第二十話 〇〇設立
井伊直弼は日米修好通商条約締結の条件として、オランダと同じ条件を認める代わりに、日本の領土保全、主権の確認、アメリカの技術移転をピアース大統領に認めさせます。
ピアース大統領と井伊直弼との会談はこうして終わり、会談の最後に井伊直弼よりのサプライズ提案があり、ピアース大統領は歓喜したと伝えられている。
そして、新たに締結された日米修好通商条約は神秘の国、規律と礼節の国、サムライの国、日本との新たな関係を築く物として、アメリカでも偉業として大々的に報道された。
だが、ピアース大統領が国民人気を得ることに反感を持つ者も存在する。
奴隷制拡張に反対する共和党である。
彼らは、奴隷制に同情的である民主党出身のピアース大統領に批判的であり、彼の人気が上がることを望まなかった。
そこで、彼らが主張したのは、、一分銀と1ドル銀貨の交換比率の問題である。
共和党は主張する。
ピアース大統領は世界で初めて日本との交易を実現したと言うが、そのことによってアメリカは多大な損失を被ることになると。
その根拠は、一分銀と1ドル銀貨に含まれる銀の含有量である。
一分銀は1ドル銀貨より小さく、1ドル銀貨の銀の含有量は一分銀の約三倍もあるのだ。
もし、このまま日米修好通商条約を締結すれば、アメリカは日本に銀を奪われることになるだろう。
オランダと同じ条件だと聞いて、銀貨の確認もせずに、条約を締結しようとしたのは、ピアース大統領の失策である。
すぐに、1ドル銀貨と一分銀3枚と交換出来る様に変えるべきであり、それを日本が認めないならば条約など破棄するべきであるとピアース大統領を批判した。
これらの共和党のピアース大統領批判は、日本に対するアメリカの好意にも変化を促そうとしていた。
日本がアメリカを騙して銀を奪おうとしていたのではないかと疑惑の目を向ける者が現れだしたのだ。
それに対し、日本側は迅速に対応する。
勝からニュースペーパーで一分銀と1ドル銀貨の銀の含有率が問題になっていると聞いた小栗忠順は、井伊直弼の許可を取り、勝と相談した上で、アメリカ人記者を呼び、記者会見を行ったのだ。
小栗は、フィラデルフィア造幣局を訪れ、一分銀と小判及び1ドル銀貨とドル金貨の銀と金の含有量の確認を行うと、フィラデルフィア造幣局からスノーデン造幣局長官の同席を求め記者会見に臨む。
「皆さま、良く集まって頂きました。
今回は、我らが結んだ日米修好通商条約における通貨の交換比率につき、問題となっているようなので、ご説明をさせて頂こうと来て頂きました。
説明の後、ご質問があれば順番にお聞きしますので、まずは、私の説明を聞いて頂きたい」
小栗がそう言うと勝がそれを訳し、福沢諭吉たちに紙を配らせる。
「配布させて頂いたのは、フィラデルフィア造幣局に検査して頂いた我が国の銀貨と金貨、アメリカの銀貨と金貨の銀と金の含有率の結果です。その内容をスノーデン造幣局長官にご説明頂きます」
記者たちが目を通すと、スノーデン造幣局長官が説明する。
「まず、最初のページをご覧下さい。
最初に我々は日本の依頼に従い、日本の銀貨とアメリカの銀貨の比較を行いました。
その結果は、ご覧の通り、1ドル銀貨の銀の含有量は約24グラムに対し、日本の銀貨は約8.5グラム。
日本の銀貨の銀の含有量は1ドル銀貨の約三分の一しかないものでした」
スノーデン長官がそう言うと記者たちがざわつく。
アメリカ造幣局が正式に、今回の条約の不公平を認めたのだ。
これに対し、日本側はどの様なことを言うつもりなのか。
日本は、これからアメリカを騙そうとした謝罪するのか、それとも知らなかったという言い訳でもするのか。
記者が息を飲んで見つめる中、小栗は淡々と続ける。
「しかしながら、批判される方の言うようにアメリカが損をすることはないことをお伝えしたい。
彼らが知らぬ事情があるのです。
我が国の金貨は、我が国の銀貨4枚と交換出来るようになっております。
その金貨への金の含有量とアメリカの金貨の含有量について、再びスノーデン長官にご説明をお願いします」
勝が小栗の言葉を訳すとスノーデン長官が続ける。
「では、次のページをご覧ください。
日本の金貨に含まれる金の含有量は5.1グラムで、残りは全て銀で出来ておりました。
これに対し、ドル金貨に含まれる金は約2.08グラム。
日本の金貨の金は、ドル金貨の2.5倍もあるものでした」
スノーデン長官がそう言うと、小栗が続ける。
「以上の様に、我が国の金貨の価値はドル金貨より高く、だいたいドル銀貨4枚と同じ位の価値があります。
