に日本の運命を変えることとなるのである。
土方が近藤を探して、あちこち探すという流れを思いつくまでが難しかったですが、そこからはスラスラいけました。
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