学校
どこまでも続く青い空は、どんな感じがするんだろう?
【雨】という水を降らせる空は、何を考えているんだろう?
きっとおじいちゃんなら、そんなぼくの疑問に答えをくれたに違いない。
ぼくはお絵かきモードにした、タブレットの画面を青い色にぬって、めいいっぱい高く掲げてみた。もしかしたら、青い空に見えるかもしれないと思って。
けれどそれは、空と言うよりただの天井だった。どこまでも広がる青い空にはほど遠い。
ぼくがふくれっ面をしながらタブレットを眺めていると、隣に座っていたカズキが不思議そうにたずねてきた。
「何をしているんだい? ちゃんと絵を描かないと、先生に怒られるよ?」
「そうだね」
今は図工の時間。自分のペットロボットをモデルにして、絵を描かないといけない。
大昔、まだ人間が【地球】にいた頃は、絵は【絵の具】を使って紙に書いていたらしいけれど、ぼくたちはそんなことはしない。
【地球】のように、資源がたくさんあるわけではない月面都市では、木から作られる紙は貴重な高級品だ。だから、簡単に紙を使うことは出来ない。
当然、紙の本は博物館でしか見られない、歴史的遺産になっている。
ぼくたちは、それぞれが持っているタブレットに文字データや画像データを映しだして、紙の本の代わりにしている。
もちろん、読んだり見たりするだけじゃなくて、書くことだって出来る。図工の絵はもちろん、文字の練習も全部タブレットだ。データさえあれば、タブレット一つでなんでも出来る。
おじいちゃんが言っていたけれど、大昔はわざわざ重たい本を持ち歩いていたらしい。今では、誰もそんなことしようとしない。
ぼくは、机の上でじっとしているテンテンと同じ赤い色を、青い色の中にぽつんと、乗せてみた。
『上手く描けた?』
テンテンがソワソワしながら聞いてくるので、ぼくはタブレットの画面をテンテンに見せてあげた。まん丸の目がチカチカと点滅している。
『ボクはどこにいるの?』
「ここだよ」
そう言って、赤い点を指さすと、テンテンは不満そうに目を点滅させた。
『ボク、こんなに小さいの? もっと大きく描いてよ』
「テンテンが空を飛んでるところを描いたんだよ。本物のてんとう虫みたいに、青い空を飛んでいるんだ」
説明してあげると、テンテンは「わからない」と言いたげに、『ふーん』とつぶやいた。
「ねえ。青い空って、どんな感じがするのかな?」
『わからないよ。ボクは、青い空を飛んだことが無いんだから』
「なにかプログラムされていない? きれいだとか。気持ちがいいとかさ」
テンテンはしばらく考え込んでから、小さな頭を振った。
『そんなプログラムはないよ』
「そうなんだ」
ぼくは、がっくりして頭をたれた。
テンテンはおじいちゃんが作ってくれたから、もしかしたら、おじいちゃんがこっそり何かを、仕込んでいてくれたんじゃないかと思ったんだけど、違ったみたいだ。
一人で考え込むぼくを見て、カズキがまた声をかけてきた。
「どうしたの?」
カズキは、最新型のペットロボット、ホログラムの黄色いインコを描いている途中だった。
今にも飛び立とうと羽ばたく黄色い羽根が、タブレットの画面いっぱいに描かれている。
ぼくは、青くぬった自分のタブレットをカズキに見せて、テンテンにした質問と同じことを聞いた。
「青い空って、どんな感じがすると思う?」
「青い空?」
カズキは、ずり落ちそうなメガネを持ち上げながら、ぼくの方に顔を向ける。
「どうして青なんだい?」
「【地球】の空は青いからだよ」
「【地球】の?」
「そう。【地球】の空は月の真っ黒な空と違って、青いんだ。知っていた?」
カズキは「ううん」と首を振る。
「知らないな。 【地球】が宇宙の青い宝石だって言われているのは知っているけど、空まで青いって言うのは聞いたことがないな。それは本当かい?」
「本当だよ。おじいちゃんが言ってたんだ。五百年前の【辞書】って言う紙のデータベースにも、そう書かれているんだ。空色は青色だって。空の本当の色は、黒じゃないんだよ」
ぼくは教室の窓から外をのぞいてみた。
おじいちゃんが死んでから、丁度太陽が一巡りして、ダイダロスシティには再び「夜週」が訪れていた。
空は吸い込まれそうなほど真っ黒で、数え切れないほど輝いている星の小さな光は、人工灯の明かりが邪魔をしてよく見えない。
