第二十八話 内外で燻る火種
ロスチルド男爵との交渉でアラスカ購入へと動き出した一橋慶喜。
今回は、そこから始まる変化と、日本に残る火種の方に話を進めます。
ロチルド男爵から資金提供の約束を取り付けると、慶喜は早速ロシアへの表敬訪問を申し入れることにした。
調査していた限りでは、ロシア側はこの会談でクリミア戦争を終わらせる気満々である。
だから、ロシア側がクリミア戦争を止めようとしているという言質を英仏に与えてしまう前に、日本が先に会談をしておく必要があったのだ。
万が一、事前にクリミア戦争を終わらせるつもりだと誰かに発言をした後に、ロシアが態度を急変させれば、誰でもその理由を調査するだろう。
そして、意見を変える直前に、日本が会っていることが解れば、簡単に理由に辿り着いてしまう可能性が高い。
最終的に、日本の資金提供がクリミア戦争継続の理由であることがバレることがあったとしても、可能な限り日本主導で戦争が継続されることは秘匿するべきであると考えていたのだ。
ロシアはパリ講和会議の準備中で非常に多忙な状況にあった。
だが、一橋慶喜は今やパリ社交界では評判の人物。
その上、ロシアでも評判になった水戸公爵の息子であるともいうのだ。
ロシアから共にパリにやってきたトラ(吉田寅次郎)やコゴロー(桂小五郎)からも、慶喜が一廉の人物であることは聞いている。
その様な人物の表敬訪問を受け入れる余裕もないと見られることは、これからのパリ講和会議に悪い影響を与えるかもしれない。
そう考えたロシア代表は、慶喜の表敬訪問を受ける時間を取ることにしたのだ。
そして、その様な単なる儀礼のつもりで設けた慶喜との会談はロシア側を激震させることとなる。
時間がないことを理解している慶喜は挨拶も早々にアラスカ及びそこに連なる島々、千島列島からアリューシャン列島までの購入を提案したのだ。
購入代金は700万アメリカドル。
慶喜はシーボルトから、アラスカが豊かな土地であると聞いたと聞いていると説明したが、慶喜の提案した700万ドルという資金は、戦争資金が枯渇し、クリミアでの戦いを事実上の敗戦で終わらせようとしていたロシアには喉から手が出る程、欲しい資金であったのだ。
もともと、このロシア代表団はロシア皇帝の意を汲んでクリミア戦争終結の為にパリにやってきた人々である。
一応、全権代理の形は取っているが、皇帝の意思は全てに勝るというのがロシアなのである。
アラスカ売却も、パリ講和会議の締結も、代表団の独断で決める様なことは出来ない。
万が一、勝手な判断を行い、その判断が皇帝の意に染まなかった場合、責任を取らされることが確実だからである。
その為、ロシア代表団は、パリ講和会議では時間稼ぎに終始するようになる。
サンクトペテルブルグにいる皇帝の意思を確認する為に。
ロシア代表団は、皇帝に使いを派遣し、アラスカと周辺地域の売却の話を伝え、返事が来るまで会議を引き延ばすことにしたのだ。
これに対するイギリス、フランスの対応は困惑に近いものであった。
クリミア戦争は、どちらの陣営も決め手を欠いており、どちらか一方の勝ちを宣言するのが、難しい状況にある。
だから、無意味な消耗戦を避ける為に、このパリ講和会議が開催されたのだ。
その為、ロシア皇帝の意向は既に代表団に伝えられており、その方針は決まっているはずなのに。
どうして会議の開催を引き延ばす様なことをするのか。
新ロシア皇帝アレクサンドル2世に、何かあったのではないかとイギリス、フランスは情報収集に励むこととなる。
だが、ロシアの行動の裏に日本の様な小国が絡んでいることなど、掴むことが出来るものは誰もいなかった。
こうして、パリ講和会議は遅延に次ぐ遅延を重ねることとなる。
この時点では、全て、一橋慶喜と大久保一蔵の計画通りに進んでいくのだった。
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その頃、日本に残った平八は、川路聖謨と共に日本中を奔走していた。
海外視察団が何をしているのか、日本側には知る方法はない。
窓口はオランダしかなく、オランダからの知らせでも、数か月遅れとなるのだ。
交渉の結果がどうなるかわからないから、日本に残った者としては、少しでも日本国内に燻る反乱の芽を摘むために奔走する必要があったのだ。
安政地震の被害は、国防軍の救助活動によって、最小限に食い止めることに成功している。
津波の被害は避けられたし、江戸での火災も国防軍の動きで初期消火に成功し、火災や建物に潰されて死ぬはずだった人々も随分助けられたはずだ。
実際に、この安政江戸地震で亡くなるはずだった藤田東湖はロシア視察団に参加しているので、江戸で死ぬ運命からは免れている。
更に、江川英龍も倒れたのだが、隠居した後、まだ亡くなったとは聞いていない。
歴史は、少なからず変えられるものではあるようなのだ。
