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短編小説

ぼくのなつやすみ

作者: うわの空

 これをやらないと夏休みが終わらない、というものがある。

 それは、宿題である。


 夏休み最大の難関と言ってもいいもの、宿題。

 一切手を出さずに済ませ、先生に怒られる輩もいるだろう。でも僕の場合はそうはいかなかった。夏休み最終日に、宿題をやっているかどうか母にチェックされるからだ。すべての宿題を母に提出し、中身を確認されるのが恒例行事だった。やっていなければこっぴどく怒られ、その日の晩御飯は抜き、翌月のお小遣いは無しという徹底ぶりだった。

 そして僕は残念なことに、勉強が嫌いだった。とても、嫌いだった。


 そんな子供にひっそりと、そしてしっかりと支持されている商品があった。

「なつやすみのおともだち」という商品名の、とても小さなアンドロイドだった。十センチ程度のそれをアンドロイドというのかは定かではないが、サイズのことさえ省けば、それは完璧に人の形をしていた。人型ロボット、というのかもしれない。その姿は女子高生、OL、サラリーマン、頑固おやじ、更には老婆など、様々なバリエーションが揃えられていた。売っているのは超大型の玩具店か、ごく一般的な家電量販店。値段は二万円弱と、子供が小遣いやお年玉を費やせば手に入る程度の値段だった。


 そんなアンドロイドがやってくれることはズバリ、『宿題の手伝い』だった。


 十センチ程度のアンドロイドが大がかりな工作をするのは不可能だが、それ以外のことは大半を手伝ってくれた。指の先にはシャーペンが内蔵されていて、それで文字を書くことも可能。漢字ドリルなんかはそれを駆使して手伝ってくれる。ただし、スピードに少し難があったが。算数は、問題を言えば答えを教えてくれる。電卓以上に使い勝手がよく、方程式でも解ける回路を持ち合わせていた。更に、頭には千冊以上の本の情報が内蔵されていて、そのうちの一つを選べば、感想文を勝手にすらすらと言ってくれた。人間は、それを原稿用紙に写すだけでいい。筆跡は持ち主の真似をできない(アンドロイドはあまりにも達筆な)ので、ドリルや感想文のすべてを機械任せにするとバレてしまう可能性があるが、ある程度自分で文字を書けば「なつやすみのおともだち」の存在はバレない。そんな代物だった。


 小学三年の夏休み、僕はそんなアンドロイドを購入した。


 少し悩んだが、結局、ふんわりしたコーディネートの服を着た二十代前半のお姉さんを選んだ。当時あこがれていた、いとこのお姉さんに似ていたからだった。

 アンドロイドの名前はベルにした。十センチというサイズがまるでティンカーベルのようだな、と思ったからだ。まるで安直なネーミングセンスだが、ベルは文句を言わなかった。


「どの宿題を手伝おっか?」


 敬語でもなく、ベルが言う。僕は答えた。


「算数の答えを教えて」

「うん、分かった。問題を言って」

「三十六、かける、十二」

「四百三十二」


 ――早い。小学三年となればもちろん電卓も持っていたが、ベルの存在が面白くって、僕は次々とベルに問題を出した。ベルの答えは、〇.一秒もかかっていないように思えた。

 漢字ドリルをやってと頼むと、ベルの指先からシャーペンの芯が出てきて、ドリルにかりかりと文字を書き込み始めた。確かに、僕の文字とは似ても似つかない達筆さだった。これはあんまり使えないかもな、と思ったけれど、その様子が面白くて、やっぱりしばらく見つめていた。

 僕にとって夏休みの宿題のラスボスといえば、読書感想文だった。本を読むのは七月中に終わっても、感想文を書くまでダラダラと過ごしてしまい、その間に本の内容を忘れ、結局八月後半にもう一度本を読み返すことになってしまうのだ。今年は早く終わらせようと、八月の上旬、僕はベルの頭から『小学三年生が読みそうな本』を引っ張り出し、ベルの口から発せられる感想文を、四百字詰め原稿用紙にあますことなく写した。その作業は、三十分とかからなかった。

