大きなお屋敷
月で採取される鉱物のチタンからは、白い色しか作ることが出来ないから、月の街はどこまで行っても真っ白だ。
そんなダイダロスシティの西の外れ。にぎやかな中心街から離れた住宅街。林のように建ち並ぶ団地を抜けると、そこには旧西洋風のおもちゃのような、カラフルで大きなお屋敷が建っている。
突然現れる茶色のレンガの壁は、道も建物も真っ白な街には不釣り合いで、そこだけ浮き出て見えた。
広い庭には、緑色の芝が植わっていて、幹の太い本物の大きな木までのびのびと枝を伸ばしている。
まるでそこだけ、大昔の【地球】を切り抜いて、張り付けたみたいだった。
センゴク教授は、その広いお屋敷に一人で住んでいる。
ぼくとカズキは、ぴたりと閉じた格子の門から、広い庭をのぞき込んだ。
街のみんなは、センゴク教授のことを「変わり者」と呼んでいる。センゴク教授は、フロントサイドの大きな大学の先生をしているんだ。
きっと、ダイダロスシティでは知らない人はいないと思う。
「本当に行くのかい?」
カズキはレンガの壁の向こうをのぞき込みながら、恐る恐る聞いた。
「カズキは怖いの?」
「そんなこと、あるわけないじゃないか!」
カズキは強がって見せたけど、そう言うぼくも、実は怖い。
お屋敷の中から、大きな声が聞こえてきて、子供をさらって食べてるんじゃないかなんて言う噂がある。だから、大人たちはみんな気味悪がって、お屋敷には近寄ろうとしない。もちろん、ぼくたち子供も、行ってはいけないと注意されている。
子供を、簡単にさらって食べてしまえるくらいなんだから、恐ろしいくらいの大男なんだと思う。
「ヒロト。早く呼び鈴を鳴らしなよ」
そう言ってカズキは、ぼくの背中を押す。ぼくは思わず首を振った。
「怖くないなら、カズキが押してよ」
「センゴク教授にお願いがあるのは、ヒロトの方なんだから、ヒロトが押すのがふつうだろ? おれは付き添いで来ただけだからね」
二人で押し問答していると、門がギギギと重たい音を立てた。
その音に驚いて、ぼくたちはサッと、門に顔を向けた。お互いの背中を押し合った格好のまま、ピタリと動きを止める。
「なにを騒いでいるんじゃ。用があるなら、ちゃんと呼び鈴を鳴らしなさい」
しわがれた低い声に、思わず一歩後ずさる。
門から出てきたのは、よれよれの深緑の上着を着た、真っ白なひげの背の低いおじいさんだった。
この人がセンゴク教授? 想像していた大男とはぜんぜん違う。
「センゴク教授ですか?」
恐る恐る聞くと、おじいさんは鋭くぼくたちを見た。
気むずかしそうに一文字に結ばれた口に、怒っているように眉間にしわを寄せている顔は、大男じゃなくても、十分迫力がある。
「いかにも。わしが、センゴクじゃ」
しばらくの間、ぼくたち二人を見比べてから言った。
もしかしたら、どっちがおいしいか見定めていたのかもしれない。そう思うと、ぼくは逃げ出したくなった。カズキもそう思っているらしく、少しずつ後ずさりしている。
「二人の子供が、わしになんの用じゃ?」
「あの! 青い【絵の具】を分けて欲しくて、お願いに来ました!」
いつまでも黙っていたら、怒って食べられてしまうかもしれないと思って、ぼくはよく聞こえるように大きな声で叫んだ。
「青い【絵の具】を? そんなものを何に使おうと言うんじゃ? 絵を描こうにも紙がなければかけんぞ? まさか、道路に落書きをしようなどと、考えているんじゃなかろうな?」
センゴク教授は、さらに眉間にしわを寄せて、ぼくをにらみつけた。
「違います! 空を青くしたいんです! あの透明なドームを、青い【絵の具】で塗るんです!」
ぼくは上に向かって指さした。センゴク教授は、ぼくの指の先をなぞって、真っ黒な空を映すドームを見上げる。
すると突然、センゴク教授は声を上げて笑い出した。
「ほーほほう! 空を青くするとな? おかしなことを考える子供たちじゃ!」
そう言って、ぼくたちを見た。顔をくしゃくしゃにして笑っている。
「良いだろう。青い【絵の具】を君たちにあげよう。ただし、交換条件じゃ」
「交換条件?」
「しばらく家を空けるでな。片づけをしなければならない。その手伝いをしてくれるというなら、【絵の具】をやってもかまわんぞ」
「本当に?」
ぼくは思わずガッツポーズをした。
センゴク教授は、「変わり者」なんて言われているけれど、とても良いおじいさんじゃないかな。
