第76話 傀儡の恐怖と姫将の決断
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ファヴニルによってもたらされた、ソーン侯爵領とルクレ侯爵領による裏切りが真実であろうとなかろうと、義勇軍を動かす準備が必要だった。
クロードは、通信用の水晶を用いてレーベンヒェルム領に警戒の連絡を入れると、転移魔術を使って義勇軍のキャンプへ戻った。
見れば、アリス・ヤツフサがキャンプの脇道で、街の子供たちと戯れて遊んでいた。
「クロード、お散歩たぬ? 今度はアリスも一緒に連れてくたぬ。かけっこで競争たぬ」
「アリスには勝てる気がしないなあ。アンセルたちは今どこだい?」
「真ん中のおっきなテントで、ローズマリーちゃんとお話中たぬ。今朝、目を醒ましたたぬよ」
「わかった。僕も行くよ」
クロードが会議室用のテントに入ると、淡い水色のドレスで正装した黒髪の令嬢、ローズマリー・ユーツが怯えたように視線を向けた。
クロードが身につけた衣服は、皮製のシャツとスラックスという、他の義勇兵達と大差のない代物だ。
同席していたソフィは、若草色のベストの上に橙色の上着を羽織り、臙脂色のキュロットパンツを履いたいつもの執事服だった。
しかし、アンセルとヨアヒムは、試作品のレーベンヒェルム領礼装軍服に身を固め、キジーに至っては、赤い鎖帷子の上に詰襟服を被るオーニータウン守備隊の軍服を身につけている。
(き、機密も何もあったもんじゃないけど、この場はこれが正しいのか?)
クロードは思わず自分も桶水を浴びて、無駄にこった礼装を着るべきだろうかと迷ったが……、結局そのまま木椅子に腰かけた。
義勇兵団を率いるのは、クローディアス・レーベンヒェルムではなく、クロード・コトリアソビであるという建前を思い出したからである。
ローズマリーは、悪名高いクロードを警戒しているのか、木椅子に座ったままちらちらと目線を逸らしていたが、ユーツ領陥落までの情報を伝えてくれた。
第三位級契約神器オッテル(=ファヴニル)の盟約者ダヴィッド・リードホルムを頭とする緋色革命軍によってユーツ領軍が蹂躙されたこと。町々で悲惨な光景が繰り広げられたこと。逆らった者たちが、ドクター・ビーストなる異邦人が作った焼鏝を当てられ、奴隷に堕とされ、享楽の生贄に捧げられたこと……。
彼女から得られた情報は、それほど目新しいものはなかったが、魂の抜けたような声で訥々と語られた陰惨な光景に、クロードたちは身震いした。
「なんてことだ。焼鏝の能力がインチキすぎる」
クロードは、両手で顔を覆った。
「魔法行使力と魔法抵抗力を剥奪して、命令を絶対遵守させるなんて反則ですよ。捕虜になったが最後、都合のいい道具として使われるわけでしょう。いったいどう対応すればいいんですか」
アンセルは、天を仰いだ。
「焼鏝を押しつけた相手には、どんな命令だって逆らえなくなるわけですよね。たとえば、”おまえ、逆立ちをしろ”と命じられば、ユーツ侯爵令嬢の意志とは関係なく……」
ヨアヒムもまた愚痴ったのだが、その瞬間、ふぁさりと衣擦れの音が聞こえた。
ローズマリーが逆立ちをして、まるで花びらのようにスカートが広がり、白い下着が覗き見えた。
「だめっ」
とっさにソフィがローズマリーを抱きとめて、クロードが敵襲を警戒、ポケットから引き出した枯れ枝を日本刀に変化させる。
「リーダー、襲撃じゃありませんよ。今のタイミングを鑑みるに……」
キジーがヨアヒムの肩を叩いた。
「犯人はヨアヒム参謀長です」
「え?」
「キジー、連れて行ってくれ。場合によっては……」
「銃殺ですか?」
「え、え、ええええええっ!?」
事態を把握できないまま、ヨアヒムは「ゴカイダ。オレハ、オレハ、ワルクヌェエエエエエッ」と絶叫しながら、キジーによってテントを連れ出された。
「ローズマリーさん、ヨアヒムは連れ出したよ。落ち着いて」
「わ、たし、私はっ、なんてはしたないっ」
「クロードくんっ、わたしもローズマリーさんを連れていくから」
ソフィもまた恐怖に震えるローズマリー嬢を連れ出して、クロードとアンセルだけが残された。
「リーダー。信じられません。まさかヨアヒムがあんな真似をするなんて……」
「乱戦中の事故だろう。あいつはそんなヤツじゃないし、焼鏝を当てる暇なんてなかったさ。百聞は一見に如かずとはいうが、焼鏝の力は想像以上に強力だぞ」