「本物の【地球】を見たことが無いからなあ。青い星だって言われているけれど、本当はどうかわからないじゃ無いか」
「そうなんだよね」
カズキの言葉に、ぼくはしょんぼりと肩を落とした。
真っ暗な宇宙の中で青く輝く【地球】は、学校の授業でもホログラムで、飽きるほど見ている。けれど、ぼくたちバックサイドの人間が本物の【地球】を見るためには、月の表側、つまりフロントサイドまで行かないといけない。
乗り心地の悪いバギーに五日間も揺られるか、高級レストランで、一ヶ月晩ご飯を食べられるだけのお金を払って、シャトルに乗らないとフロントサイドには行けない。
つまり、滅多なことでは本物の 【地球】を見られないということだ。
本当に青い色をしているのかさえ、ぼくたちには確かめる方法が無い。
「でもね。ぼくは、どうしても青い空を見たいんだよ」
ぼくはもう一度、タブレットを高く掲げた。青くぬった画面を見上げて、どうにか青い空を想像しようとしたけれど、上手くいかなかった。
おじいちゃんがお話をしてくれたときは、どこまでも青く広がる空をすぐに想像できたのに。
カズキも一緒になって、青くぬったタブレットを見上げていると、突然カズキが「そうだな」と考え出した。
「もしドームに、タブレットみたいな液晶パネルがついていたら、青くぬって、青い空に見立てることは出来るかもね」
カズキの言葉を聞いて、ぼくは「どういうことだろう?」と考えてみた。
もし、あの透明なドームが青かったら? 想像してみる。
ドームの高さは決まっているから、どこまでも広がる空というわけにはいかないけれど、それでもずっと高いところに青い色は広がるだろう。
うん! とっても良い感じだ!
「それは、とっても良いアイディアだね!」
するとカズキは、「でもそれは、無理だよ」と首を振る。
「例え話だよ。実際、ドームに液晶パネルはついていないから、それは出来ない」
「そうかあ」
カズキの言葉に、ぼくはもう一度しょんぼりと肩を落とした。
その拍子に、掲げていたタブレットが、ガタンと落ちた。
「あ、いけない!」
拾い上げようとしたら、画面いっぱいにぬっていた青い色が消えていて、教科書モードに切り替わっていた。【美術の歴史】というページが立ち上がっている。
ぼくは、そのページの端っこに書かれた【道具】を見たとたんに、ぱっとひらめいた。
「カズキ。これだよ! これなら、ドームを青く出来る!」
そう言ってぼくは、タブレットを指さした。画面をのぞき込んだカズキが、「なるほど」とうなずいている。
「【絵の具】かあ。それは良いアイディアかもしれない。【絵の具】だったら、どこにでも色がぬれるからね」
「うん! そうだろう!」
ぼくは嬉しくなって、チューブに入った【絵の具】の画像をながめた。
これで、おじいちゃんに青い空を、見せてあげられるかもしれない!
「でもさ、ヒロト」
喜んでいたぼくに、カズキが言った。
「ドーム全体に色をぬろうとしたら、きっとたくさんの【絵の具】が必要になるよ。それに、【絵の具】なんて高級品は、きっととても高くて、ぼくたちのおこづかいじゃ買えないよ?」
そう言われて、ぼくは先生に見つからないように、こっそりテンテンに聞いてみた。
「テンテン。ダイダロスシティのドームを青くするには、何本の【絵の具】が必要になる?」
テンテンは、まん丸の目をチカチカと点滅させて、ネットワークにアクセスしている。
『ダイダロスシティのドームの面積は五百七十二キロ平方メートル。【絵の具】一本につき一平方メートルと考えて、全部で五十七万二千四百六十八本の【絵の具】が必要になるよ』
「五十七万?」
カズキがびっくりして声を上げる。
算数のかけ算でしか、見たことのない大きな数字だ。
テンテンはまだネットワークにアクセスしているのか、目を点滅させている。しばらくすると、テンテンは羽を振るわせてふわりと飛び上がった。
『残念だけど、月中にある青い【絵の具】を全部集めても、六十二本しかないよ。あと、五十七万二千四百六本も足りない。ヒロト。ダイダロスシティのドームを【絵の具】で青く塗るのは、現実的じゃないよ』
「そんなあ」
ぼくは再び、がっくりと肩を落とした。そんなぼくの鼻先でふわふわと飛びながら、テンテンは続けた。
『ダイダロスシティにある青い【絵の具】は、三本。全て個人の所有物で、持ち主はセンゴク教授になっているよ』
「センゴク教授」と聞いて、ぼくとカズキは思わず顔を見合わせた。