 その年、僕の宿題は八月の五日にすべて終了した。僕にとっては快挙だった。

 

 ベルは、八時間充電で十六時間使えるアンドロイドだった。長期間使わない場合は、『スリープモード』にしておけばいいとのことだったので、八月の六日に僕はベルをスリープモードにした。それから二週間ほど、僕は天国のような夏休みを過ごした。


 冬休みの宿題も、ベルに手伝ってもらった。スリープモードを解除するとベルはむくりと起き上がり、何事もなかったかのように僕の宿題を手伝った。小学四年生の夏休みも、五年生も、六年生も。僕は当たり前のようにベルと二人で夏休みの宿題にチャレンジした。すべてがうまくいって、僕は夏休みの前半のうちには宿題を終わらせてしまう優秀な生徒になった。そんな僕を見て、ベルも少し満足そうだった。基本、「なつやすみのおともだち」には感情がないはずだが、何故か満足そうにしているように僕には見えた。


 異変が起きたのは、中学一年の夏休みだった。数学の問題集を解いていて、それが宿題の最後の一問だった。


「ベル、-2x=-8。xはなんだ?」


 いつもは瞬時に帰ってくる答えが、なかった。僕はベルの方を見る。ベルは宙を見たまま、横になっていた。


「……ベル?」


 ベルの異変に気付いた僕は、すぐに家電量販店の修理コーナーへとベルを持って行った。故障の可能性が強いこと、保証期間が切れているのでかなりの修理金がかかること、修理をするときに今までの記憶が消える可能性があることなどを告げられた。ベルは感情のないアンドロイドだが、記憶はいくつか保持していて、たとえば僕の名前や容姿なんかはきちんと記憶していた。それがなくなってしまうかもしれない、とのことだった。

 僕は少し迷って、ベルを修理に出すのを辞めた。中学生になったんだし、夏休みの宿題を手伝ってもらうのももうそろそろおしまいにしないとな、とも思ったのだ。そうして、ベルは用済みになった。けれど結局ベルを捨てきれず、机の引き出しの一番奥に、そっとベルを横たえた。両目を閉じたベルは、ただスリープモードになっているだけのようだった。

 中学一年生の夏休みの宿題、僕は唯一、一問だけ答えを出すのを忘れた。-2x=-8、という単純な方程式を僕は解けないまま、――夏休みを終わらせないまま、新学期を迎えたのだった。



 それから幾日の時が過ぎたのだろう。僕はすっかり大人になって、社会人として働いていた。



 どこにでもいる、少しうだつの上がらないサラリーマン。日々仕事に追われる日々。そんな社会人として働いていたはずの僕に変化が訪れたのは、働き始めて五年経った春のことだった。責任のある仕事を任されるたび、僕以上に使えない新入社員を任されるたび、体も心もどんどん重くなっていき、ついに会社に行けなくなってしまったのだ。最初は単なる五月病だと思っていたが、日に日に悪化する気分に耐えきれず、ついに精神科の門をくぐった。

 ――仕事のストレスからくる鬱病ですね。しばらく休職して、安静にしてください。医師にはそう言われた。

 信じられなかった。自分が鬱病? しかし実際問題、風呂にすら入れないくらいの倦怠感が僕を襲っていた。僕は大人しく医師の言うことに従い、自宅療養をする道を選んだ。六月初めの、少し暑い日のことだった。友人にそのことを報告すると、「人生の夏休みだな」と言われた。その言葉が呼び水となってベルのことを思いだし、僕は机の引き出しからベルを引っ張り出した。ベルは相変わらず、眠ったままだった。


 それからというもの僕は、毎日息を吸ってはいて、食べるものを食べて排泄して、眠るだけの人間になってしまった。大人になってからの夏休みは、まさに人生のどん底だと思う。ニートではないものの、それに近いようなものだった。休職期間は三か月で、それを越すようなら離職してもらう、という旨の紙を渡された。

