※実験体の末路※
くだらないことを話してしまったと、少し後悔した。
檻に入れられている“実験動物”たちの監視の仕事は、この施設の中でも一番、簡単で退屈なもののため、いつもは本を読んで過ごしているが、たまの気紛れに質問に答えてやることもある。
だが、今日のそれは失敗だ。
“実験動物”たちに感情の起伏を与えてしまった。
今後の実験に万が一、差支えが出てくれば懲罰は免れない。明らかな失点だ。
昔、花街の姉さんたちにやって貰ったように、頬を撫でて落ち着かせておいたが、それで状況がどう変わるか分かったものじゃない。
運がいいのは、今日の実験は会話をした二匹ではないことだけ。
時間になり、鍵を持って実験体の元へ行く。
出入り口から離れた位置にいる奴らだ。
書簡を捲り、実験体たちを檻の外へ出し、リードの着いた首輪を付ける。
連れていく実験体の数は全部で五匹。機材が多く運び込まれている研究室はとても狭く、それ以上の実験体を連れていけないからこの人数になったらしい。
どの実験体も、薄汚れ、生気のない顔をしている。会話をしていた二匹は本当に特殊な奴らだということが分かる。
「行くぞ」
軽くリードを引くと、実験体たちはゆっくりと歩き出し、俺の後に続いた。
この施設に収納されている実験体は全部で三十匹。十匹ほど減ると、どこからか補充される仕組みになっている。
独房奥にある頑丈な鉄の扉の鍵を開ける。
カチリ、と小気味のいい音が響くと同時に、重厚な扉は自動的に左右に開かれた。
中は統一間隔に大きな筒状のパイプが並べられ、足元や天井には何本ものコードが引かれている。
筒状のパイプの中には黄緑色の謎の液体と、黒く濁ったゴミのようなものが浮いている。
実験体の“成れの果て”だ。
あまり周りを注視しないように、実験体たちを引き連れて中を進むと、背後で自動的に扉が閉まる音が聞こえる。
完全なる密室になったところで、奥の方からブツブツと独り言を呟く男がいた。
髭と眉以外の毛が一本もない容姿に、小柄で棒切れのような手足を薄汚い白衣から覗かせている。胡散臭い黒いサングラスは彼のお気に入りらしく、“はあどぼいるど”というものに憧れていた時代に嗜んだと酒の席で聞いたことがあるがよく分からない。
そんな彼は軍のみんなから“ドクター”という愛称で呼ばれているが、実際に彼が医務室に立ったら、治療ではなく改造させられるか廃人となっていることだろう。それほど危険な男でもある。
巨大なコンピューターを一人で操作し、機械から出てくる計算式を瞬時に解いては、ノートに書きこんでいた。
「ドクター、今日の分を連れてきたぞ」
ドクターはピタリと計算を止めて顔を上げ、俺の姿を見てはにやりと笑みを深めた。
「あーーー、あーーー、今日はちみが担当かね! 良かった、良かった、ちみは綺麗でいい子だからね、おいちゃんはとっても嬉しいよ、飴ちゃんをやろう」
「仕事中だ、それに甘いものは好きではない」
「遠慮すんな! 女を抱くにも口説くにも飴ちゃんは有効だぞ! よしよし、たくさんくれてやろう!」
ドクターは俺の上着のポケットに、溢れんばかりの飴を詰め込んだ。
(馬鹿正直に口にするわけがないというのに、無駄なことを……)
俺は長く息を吐くと、不意に現れた機械たちが俺の手から実験体のリードを預かってくれていく。
白く巨体な体には圧巻されるが、これは単純な動きしかできない“ポンコツロボ”というものらしい。
ただ、ドクターの仕事には充分役立つ機械たちなので、ドクターはポンコツロボを重宝していた。
機械たちは、五体の内三体の実験体の服を脱がせると、有無を言わさず筒の中へ突っ込んでいった。
元々、筒には液体がピッタリ入っていたため、実験体たちが入れられると液体が溢れて煙を出す。臭いからして、身体に良くない液体だというものが分かる。
実験体たちが液体の中で身体を浮かせようとしたが、筒の蓋はすぐに閉められ密閉された。
実験体たちは苦しそうにもがき、腕をバタつかせたり、息苦しさを表すように喉を抑えたりする者もいたが、数分後には全員が大人しくなった。