だから、我が国の一分銀と1ドル銀貨を等価で交換することに決めたのです。
もし、一部の方の仰るように、1ドル銀貨1枚と一分銀3枚の交換など認めてしまえば、アメリカは、1ドル銀貨を持ってくるだけで3倍も儲かることになってしまう。
その図は配布させて頂いた資料に書いてあるのでご確認下さい」
そう言われて記者たちは、1ドル銀貨と一分銀の交換比率を1対3にした場合の説明を読む。
アメリカ人は、日本の金貨と等価値の1ドル銀貨を4枚持ち込めば、12枚の一分銀を手に入れられる。
その一分銀12枚を日本の金貨に変えて帰れば、日本の金貨3枚を手に入れられるのだ。
確かに、これは不公平だ。
記者たちが納得する様子を見て、小栗が続ける。
「今回の訪問に対する皆さまの温かい歓迎には、心より感謝しております。
ですが、いくら素晴らしい歓待を受けたからと言って、我らは日本の代表として、日本に損失を齎すことは出来ません。
交易をするならば、条約の通り一分銀と1ドル銀貨を等価交換とさせて頂きます。
我々からの説明は以上となります。
何かご質問はございますでしょうか」
小栗が説明を終えると記者の一人が手を挙げた後、発言する。
「まずは、スノーデン長官に確認をさせて頂きたい。
ご説明頂いた銀貨と金貨の、それぞれの含有量は間違いないものなのでしょうか?」
そもそも、情報不足から来ていた今回の批判だ。
銀貨と金貨の含有量に間違いがあれば、この弁明も意味のないものとなってしまう。
そう考えた記者は、まず、日本側の主張の根拠を確認しようとするのに対し、指名されたスノーデン長官が答える。
「はい。分析結果は、アメリカ造幣局の正式な分析結果です。
日本側は、3枚の金貨と銀貨を持ち込み、我々はそれを分析しました。
その結果、驚くべきことに、金貨への金の含有量は、3枚とも全く同じ1000分の572。5.14グラムでした」
スノーデン長官の言葉に記者たちは驚く。
今、アメリカでは日本ブームと呼ばれる様な熱狂に包まれているが、それでも未開の人々というイメージは残っていたのだ。
それが、1000分の一単位で金の含有量に誤差がないとは。
そんな金貨を作れる国は、世界の何処にも存在しないのではないか。
そんな中、別の記者が小栗に質問をする。
「銀貨と金貨の含有量に関する問題については理解しました。
ですが、世界における銀と金の交換比率は日本と異なります。
世界では日本よりも、金の値段は3倍高いのです。
日本の様に、3分の一の価値しかない銀貨4枚と金貨を交換することはないのです。
あなた方も、アメリカと交易をするならば、世界の基準に合わせて、銀貨か金貨を作り直そうとは考えないのですか」
記者の質問を勝が訳すと小栗が頷いてから答える。
「日本には、今も、この銀貨と金貨で生活する人々がおります。
もし、交易の為に、金貨の価値を下げれば、そういう人々に迷惑がかかることになるでしょう。
我々は、幕府の都合で、そうやって暮らす人々に損害を与えることは出来ません。
世界的な銀と金の交換比率については理解しました。
ですから、将来的に、その比率に合わせることはあるかもしれません。
ですが、その為には、民草に損をさせないための長期の準備期間が必要となりますので、当分、我が国では銀貨と金貨の作り直しはないものと考えて頂きたい」
小栗がそう言うと記者は納得したように頷く。
勝の忠告通り、民草の為と言えば、民主主義国家のアメリカという国は納得するようだ。
記者会見というのも、勝の提言によって開催することにしたものではあるが、これで世論が動いてくれれば、有難いものだと小栗は思う。
それから、幾つかの質問があり、記者たちが納得したところで、最後の質問が出る。
「今回締結された日米修好通商条約において、日本側に問題がないことは理解出来ました。
その上で伺いたい。
今回は、知らないこととは言え、日本がアメリカを騙したのではないかと批判する人々がおりました。
その様な人々について、あなた方は、どの様に思われますか」
「プレジデント ピアースとお会いした時に、あなた方の言葉で、過ちは人の常、許すは神の業という言葉があることを伺いました。
ならば、我々も、我々を責めた人々を責めることはしません。
ただ、次からは批判する前に、事実をきちんと確認してからにして欲しいとお願いしたいところではありますな」
それは、事実を確認せずに、日本を批判していた記者たちも批判する言葉ではあったが、聖書の言葉をなぞった小栗の言葉は記者たちに感銘を与え、各紙は日本を絶賛することとなる。