 ――三か月。それで僕は、昔のように働けるようになるだろうか。


「どう思う、ベル」


 聡明なベルに訊いてみても、やはり返事はなかった。


 ぽっかりと穴の開いた身体で、ぽっかりと穴の開いた生活を送る。人間は不完全で当たり前だけれど、僕には足りないものが多すぎるように思えた。何のために生きているのか分からない。働くのすら嫌になって、そうこうしている間にセミが鳴きはじめ、本格的な夏を迎えた。学生は夏休みがはじまり、そのうちお盆がやってきて……。

 六月の初めから休み始めて、三か月ということは、八月いっぱいが僕の休める期間だった。まさに夏休みだ。人生の、夏休みだった。

 そのうち、この夏休みは終わるのだろうか、という不安がつきまとうようになった。一生このまま迷走するような気さえした。ベルは目を開かない。僕は息を上手く吸えない。そうして、八月も残り一週間を切ってしまった。会社には九月一日からくるように、と言われている。考えただけで、不安で押しつぶされそうだった。この夏休みを終わらせられるかどうか、自信がなかった。


「僕は何のために生きてるんだろうか、ベル」


 この夏休みでの難問を、僕はベルにぶつける。当然答えはない。僕は落胆した。今更、ベルが目を覚ますはずがなかった。当時ありったけの小遣いを握りしめて買い求めたアンドロイドは、しょせんただのおもちゃに過ぎない。そう思った。



 八月三十一日。


「なんのために生きているんだろうか」


 僕はついに夏休みの宿題をしあげることもできないまま、最終日を迎えた。明日から仕事だ。上手く働けるかどうか自信がない。夏休みは終わらなかったかもしれない。もしかしたら延長だろうか。宿題を終わらせなかったばっかりに。母さんに叱られるな、と実家にいるだろう母のことを思って少し笑った。その時だった。


「……xは4」


 ざらついたノイズと共に、誰かが、ベルが、そう言った。何年も充電していなかったのに、何年も目を覚まさなかったのに、この日、ベルは少しだけ目を開けた。口と目以外は、動かなかった。それでも確かに、ベルは言った。


「…………ベル?」

「xは、4、だよ」


 ……-2x=-8。あの日唯一解けなかった夏休みの宿題。唯一終わらなかった夏休み。その答えを、ベルは確かに口にした。あの年の夏休みを、確かに終わらせたのだ。


 夏休みの宿題は、終わらせない限り夏休みが終わらない。そう思っていたけどそうではなかった。答えを先延ばしにすることだってできる。ベルは確かに今、夏休みを一つ終わらせた。けれどそれは、何年も何年も経ってからのことだった。

 僕はまだ、この「人生の夏休み」を終わらせていない。「なぜ生きているのか」の答えを出していない。それでも、あの日のように新学期を迎えることはできる。


「……後でちゃんと答えを出せば、先生にも親にも怒られない、かな」


 僕が笑うと、ベルも微かに笑ったようだった。そしてまた、そっと目を閉じた。そして今度こそ二度と、口を開くことはなかった。


 何故生きているのか、僕にはわからない。夏休みの宿題はすべて解けなかった。それでも、新学期を、九月を、迎えることはできる。答えは何年先に出したって構わない。もしかしたら、答えなんてない問題なのかもしれない。


「夏『休み』っていうんだから、宿題にばかりこだわるよりも休むべきだったんだなあ」


 僕は笑った。笑うしかなかった。宿題にこだわりすぎて、肝心なことを見逃していた気分だ。明日からまた、やり直せばいい。夏休みが終わったら死ぬわけじゃない。ましてや、宿題が終わらなかったからって死ぬ訳でもない。それを僕は、何年も前に学習していたというのに、すっかり忘れていた。

 通勤かばんを準備して、スーツをそろえて、ベルをそっと横たえて、時計を見る。


 僕の「人生の夏休み」が終わるまで残り五時間。

 僕の新学期が始まるまで、残り、五時間。


「xの答えは4ね。……ありがとな、ベル」


 一見必要なさそうなその答えは、いまの僕にとってとても、とても重要だった。

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