だが、運命という物が存在し、歴史が、何処かで元の流れに収束しいてこない保証はどこにもない。
平八が夢で見た日本の分裂と異国による支配が運命でない保証はないのだ。
今のところ、幕末と呼ばれるこの時代で、混乱を起こす要素となる薩摩藩、長州藩、水戸藩の取り込みにはある程度成功している。
攘夷を叫ぶ武闘派の侍たち、水戸藩、薩摩藩、長州藩の多くの者は、国防軍に参加している。
彼らが、国防軍の指揮下となったので、勝手に異人へのテロ活動を行う可能性は減っている。
その上、軍備の充実と謀反を起こすという藩の武力の弱体化にも成功している。
攘夷派の残りも海外視察に送り込んだので、考え方を変えていることだろう。
小笠原諸島では、蒸気船、大砲、銃などの武器の開発が進み、産業革命が日本でも進行中。
これで、一見、日本の未来は安泰にも思える。
しかし、平八の夢の通りに、阿部正弘、島津斉彬が倒れればどうなるか。
国防軍の主導権を巡って争いが起きれば、どうなるか。
幕府が国防軍を敵視すれば、どうなるか。
まだ、日本分裂の危険は残っているのである。
更に、日本は、まだ異国の侵略を受ければどうやっても勝てない状況なのである。
内部分裂などしている余裕のある状況ではないのだ。
それ故、阿部正弘より交渉役を仰せつかった川路聖謨の供として平八も日本を奔走することとなったのである。
海外視察団が日本を出た時、最初に川路聖謨と平八が訪れたのが対馬府中藩である。
対馬府中藩は、対馬列島と呼ばれる二つの大きな島とその間にある多数の島からなる藩である。
平八の見た夢で、対馬は、今から5年後の1861年ロシア軍艦に占領されかけている。
結局、ロシアを警戒するイギリスの協力を得て、何とかロシアを追い返せたものの、対馬には、異人を憎む者が増え、攘夷志士の巣窟となってしまうという問題が起きている。
その様な未来を避ける為に、川路と平八は対馬にやってきたのだ。
国境にある対馬を安定させ、防衛と交易の拠点とする為に。
川路はプチャーチン提督も魅了した笑顔で対馬府中藩藩主宗義和に提案をする。
「此度は、幕府よりの提案をお持ち致しました。
昨今、異国よりの船の動きが活発となり、異国との国境となる対馬藩には多大な負担が掛かると思われます。
そこで、幕府より提案させて頂きたい。
対馬を離れ転封を希望されるか、対馬内に土地を分けて貰い、幕府の海軍基地設置及びその中に異国との交易所を設けることを認めるかを選んで頂きたいのです」
そう言われて呆気に取られていた対馬藩主宗義和は尋ねる。
「我らは、元寇の古より、この対馬に住まう一族。
多くの者も、この対馬に根差した生活を送っております。
いきなり、転封と申されても。
一体、どこに行けと申されるのでしょうか」
「転封の意思があるとなれば、これから検討することでございます。
逆に、対馬への幕府の海軍基地設立及びその中に長崎の出島の様な異国との交易所設立を対馬内に認めて下さるのであるならば、その為の報酬を幕府よりお支払い致します」
頭を下げる川路を見ながら、平八は自分も随分人が悪くなったものだと内心で苦笑する。
この提案は一橋慶喜が考えたというが、選ぶまでもないではないか。
転封すると答えれば、何処に連れていかれるかわからない。
対馬に残れば、海軍や異人が来ることにより、人が増え、様々な物が流れ込み、間違いなく藩の収入は増えるのだ。
利点が見えない上に著しい変化が予想される転封と変化が少ない割に利益が明確な海軍基地の受け入れ。
選ぶまでもないではないか。
もし、これが、単なる命令であるならば、反感を持つ者が現れるかもしれない。
海軍基地を設置する以上、何処かの港を使う必要があるが、必ず、そこを使っている者はいるはずなのだ。
それを命令して、追い出すようなことをすれば、追い出された者が不満を持つのは当然である。
更に、異人は海軍基地内に出島のように封じるつもりではあるが、海軍が来ることにより、確実に人が増える。
異国より病気や治安悪化が齎される危険もある。
それが、全て幕府の命令の所為ならば、不満に思って当然である。
だが、選択肢を与えたことによって状況は変わる。
藩が選んだことにしてしまえば、問題が起きたとしても、それは選んだ藩の責任となるのだ。
召し上げる土地を利用する者の説得も、地元に密着している藩に任せる方が簡単でもある。
島民にしても断れば転封で藩が何処かに行くとされれば、渋々でも港を提供する方を望むに違いない。
提案した後は、対馬の藩と島民が話し合い決断するのを待つだけ。
交渉とも言えないような簡単な仕事であった。
そして、一月待った後、対馬府中藩が海軍基地受け入れを決めると、それを確認した川路と平八は、日本に残る最大の火種が燻る京へ向かうことになる。
海舟会による朝廷対策が始まる。
次回は京での交渉。1週間以内に何とか更新したいです。
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