第6話 姫、フルダイブする
姉ちゃんは駅近のタワーマンションに一人暮らしだ。
中古ながら、キャッシュで買った。
このタワマン、実は耐震偽装設計で問題になった事故物件で、売出価格の三分の一だったそうだ。
その後、実際に大地震が起こったけれど、震度6強でもなんともなかった。
日本の安全マージンなめんな! と姉ちゃんは笑っていた。
俺の勤めていたメーカーでも耐久マージンは倍取ってたしな……。
とはいえ、安いからといって事故物件をわざわざ買わんでも。ミリオンセラー作家だし、退職金もかなりのモノだったはずなのに。
貧乏性は椥辻家の性かもしれない。両親も収入には敏感だったしなあ。
さて。
重厚なエントランスの自動ドアを開けると、オートロックの数字キーがある。姉ちゃんの部屋番号を入力。
ティン・トーンと軽快なチャイムが鳴った。
『はい、!!』
インターホン越しに姉ちゃんが絶句するのが分かった。当然、カメラ付きドアホンだからな。
内側の自動扉が開く。絶句しつつも解錠してくれたのだ。
1階の広いホールで待っていると、エレベーターが降りてきた。乗ってた中年女性たちが俺を見てぎょっとする。ですよね……。
姉ちゃんの部屋がある25階へ。通路は大理石柄のタイルが敷き詰められている。
このマンション、エントランスもそうだけど見た目だけは格好いいんだよね。
偽装設計だけど。
姉ちゃんちの玄関扉のベルを押す。ガチャッと扉が開くが、ドアチェーンをしたままだ。
扉の隙間の奥で、メガネがキランと光った。姉ちゃんが覗いている。
「あんた……、天使?」
はあ?
「いや、あんた……、誰?」
そこ確認しないで解錠したのかよ!
「あまりの美少女ぶりについ開けちゃったけど、しかし、生で見るとこれは……。尊い……。いやそうじゃなくて……、誰?」
「いい加減にしろ姉ちゃん! 俺だよ、醍醐!」
「その声はさっきのボイスチェンジャーアプリ! まさか見た目も変えるアプリ? あっ、認識阻害か! 光学迷彩が実用化されたってニュースはネットで見たけど、既にそれを超える技術が……?」
「ちゃうわ!」
「質問。あたしの父の生年月日は?」
「またかよ。××××年9月14日。って俺の親でもあるから! 命日も言おうか?」
「それはいいわ、待ってて」
いったん扉が閉じ、再度開いた。今度は全開だ。
「入って」
姉ちゃんは相変わらずまん丸い。
また太ったんじゃないか。
歳が歳なんだから、って俺も人のこと言えないけど。
どすどす歩く姉ちゃんについて、奥に進む。
姉ちゃんの家に入るのは、久しぶりだ。相変わらず部屋の中は汚い。洗濯物やごみがあちらこちらに散乱している。
見た目は格好いいマンションなんだから、もうちょっと片付ければいいのに。
「その辺に適当に座って」
フローリングのリビングにはソファや椅子はない。クッションとローテーブル、それにテレビ。
ローテーブルの上にノートパソコン。姉ちゃんの執筆道具だ。
ゴミをかき分けて、床に直接座った。姉ちゃんはペットボトルの水とコップを持ってきて、クッションに横座りになる。
サービスしてくれるんかと思ったら、自分の分を注いでいきなり飲んだ。
コップは二つだったから、俺も自分で注ぐ。
「はー、で、あんた誰?」
「いやだからあんたの弟、醍醐だよ」
「中身が醍醐なのは信じたから、その体は、いったい誰のなのよ。あれでしょ? 入れ替わり系」
「ちょっと違……」
「カンナビダイセンセイ! ワタシ、そふぃーりあ、イイマス! センセイノダイふぁんデス!!!!」
ソフィ、いきなり出てくんなよ!