日本は公平、公正な国だった。
銀貨と金貨の交換比率について、スノーデン米造幣局長官が保証する。
1000分の一単位で金の含有率をコントロールする脅威の日本の技術。
聖書を知らず、神の言葉を行動で実現する人々、等々。
アメリカでの日本の人気は更に増していくことになる。
その記事を複雑な表情で読む男がいる。
マシュー・カルブレイス・ペリーである。
ペリーは神秘の国日本の扉をこじ開けた立役者であり、時の人、国民的英雄となっていた。
そこに来て、日本の視察団到着とにわかに起きた日本ブームで、ペリーの評価は高まるばかり。
それは、日本にいる時に交渉で日本側に示された以上の栄誉であった。
だが、日本がアメリカで評価されればされるほど、ペリーは不安になってくる。
もし、日本側がペリーの砲艦外交を野蛮な行為であると非難を始めたら。
ペリーは既に病気を理由に海軍を退役しているので、公式には彼を罰することの出来るものはいない。
しかし、アメリカに愛される日本が彼を非難すれば、『国民的英雄』であったペリーは、あっという間に国民に見捨てられ白眼視されるのではないか。
それを恐れたペリーは執筆中の日本遠征記の内容も改竄し、平和的に開国を認めさせたことにしている位なのだ。
記事を見る限り、交渉に来ていたあの目玉の男(江川英龍)も髭面の男(佐久間象山)も来ていない様ではある。
交渉で手玉に取られた実感のあるペリーは、二人が来ていないことに安心していたが、それでも不安ではあったのだ。
幸い、結果としてペリーの不安は杞憂に終わる。
ニューヨークでの井伊直弼一行とペリーとの再会は暖かい雰囲気の中で行われ、彼を責める者は誰もいなかったのだ。
通訳をしていた佐久間象山の弟子と名乗る勝という男にもあったが、彼からも、ペリーの蛮行を責めるような言葉も雰囲気も一切ない。
そして、それから行われるパレードの壮大さ。
ニューヨーク・ブロードウェイで行われたパレードは空前の規模の盛大さであった。
沿道には紙吹雪が舞い、ビルの窓には、日米の国旗がズラリと並ぶ。
数えきれない程の人々が見物に来て、日本視察団に声援を挙げる。
ペリーは、そのパレードの中央に、日本派遣団団長、宰相井伊直弼と共に馬車に乗って、賞賛の声を受けるのだ。
何という栄誉だろう。
その日は、ペリーの人生最良の日となった。
そして、そのパレードの最後に、日本側より最大のサプライズが行われる。
それは、ピアース大統領との会談の最後に約束していた、飛び切りの提案であった。
その日、ニューヨークは歓喜の声に溢れることになる。
そんなニューヨークパレードの記事を見て、坂本龍馬はニヤリと笑う。
「どうやら、うもういったようやな。中浜センセ」
「ええ、佐久間先生の予想以上に、状況は順調に進んじゅーようや」
「西郷さんはどうしちょる?」
「店の前に集まった連中の整理に行ったようやよ
せっかく、人が集まっちゅーのに、周りの店に迷惑を掛けて、評判を悪うする訳にはいかん言うてね」
「なるほど、それは気が付かざったな。やけんど、西郷さんが行ってくれるなら、もう大丈夫やろうな」
「やけんど、大丈夫なんやか。坂本さんもそれほど計算に強い訳じゃないし。
店を開けるなら、予定通り小栗殿の連れてきた三野村さんが戻るのを待ってからの方がええのじゃないか」
万次郎がそう言うと龍馬は首を捻ってから答える。
「仕方ないろ。ニューヨークで発表してから、日に日に、人が集まってきて、これ以上待たせる訳にはいかんのじゃき」
そう言うと龍馬は既に店に並べ置いた日本の様々な品々を眺めながら言う。
陶器、絵画、刀、着物等など。
展示用に、田中久重の作ったカラクリ人形も置いてある。
「とりあえず、今日は集まった記者たちに店の様子を見せて、1か月後に開店することを伝えるがよ。
平八センセの提案じゃと、開店まであと何日という看板を置くとええそうやきな。
いつ開店するかわかれば、騒ぎもちっくとは治まろうし、一月もすりゃ、三野村さんも戻ろうきな」
龍馬がそう言うと、万次郎も苦笑して頷く。
そして、この日から龍馬の新たな挑戦が始まる。
第二十話 ニッポンカンパニー(商社) サンフランシスコ支店 設立 でした。
次は第二十一話「日本株式会社とヨーロッパ」になります。
龍馬が店長を務める日本商社の仕組みを説明した上で、遣欧視察団の話に移ることになります。
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