そう思ったとたんに、センゴク教授は眉をひそめて、険しい顔をした。
「だがその前に、ちゃんと自分の名前は名乗らんといかんな」
ぼくたちが、慌ててピシリと姿勢を正して自己紹介をすると、センゴク教授はにっこりと笑った。
「元気が良くて、よろしい。それではさっそく、手伝っていただこう」
「うわあ!」
センゴク教授が、お屋敷のドアが開けた瞬間、ぼくは思わず声を上げて走り出していた。
高い天井に、キラキラと輝くシャンデリア。【地球】の風景を描いた大きな絵。そして、ふかふかの絨毯。あちこちに置かれた木製の家具が、香ばしい匂いを立ち上らせている。
そこは、歴史の授業でしか見たことのないような、昔の【地球】の家だった。
カズキはメガネを持ち上げながら、物珍しそうに室内を見渡している。
「すごい! すごい! これって、本物の木だよね!」
ぼくが興奮して絨毯の上で飛び跳ねていると、センゴク教授がゴホンと、一つ咳払いをする。
「最初に、いくつか約束をした方が良いかな」
「約束?」
「そうじゃ。この屋敷の中での約束じゃよ。一つ目、走り回らないこと。二つ目、騒がないこと。良いかな?」
そう言われて、ぼくはぴたりと飛び跳ねるのをやめた。ぴしりと気をつけをして、元気良く「はい!」と答える。
「いい返事じゃ」
センゴク教授がうなずいていると、奥の部屋から毛もくじゃらの大きな犬のペットロボットが飛び出してきた。
「ワンッ! ワンッ!」
ぼくたちを見て、大きな声でほえながら、勢い良くしっぽを振っている。あまりに大き鳴き声なので、お屋敷中に響いた。
音量ボリュームが調節されていないのかな?
ぼくは音量ボリュームを少し下げようと、ペットロボットに手を伸ばそうとしたら、ピンク色の舌がぼくの手をペロリとなめた。
「わあ!」
暖かくて柔らかい感触に驚いて、慌てて手を引っ込める。
「すごい! このペットロボット、柔らかいよ!」
そう言うと、センゴク教授が「ほーほほう」と笑った。
「ロボットではないぞ。本物の犬じゃ」
「本物の犬だって? そんなの信じられない!」
カズキが興味深そうに、犬の真っ白な毛をじっと見つめている。
「そうじゃ。本物の動物を見るのは、初めてかな?」
「本当に、本物の犬なの? 動物は、動物園にしかいないんじゃないの?」
ぼくは興奮して声を上げた。動物園は、フロントサイドにしかないから当然だ。カズキも必死でメガネを持ち上げなら、ピクピク動く耳を観察している。
「本物じゃよ。起動スイッチはどこにも無い。嘘だと思うなら、気の済むまで調べてみると良い。モップが嫌がらなければじゃがな」
「モップという名前なの?」
「そうじゃよ。大きなモップのように見えるじゃろう?」
モップはしっぽを振りながら「ワンッ。ワンッ」と大きな声でほえる。
ぼくはふわふわの白い毛をなでながら、安心した。お屋敷から聞こえてくる大きな声は、モップの声だったんだ!
「モップはヒロトとカズキが来て、嬉しいようだの。じゃが、いつまでもモップの遊び相手ではいけないぞ。わしの手伝いをしてもらわなければ」
センゴク教授が眉をひそめて言うので、ぼくたちは「はい!」と元気よく返事をした。
いくつものドアを通りすぎて、長い廊下を進んでいく。
「君たちの仕事場は、ここじゃよ」
センゴク教授が廊下の突き当たりのドアを開ける。
部屋に入ったぼくとカズキは、驚いて口をあんぐりと開けたまま、立ちつくした。
天井まである背の高い棚に、紙の本がぎっしりと並んでいて、棚に収まりきらなかった本が、床にたかく積み重ねられている。その上、床が見えないくらいに、紙があちこちに散らばっていた。
まるで、誰かがあばれた後みたいだ。
壁には、色あせた大きな地図が額縁に飾られている。部屋の真ん中に置かれた、大きな木製の机の上には、でこぼこした青い球体が、台に乗せて置かれている。
「こんなに紙の本がある! すごいや。博物館みたいだ!」
カズキが声を弾ませて言った。
「わしのひいおじいさんの、そのまたひいおじいさんが、【地球】から持ってきたものじゃよ」
「【地球】から?」
「そうじゃよ。どれも古いものじゃから、ていねいに扱うんじゃよ」
「もしかして、これを全部片づけるの?」
ぼくは、センゴク教授を見上げて言った。こんなに散らかっている部屋を片づけるなんて、すごく大変だ。すると、センゴク教授はにやりと笑う。
「もちろんじゃ」