「うわ、びっくりした。なに、二心同体系なの!」
なんだよ二心同体系って。そういうジャンルがあるのか? ……あるんだな?
「ハイソーデス。そふぃトでぃーごハ、ガッタイシテマス!」
「でぃーご? ああ、醍醐ね。で、貴女、あたしのファンだって? いやあこんな天使が、BL好きとは! こりゃあ確かに面白い話だ!」
「ハイ、『レツジョウノニジュウラセン』ヤ、『アイノケモノトドレイノコイ』トカ。ナンドモヨミマシタ!」
いや、そうじゃない!
「ソフィ、状況説明は俺がやる! 話が進まん!」
姉ちゃんにこれまでに起こったことをかいつまんで説明した。
姉ちゃんは時折ほうほうとかふんふんとか相槌を打っていたが、基本俺の話を遮ることなく聴いていてくれた。
全部話し終わると、しばらく目を閉じて考えていた。
姉ちゃんの脳が高速回転しているのだ。俺が姉ちゃんを一番恐れる瞬間だ。
あれだよあれ、謎はすべて解けた! ずばっ! ってやつ。超絶な推理力で真相を見破られる犯人のような心境になる。なぜか。
「ソフィ、貴女、時間を操れるね」姉ちゃんがメガネをクイとしながら俺を、正確にはソフィを見た。
「ハイ、コノセカイトワタシノセカイトノジカンヲズラスコトガデキマス」
なんですと!
時間の流れが違う、とは思っていたけど、ソフィが調整していたのか。
「醍醐の魂は術式に刻まれた。そのため醍醐の手が空いている時間がわかるようになった。まさかアニメを見たり、ゲームしたりが忙しい、とは思わなかったのね。後で醍醐との共有記憶により、アニメやゲームも大切なことだと知った。少なくとも醍醐にとっては。だから直近は就寝時に召喚した。戻す時も、召喚直後に設定している。最初のうちは上手く出来なかったけれど。そういうことね」
「ハイ……」
むう、ソフィ、気を使ってくれてたのか。そういや買い物してる時や電車乗ってる時に召喚されたらかなわんな、と思ったけど、一度もそんなことはなかった。
じゃあ予告してくれれば良かったのに!
あ、そうか。召喚があってはじめて時間指定出来るんだから、未来を知ることは無理か。
原因と結果の順番を逆には出来ないな。
「戦争月は後5日。にもかかわらずあなたに焦りがないのはそのせいよね。魔法が再使用出来るようになれば、たとえこちらで何日経っても、奇襲された時点に戻れる。その時運動量保存を撃ち込めば、敵本隊を一掃出来る。ノイマン王国の勝利に終わる、と考えているのね」
「……ソノトオリデス」
「そして、魔法についても目途がたっている。電波、というか、デジタル情報そのもの。電脳空間。仮想世界。セル・オートマトン。量子配列。まあ、なんでもいいわ。ネット空間の膨大な情報を魔素がわりに、術式を構築して魔法を展開する。そのつもりよね」
「……オドロキマシタ。センセイハカミノクニノカミサマデスカ! ナンデモオミトオシ!」
「貴女こそ天使じゃん。それはさておき、このくらい醍醐が語った『これまでのお話』を演繹すれば簡単に導けるわ。ふふん」
姉ちゃんが調子に乗り始めた。これは……ヤバい波が来る。
姉ちゃんはノーパソの画面をソフィに向けた。
「じゃあソフィ、フルダイブして。出来るよね。今朝、醍醐が寝ている間にしたように」
え、そうなの?