「ひっひっひぃ~~、今回はすこぉしばかり濃度を濃くして見たんだが、どこまで耐えられるか楽しみだなぁ。さてさて、それはポンコツどもに任せて、おいちゃんは別のお楽しみをしようかなあ?」
ギラリと眼鏡を光らせ、ドクターは残り二体の服を手術用のメスで切り裂き、実験体の体にマジックで印を付けていく。二体の内一体は微動だにしなかったが、もう一体は嫌がるように身を逸らした。
どこにそんな力があったのだろうと、静観していると、次第にドクターが苛立ち始める。
「うう~~ん、今日の実験は繊細なもんだから、動くんじゃないよぉ~~~?」
肩を抑えてマジックを走らせるが、実験体はドクターを睨み腕を振ってドクターの手からマジックを落とした。
(……終わったな)
俺は目を伏せた。
「うぎいぃぃぃぃーーーーっっ!! 動くんじゃないって言ってるでしょ! そっちが反抗的なら、こっちにだって考えがある!!」
ドクターは実験体の頬を鷲掴みにすると、問答無用でキーボードを操作し、机の下からパイプを取り出して実験体の口に突っ込んだ。
「!?!?」
「ぶひゃひゃひゃひゃひゃ、外部から与える刺激物を内部に送ったらどうなるかなあ? スイッチ、オン!」
ドクターがキーボードを操作すると同時に、機械が作動する。
実験体はドクターの身体を突き放そうとするが、それよりも先に実験体の口に液体が注入されたようだ。
頬を膨らまし、鼻や耳から緑の液体が溢れ、涙を流しながら白目を剥く。
(反抗しなければ良かったものを……)
実験体になったのならば、己の立場を理解し、少しでも生きながらえる努力をするべきだった。
ドクターは自分の気に入ったものには、“それなり”に優しいが気に入らないものに対しては排他的だ。
「!!!!!!!!!!!!!!!!」
声にならない悲鳴を上げる実験体に反して、ドクターは楽しそうに血で染まった左腕を上げた。
「うひぇひぇひぇひぇひぇ、かあ~~い、かあ~い、お目ん玉~~。中はどうなってるのか調べましょ~~」
ドクターはキーボードを操作し、液体を流すのを止めると、右手のメスを振り上げて、実験体の目の底へと突き立てた。
何度も、何度も、楽し気に突き立てては高笑いをする。
いつのまにか、実験体はピクリとも動かなくなっていたがおかまいなしだ。
むしろ、これからが本番という風に”解体”し、“中身”を観察し出す。
(ようやく始まったか)
これが実験体の使用方法。
中身をバラバラにされるもの、薬漬けにされるもの、ストレス発散期にされるもの。全てはこの国――軍事国家バルサレムの繁栄のためのもの。
この軍事施設では、軍の強化や医療学への発達のために、多くの”いらない子供たち”を集めて有効活用しているのだ。
生活水準の低いバルサレムでは、路地裏に住まう孤児が多い。親なしの子は将来、ロクな生き物にならないと言われているため、若い内に処理していこうと国の法律で決まった。
更には国家機関で役立つのなら、孤児たちも己の生を誇りに思いだろう。と言うのが国の意見だ。
(バカバカしい、誇りが何の奴に立つというのだ)
俺は伏せた瞼を僅かに持ち上げて、己の手の平を見つめる。
――――生きたい
それだけを願ってここまで来たのだ。
この狂った世界の中で、俺は生きるためだけに生きている。
夢も、目的も、何もない。
ただ、この世界に生を成したのだから、この生を全うしたいと思いながら生きている。
俺は入り口の扉前で待機していた。
これが午後の仕事だ。
後はドクターの気の済むまで、実験中のドクターの護衛を行う。
虫一匹入れさせない。
実験が終わった深夜過ぎ、俺は報告書に実験体の補充依頼を作成した。
ここ最近、どんどん多くなっている。
それだけ、実験が大詰めということなのか、それともまた別の問題があるのだろうか。
(考えるのは止めよう、俺は俺の仕事をするまでだ)
報告書は、朝一番に上司に提出するのが日課だ。
俺は二時間弱の仮眠をとった後、本館へ出勤するのだった。