「もしもアイツが、冗談で『辺境伯様を殺せ』とか『領民たちを殺せ』なんて言っていたら、どうなってたことか」
「アンセル。撤収の準備を始めてくれ。この状況でマラヤ半島を維持するのは不可能だ。緋色革命軍は首都クランの人間全員を操り人形にできる可能性がある。そうなったら、数の暴力で勝負にすらならない」
「わかりました」
☆
商業都市ティノーの住民たちに避難勧告を出して、クロードたちが荷物をまとめた昼過ぎ、連絡用の水晶にセイから慌ただしく通信が入った。
「棟梁殿。今朝もらった連絡の通りだ。本日正午に、緋色革命軍首魁ダヴィッド・リードホルムは、国主グスタフ・ユングヴィ大公により禅譲を受けて、革命政府を樹立したと宣言。ソーン侯爵領とルクレ侯爵領は、ダヴィッドをユングヴィ大公の正当なる後継者と認めるそうだ。彼らはレーベンヒェルム領を含む残りの十賢家を賊軍と言い張り、宣戦を布告した」
「賊軍に賊軍呼ばわりされるなんて、痛快なことだな。ヴァリン侯爵は?」
「先ほど声明をあげた。馬鹿め! だそうだ。棟梁殿はどうする?」
「言いたいことを先に言われた……。テロリストは交渉に値せず、とでも送ってやろう。後は、メーレンブルク領と、グェンロック領、ナンド領か」
クロードは嘆息した。
ユングヴィ領、ユーツ領はすでに陥落し、ソーン領、ルクレ領は敵に回った。
ヴァリン領は屈さずとも、他の三領が敵対あるいは占拠される可能性は濃かった。
「棟梁殿。ひとつ伝えなければならない件がある。宣戦布告を受けた直後、ルクレ領海軍の攻撃を受けて、我が領の港町ボルグが焼き払われた。棟梁殿からの連絡と……ハサネ公安情報部長の間諜からの情報もあって、騎馬隊を救出に向かわせた。幸い人的被害は出ていないが、次は難しい。どうやら連中、西部連邦人民共和国の御下がりで、ルーシア国の巡洋艦を購入したらしい」
セイの声音には張りがなかった。
レーベンヒェルム領には、未だまともな軍艦がない。
拿捕した海賊船や、木造商船を改装した簡易軍船だけだ。
数はあっても、戦闘艦相手に海戦を挑むには、極めて不利な状況と言えるだろう。
「私も対策を考えた。領都レーフォンの近くまでひきつけた後、火薬を満載した舟を突っ込ませて魔法で起爆させるとか、襲われそうな湾にヤマを張って大砲で待ち伏せするとかだ。しかし、いまひとつ決め手に欠けるんだ。なにかこう、意外性のある戦術が欲しい」
セイの言葉に、クロードは記憶をひっくり返して考え始めた。どれだけ時間が経ったのか、ある単語がぽろりとこぼれた。
「接舷攻撃なんていうのはどうだろう? 駄目だ。宮古湾海戦は負けているじゃないか。危険が大きすぎる」
「アボルダー……? よく聞こえないぞ、棟梁殿。どんな戦術だ?」
「海賊が輸送船相手によくやるやつだよ。自軍の艦船から敵軍の艦船に、戦闘員を乗り移らせて攻撃するんだ。それで敵艦船の船底を破るか、あるいはそのまま船を占拠して持ち帰る」
クロードの提案に、セイは一瞬絶句した。
戦国時代に似た異世界から来た彼女にとって、接舷攻撃はむしろ一般的な攻撃手段であったからだ。
「棟梁殿。さっき負けたと言ったが、その海戦はどういう条件の戦闘だったんだ?」
「甲鉄という金属装甲の船を巡った海戦だ。攻撃側は、優秀な指揮官と艦長、最強級の剣客が率いる元治安部隊を中心とする切り込み部隊含めて数百人と軍艦三隻。――防御側は歴戦の指揮官が率いる数千人と軍艦、軍用船合わせて八隻。当時最高級の参謀が居あわせて、歴史上最高峰の提督が砲術士官として従軍していたはずだ」
「両軍の武装はわかるか?」
「攻撃側が剣とマスケット銃。防御側は槍とライフル銃に加えて、今レーベンヒェルム領でも研究中のガトリング砲を配備していたという説がある」
セイはクロードから聞き出した条件で、脳裏で状況を組み立てた。
「それは、さすがに厳しいな。接舷しても乗り込む前に渡し口を槍衾で防がれるか、ガトリング砲で狙い撃ちにされる。マスケットとライフルでは射程の差が歴然だから、援軍が後詰めをする前に射殺されかねない。奇跡的に船の奪取もしくは爆破に成功しても、優秀な参謀と数に勝る敵船が健在ならば、撤退もままならないだろう。だが」
セイの声音に力が戻っていた。
「棟梁殿、我らがレーベンヒェルム領とルクレ領。今装備と練度に勝るのはどちらだと思う?」
「そ、それは」
「接舷攻撃か。面白いじゃないか。棟梁殿と私たちに喧嘩を売った無礼者どもの鼻をあかしてやろう!」