「いくらなんでもこっちの世界の情報に精通しすぎでしょ。口座やFXは醍醐の記憶にあったというのは分かるし、ネット検索の仕方も醍醐の知識だろうけど。けれど、日本語で支障なく会話が出来たり、病院や電車や高層ビル、自動ドアで驚かなかったり。知識としてではなく、体験しなきゃそんなに慣れないはず。それが現時点で可能だったのはバーチャルだけ。それにその服。知ってる、ネットで人気のブランドよね。しかも、ARで服が選べるって評判の。ソフィの世界とは全然違う文化のはずなのに、そのセンス。日本の流行を知らなきゃ無理よ。醍醐の知識にそんなのあるわけないし、店長が薦めたのはブルーグリーン系だったよね。じゃあ、そのワインカラーの巻きスカートは何? 貴女、コーディネートをあらかじめ仮想体験してたんでしょう? 朝、頭が痛かったのは、3D酔いのせいね」
めっちゃ早口でまくしたてる。
推理じゃなくて創作物語のようになってきてるんですけど! まさかこれ、正しいの?
「それに醍醐は昔からお通じは朝7時すぎだからね。漏らしたならその時間のはず。起きていたのに臭いが気にならなかったのは、サイバースペースにフルダイブしていたから!」
びしっ!
姉ちゃんはドヤ顔で俺を、ソフィを指さした。ほら犯人は貴様だモードだよ。
「ハイ、カミサマ。オッシャルトオリデス。ねっとニモグッテマシタ。ヤリマス……」
と言ったとたん、俺の中からソフィの気配が消えた。
姉ちゃんのノーパソの画面の下隅に、いくつかのポリゴンが出現した。
すぐにポリゴン数が増えて、ソフィの3Dモデルになった。さほどリアルではなく、アニメ調のゲームアバターのようだ。
『こんな感じです』
電脳世界では自動翻訳が効くので、たどたどしさは消えたが、代わりに合成音声っぽくなった。
「ローポリモデルにトゥーンシェーダーか。もっとリアルに振れる?」と姉ちゃんが注文する。
ぐっと頭身が上がって、影がついた。現実のソフィに近くなったが、動きがカクカクしてる。
『うーん、処理速度が追いついてないみたいです』
「わかった、最初のローポリでいい。その状態でネット操作出来るね」
『それは、簡単ですが、何を操作しますか?』
「まずは戸籍をきちんとする。〇〇国の偽造サイトでデフォルトで作ったとか言ってたね。そこから整理しなおす」
姉ちゃんはアバターソフィに指示を出して、データを書き換えさせていった。
アバターがちょこまかと画面を動き回り、その背後でいくつものウィンドウが猛烈な勢いで切り替わる。タブが増えたり減ったり、何かが入力されたりしていくが、速すぎて目で追えない。
しばらくして、姉ちゃんが「終わり!」と言った。
ソフィのアバターが消え、俺の中に意識が戻ってきたのがわかった。
姉ちゃんがしたことはこんなところらしい。
カリブ海のとある島にあるノイマン王国。国際的には国ではなく自治領の扱いだ。
だがそこは豊かな観光資源に恵まれ、数十名の国民はベーシックインカムでのんびりと暮らしている。もちろんタックスヘイブンでもある。
その国に生まれた王女ソフィことソフィーリア・クリスチネ・フォン・ノイマン。
彼女は幼くしてジャパニメーションに触れ、日本が大好きになった。
娘に甘い国王マクシミリアンは、5年前、彼女が11歳の時から日本に留学させた。
もちろん娘の顔を見に毎週のように訪日を繰り返したことは言うまでもない。
この時、日本側として王女の受け入れを支援したのが有名作家の甘南備台朱雀である。
しかし、ある日不幸が襲う。
マクシミリアン王の自家用機が、太平洋上で墜落したのだ。王も后も逝去。
馴染みのない王国の事故は日本では大きなニュースにはならなかった。
が、ネットでそのことを知った甘南備台朱雀は、一度に両親を失ったソフィの身を案じた。
悲しみに沈むソフィを説き、朱雀の唯一の肉親、椥辻醍醐に養子縁組を頼んだ。
ちょうど妻と娘を失くしたばかりの醍醐は、ソフィに娘の面影を見つつ、幸せにすることを決意する。
そしてソフィも、王女であることを捨て、日本で生きぬくことを誓うのであった……。
っていきなりいい話みたくなってるけど! 姉ちゃん!
妻と娘を『亡くした』じゃないところがミソだが。失くした! 離縁!
ソフィの背景が壮大になったが、データはきっちりいろいろ改竄されている。
すでにwikiにノイマン王国、あるじゃん! 国王の事故のことも載ってるじゃん!
なにこの『一度は行ってみたい国』動画って。これがノイマン王国ですかそうですか。
『緑の丘と奇麗な海が絵葉書みたい』
『フルーツが美味しく、現地の人々の優しさがサイコーです』
『ホテルはないから、隣の島から日帰りがおすすめ。だけどキャンプもありかも!』
口コミまでついてるし! 誰?
姉ちゃん曰く、ウソは大きい方がバレにくい。
創作みたいな現実ってよくあることだし、第一ホントの方がよっぽど壮大でしょって。
そりゃそうだ。
○○国の『ソフィーリア・李・ノリエガ』戸籍は廃棄した。いの一番に偽造を疑われる国だからって。
俺と養子縁組した日本の戸籍はそのまま生かしてるから、警察の調べは問題ない。
おまけに在住5年の帰化要件も満たした。
FXで儲けた金だが、ノイマン中央銀行に送金しドルに替えた。
ついでにノイマン王国の土地を本当に買った。実際は無人島なので120万ドルと安かった……。
1億円以上だよ、これ安いの? 姉ちゃん、俺の金で勝手に!
いや、操作したのはソフィだし、稼いだのもソフィだから問題ないか。
まだ1800万ドル以上残ってるしな。サイボーグ手術三回分だな。
って、これは冗談。
ノイマン王国民の戸籍は全員分作った。
統治主体は国王だったが、亡くなったので立憲君主制から議員内閣制に変えた。
外交は日本とのパイプが太い。ことになっている。
ということで国民、土地、統治、外交の国際法4要件はクリアしている。うん、国だ。
国際連合と国際司法裁判所に国として認めるよう嘆願書を送付済みだ。
ノイマン中央銀行はネット銀行でリアル店舗はない。
中銀と言っても自国通貨はなくドル建てだし、国民数十人なら不自然ではない。
サーバーはクラウドでは定番のAWSを利用し、システムはソフィが適当な中堅銀行のものをコピーしてカスタマイズした。
だから決済機構としてちゃんと働く。
俺の口座からドルで振り込めたように、海外送金や外国為替を取り扱えるよう、国際銀行コード取得済み。このあたりはソフィの力技だ。
AWSには利用料をきちんと払う。銀行が実在している証拠になる。
第三者に悪用されないよう、ノイマン王国の国籍がないと口座が作れないようにした。もちろん、俺の口座は別だ。元王女の親だからね。
中銀に投資部門を作り、様々な企業の株を買った。主にベンチャー系だ。どれを買うかは姉ちゃんが指示してくれた。さすが元大蔵省。
というか、姉ちゃんも同じのを買っている。相場のチェックは姉ちゃん自身がやってくれる。一年後には倍になっているはず。らしい。
ちゃっかり姉ちゃん自身の資産もノイマン中銀に移してた。
姉ちゃんの口座も特別扱い。元国王の恩人だから。
便利だなこの架空の国!
あれ? これ、前の会社で常務がやってた不正と同じじゃないの?
……気にしたら負けか。
生活費は、毎月ノイマン中銀から日本の俺の口座に振り込まれる。
「あんた、タレント事務所作りなさい。ソフィを所属にして。そしたら、衣食住たいがい経費で落とせる」
マジですか? いよいよ世界の覇権計画実行ですか!?
「別に本当に芸能活動なんてしなくていいわよ。無職じゃ経費に出来ないからね!」
この物語はファンタジーです。突っ込みどころ満載ですが、華麗にスルーお願いします(汗)。
ところで600万ドルの男、知ってます?